ロータリアンの広場 |
2.夫妻の家とハリスの自然への憧憬など(下) 2700地区 PDG 廣畑富雄(福岡西)
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この表題の前編に続き、ハリスの自然への憧憬などについて記してみたい。彼は田舎からシカゴに出て、弁護士を開業するが、客集めに苦労する。これは同じような田舎から出てきて寂しく感じる者が集まり、親しい友人のクラブ、ロータリークラブを創りたい、その願いの一因となる。健康面では、彼はとかく病気がちであり、晩年の事だが、生き残っている同学年の者の中で、自分が一番病身だろうと記す。心臓の疾患で、一年以上の養生が必要になったそうである。弁護士さんは、本人が働いて初めて収入につながる。その意味から、彼の生活は質素なものだっただろうし、家も中産階級の人の家だった。 しかし、多くのロータリアン、多くのお客や、多くの来訪者をもてなすのには充分であった。 また見方を変え、ハリスがいわゆる慈善活動をしたかどうか、触れてみたい。ハリスについて、多くの記録があるが、そして現在のロータリーは、その方面の活動が重視されるが、ハリス自身がその方面で活動する、その記録はまず無いように思う。無論ロータリーでの慈善的な活動の重要性、それは当然だがそれとは別に、個人としての活動である。この点は、日本の米山梅吉さんが、財界の有力者であり、生活も豊かであり、個人的に奨学金を出し、教育事業などを支援したのとは異なっている。 ハリスの生活で印象的なのは、彼の自然への憧憬である。たとえばハリス家の前の、広大な土地に野生のリンゴの木々があり、多くの小鳥が遊び、或いは巣をつくる。そのリンゴの木々が切り倒され、小鳥の行き場がなくなり、ハリスは憤慨する。自然を楽しみたいハリスは、家の窓を大きな一枚のガラスの窓に変え、庭や遠方の景色を楽しむ。すでに述べたように、彼は朝食を、小鳥のさえずりと共に食べたそうである。 シカゴから、シカゴの面す巨大な湖に沿って北上すると、田舎の風景、森、流れる小川、遊ぶ小鳥や遊ぶ鹿の群れなどが見られ、ハリスはそれにより癒される。彼は、ヴァ―モントの田舎(ウォリングフォード)の出身であり、そこでの生活を、終生懐かしむ。ロータリーの創立は、ある意味では、その田舎での生活、人々の温かい友情と交流、政治的、宗教的寛容さ、などをシカゴに持ち込もう、そう思って始めたと彼は記している。
(2018.12.04) |