ロータリアンの広場


「第二次世界大戦の真相 その1」

2680地区 PDG 田中 毅(尼崎西)
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2680地区 PDG 田中 毅

 1929年、ニューヨークのウォール街で始まった株価暴落に端を発した世界大恐慌によって、日本も深刻な昭和恐慌に陥り、東北地方を中心に農家は特に厳しい状況に置かれました。1931年に、日露戦争によって日本が権益を得、更に第1次世界大戦によってその権益が延長されていた、南満州鉄道の柳条湖が爆破されたことを契機に満州事変が起こりました。

 1932年には、満州国が建国宣言を行い、愛新覚羅溥儀が皇帝に擁立されました。蒋介石政権は、満州国は日本の傀儡政権だとして、独立は無効だとして国際連盟に訴えました。国際連盟はリットン調査団による査察を行って、中国の言い分を認めたため、日本は国際連盟から脱退して、国際的に孤立しました。1937年に、盧溝橋事件が起こり、それは支那事件に発展して、ずるずると拡大して行きました。日本軍は南京まで進攻しましたが、それに伴って、日本を取り巻く国際情勢は、ますます悪化していきました。

 当時、欧米列国は、東南アジアのほとんどの国を植民地化しており、後発国の日本が割り込む余地は、第1次世界大戦で権益を得た、支那大陸しかありませんでした。
 1939年、ヨーロッパで第2次世界大戦が始まり、1940年には、日独伊三国同盟が締結されましたが、日本は隠忍自重して、参戦しませんでした。イギリスのチャーチル首相とアメリカのルーズベルト大統領は、オランダと支那に働きかけて、ABCD包囲陣によって日本を経済封鎖し、鉄鉱石や石油の輸入を完全に遮断しました。

 更に、1941年11月26日には、アメリカはハル・ノートを突きつけました。ハル・ノートには、支那大陸や仏印からの即時撤退、日独伊三国同盟の破棄、支那の反日蒋介石政権の承認等々、日本が受諾できない要求ばかりが書き込まれた最後通牒でした。
 大きな犠牲を払って、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦で克ち得た全ての利権を放棄して、明治維新直後の日本に戻れという、屈辱的な内容でした。何とかして日米交渉を円満理に進めたいと考えていた日本も、交渉継続を断念せざるを得ない最後通牒でした。

 日本政府は12月1日の御前会議で、米英両国との開戦を決定しました。資源という生命線を絶たれた上に、大和民族としての尊厳を傷つけられた日本は、太平洋戦争に突入せざるを得ませんでした。
 1941年12月8日、日本の連合艦隊はアメリカ海軍の基地、ハワイの真珠湾を攻撃して、アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えましたが、たまたま、米空母が湾内にいなかったことが、後半戦におけるアメリカを優位にさせる原因になりました。

 開戦の30分前に米国務省に国交断絶の通告を渡すことになっていましたが、ワシントンの日本大使館の怠慢によって、それが55分遅れてしまいました。ルーズベルト大統領はこのミスを最大限利用して、日本は宣戦布告なしの奇襲攻撃をした卑劣で悪辣な国であると国内向けにプロパガンダすることによって、排日感情を煽りました。

 タイはこの戦争において日本側に付いて、米英に対して宣戦布告をしています。日本は東南アジアの国々に対して、欧米の植民地から解放して大東和共栄圏を作ることを表明していましたから、現地の住民からはほとんど抵抗を受けずに侵攻することができたので、大戦当初の日本軍は連戦連勝で、太平洋上の島を次々と占領していきました。ジャワ、スマトラ、ボルネオ、フィリピンを手中に入れて、マレー半島に侵攻して、1942年にはイギリスが難攻不落と豪語していたシンガポールが陥落しました。

 歴史には、「もしも」という仮定を持ち込むことはできません。しかし、シンガポール陥落直後に持ち込まれた、停戦案に日本が同意していたら、どうなっていたかを、想像することも自由です。  台湾と朝鮮と千島列島と南カラフトと当時日本が委任統治していた南洋諸島に加えて、アリューシャン列島とハワイは日本の領土になっていたはずです。さらに満州国というバッファーを置いて、支那は日本の植民地に、そして東南アジアの諸国は日本の支援を受けて独立国になっていたはずです。当時の日本の国策であった大東和共栄圏が完成して、世界最大の海洋国家になっていたはずです。

(2018.04.20)

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