ロータリアンの広場 |
2.夫妻の家とハリスの自然への憧憬など(上) 2700地区 PDG 廣畑富雄(福岡西)
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ハリスの結婚は、比較的遅い。彼はその回顧録で(My Road to Rotary)、シカゴで弁護士を始めたが、友人もおらず、結婚もしておらず、週日は働くので気がまぎれるが、週末は非常に寂しかった、と述べている。 その寂しさが、友を求めてロータリーを創る一つの要因となった。 彼は、スコットランド出身のジーン・トムソンと出会い、1910年に結婚する。ロータリー創立の5年後である。 その2年後に、シカゴ郊外に家を求め、スコットランドの首都、エディンバラの通りの名から、カムリバンクと名付ける(ジーンの育った場所)。家の周辺は、彼の出身地、ヴァ―モントの谷間の村に良く似ており、自然が豊かであり、彼は非常に気に入っていた。 彼は歩くのが好きだが、前にシカゴ郊外に散歩に行き、この辺りを気に入り、ここに住もうと決心したそうである。 この家は、やがて他人の所有となるが、今はロータリーが買い戻し、保存している。 それには多大な経費が必要で、寄付をした日本のロータリアンも、数多い事だろう。 こうしてハリス夫妻の旧家は戻ってきたが、残念ながら、ハリスが楽しんだ昔日の面影はない。 ことに広い前庭(Front Yard, 家の前の庭)はなくなり、今は荒涼とした荒れ地に変っている。 国内(米国の)や、世界のロータリアンが、ハリスの家を訪れ、この広い庭に友愛の木を植える。 それは嬉しい思い出の木々となる。 庭には多くの木があり、ハリスは小鳥のために巣箱を作り、餌を置き、小鳥の来訪を楽しむ。 彼は朝食を、小鳥のさえずりと共に食べる、と記している。 リスも遊びに来る。 この庭は、ハリスの大きな楽しみの基であった。なお付記すれば、ハリス夫妻は子供に恵まれなかった。 当時の映画があるが(1940年代前半)、この庭にシルベスター・シールが訪ねてくる。 シールの家は近いし、ハリスの庭から細い小道が通じており、ハリスはその道を、何回通ったか数知れないと記す。 シールは、ロータリー創立の4人の一人であり、シカゴRCの初代の会長であり、終生ハリスの良き友であった。 映画の中で、シールが細い道からこの庭に現れる。 ジーン夫人の顔がさっと輝き、固く握手をし、その手を左右に振る。印象的なシーンである。 ついでに記すと、この映画に、チェスリー・ペリーも現れ、あるロータリアンからの問い合わせだと言って、ハリスに「ロータリーを創ったのは、どういう動機からだったのですか」とたずねる。 ご承知のように、ペリーはRIの名事務総長と言われ、ハリスは自分はロータリーの設計者だが、建築したのはチェス・ペリーだと記す。
(2018.11.30) |