「日本と海外のロータリーの乖離;体験を基にした原因の考察」
 2700地区 廣畑富雄PDG
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- 日本のロータリーと、海外のロータリーとの乖離は、今や周知のこととなった。一例をあげれば、日本では過去100年近く、例会出席を重視してきた。一方直近の2016年の規定審議会では、RI理事会は例会は自由で良い、年に1回でも良いと提案し、フロアからの修正案で月2回以上に決まった。その落差の大きさに、驚いた方が多かったことであろう。 会員資格も、裁量権を持つ人でなくても、いわば誰でも良いという事になった。 この小文では、日本と海外のロータリーの乖離につき、自分の体験を基に、その生じた由来を考えてみたい。 今後の日本のロータリーの進むべき道に、お役に立てばと思うからである。
- 私が最初にショックを受けたのは、十数年前の大阪国際大会の時だった(平成16年、2004年)。 開会式では、日本のロータリアンが、広大な大阪球場を埋め尽くす。 しかし翌日からの本会議と分科会では、残念なことだが、日本人はごく少なくなった。 ある分科会で、いわばロータリー観を変える経験をした。中規模のサイズの部屋である。縦に2つの通路がある。その通路に1本ずつ、計2本のマイクが立っている。マイクの後ろには、5−6名の者が並び、発言の順番を待つ。ほとんどが発展途上国の人である。
その人達は口を揃えて、途上国への援助の増加を求める。「同じドルでも我々の国で使えば、10倍から20倍の価値がある、だから是非我々の国で使って欲しい」という。一番驚いた発言は、「援助の増大には、何よりも会員増加が必要だ。
それには妙案がある。Spouse(配偶者、日本ではご夫人か)を、全員ロータリーの会員にすると良い。たちまち会員数が2倍になる」、という。 ロータリーは創立時より、職業人の集まりである。 隣席の家人と顔を見合わせ、ロータリーの基本を無視した無茶な話だと苦笑した。 ところがこれは、10年後に実現する。当時は夢にも思わなかったことなのだが。
- 発展途上国のロータリアンは、残念ながら、上記のように援助をしてもらう、その目的の人が多いように思う。 10年以上前の事だが(2003‐4年)、アフリカから、マジ・アベさんがRI会長になった。年度の初めに、新会長へのインタビューの記事がある。ロータリーへ入会した理由はと質問されてマジ・アベさんは、「母国ナイジェリアはあまりに貧しい。どうしたら良いか。そうだ、ロータリーがある。そう思って入会した」(ロータリーの友誌)。 つまり海外からの援助を受ける、その目的で入会されたわけである。
- ロータリーは、隣人に対し、博愛の精神でのぞむ。発展途上国に対しても同様である。しかし途上国の人達が、援助をより多く得るために、会員増加を望み、ロータリーの基本を曲げてもらっては困る。この10年間に、米国は会員が5万人減少した。インドは5万人増えた。途上国では10万人増え、先進国では10万人減少した。端的に言えば、援助を受ける方の会員が増え、援助する方が減った。この傾向はこれからも続くだろう。 数は力なりで、例えば規定審議会の採決では、一票でも多い方の立法案が通る。
- 私は海外のロータリークラブに、数多く出席した。クラブ数では30クラブ、回数で言えば100回ぐらいだろうか。大部分は米国のクラブである。日本のロータリーは、財界のトップの一人である米山さんが始め、その勧誘に応じ、非常に選ばれた人達が集まり結成された。米国では、田舎からシカゴに来て、友を求める人達を集めて結成された(ハリスの回顧録、My Road to Rotary)。従って例えばロータリーの歴史とか、その理念とか、日本のロータリアンの方が詳しいように思う。かってはロタキチと称するロータリーに非常に詳しい人が、各クラブにいたものである。
私は、ボストンのハーバード大学にいた関係で、ボストンRCを何回か訪ねた。ある時、隣席の人にポール・ハリスの話をすると、「全く聞いたことがないが、一体誰なのか」との返事で、絶句した覚えがある。ハリスが育った村は(今は町、ウォリングフォード)は、ボストンから比較的近い(車で数時間のドライブ)。 ボストンRCは、かっては400−500人の会員数だった。今では30−40人位だろうか。 約10年前に、ハーバード大学からの賞を頂きにボストンに行き、ボストンRCの例会に出席した。 僅か13人の例会で、大きなショックを受けたのを思い出す。 拙著「ロータリーの心と原点」の話をすると、是非英訳し出版して欲しいと、強い要望があった(英語版の出版を試みたが未だ実現していない)。
- ある国際会議(委員会)での話である。ある委員が、全地区に倫理委員会 (Ethic Committee)を創ってほしい、と言う。理由が分からず休憩時に聞くと、ガバナーにとかくの噂が有る(金銭上の噂)。倫理委員会を創り、委員会の権限で調べてもらいたいと言う。私も苦笑して、ガバナー職が良いのなら、ガバナーの希望者が多いのでは、と聞くと、必ず複数の候補が出て、必ず選挙で選ぶ、との答えだった。わが国ではガバナーの辞退者が多く、なかなかガバナーが決まらないのは、ご承知の通りである。
- 以上は経済面からの考察である。 終わりに若干社会面、文化面に触れたい。米国では、どんな都市にもスラム街がある。マンハッタンのハーレムは有名だが、人口50−100万人を超えれば、どの町にもスラムがある。昼でも足を踏み入れられない。鮮明に想いだすのだが、岡倉天心のいたボストン美術館(Museum of Fine Arts)は、ハンチントン大通りに面す。優美で壮大な美術館の、前の大通りを超えた反対側は、ひどいスラム地域である。昼間でも行くのがはばかられる。 米国で社会奉仕が重視されるのも、良く理解できる。
文化面では、西欧文明の基礎をなすのはキリスト教で、隣人への愛を強調する。ハリスは「超我の奉仕」の説明に、キリスト教の「黄金律」を引用し説明する(This Rotarian Age)。 人にしてもらいたいと思うことを、人にしてあげなさい、という黄金律である。これらの社会面、文化面の相異も、乖離を招く一つの要因であろう。
- 最後に強調したいのは、日本のロータリーは、ロータリー100年の伝統に最も忠実であり、最も基本を大事にしている、という事である。日本のロータリーは、胸を張って、世界に向けてその考え、その伝統を、発散し伝えて良いし、そうすべきだと思う。 時流に流され、ロータリーの基本を片っ端から壊せば、行く着く先は、自ずから見えてくるように思われる。
(2017.12.18)
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