「Service, not selfの真意」(その2)
![]() 2680地区 石井良昌PDG |
Service, not self を解説するに当たっても、殆どの人はコリンズのスピーチ原稿の存在を知らずに、従ってコリンズのスピーチ原稿を読まずに、「Golden Strand」の内容をそのまま語るものですから、みな一様に「コリンズの職業は弁護士。Service, not self とは自己を完全に否定した高次元の考え方。Service, not self をService above self に変えたのはシェルドン。」だと説いてきたわけです。
ちょうど、伝言ゲームで途中の一人が間違えると、最後にはとんでもない結論に至るのと同じです。ゲームならばともかく、ロータリーの理念を伝えようとするならば、伝聞に頼らずに、必ず一次文献までフィード・バックして確かめる努力が必要です。
「Golden Strand」に記載されている内容を、その出典を明らかにした上でそのまま語るのならばまだましですが、自分の思い込みから、これを高い宗教的次元のモットーだと解説すると、この言葉がとんでもない方向に迷走していく結果になります。
或る指導的な立場にあるロータリアンは Service, not self は中世キリスト教神学の思想以外の何者でもない優れた宗教的色彩の強いモットーであって、自分を否定して、宇宙を支配する神の秩序体系に帰依することであると述べていますが、コリンズのスピーチ原稿からはそのような高邁な思想を感じとることはできません。
以下、このスピーチ原稿の内容の概略を紹介します。
ロータリークラブの組織では、なすべきことはただ一つであり、それを正しく始めなければなりません。正しく始めるためには、ただ一つの方法しかありません。自らの利益が得られるかもしれないと思ってロータリーに入ってくる人たちは、間違った部類の人たちです。それはロータリーではありません。ミネアポリス・クラブによって採用され、当初から定着している原則はService, not selfです。 |
「利他のためにロータリーに入るべきであり、その原則をミネアポリス・クラブではService, not selfという言葉で表している」という説明であり、この言葉の中に高い宗教的な要素が含まれているとは感じ取られません。
コリンズのスピーチ原稿を読む限り、コリンズのスピーチの根底には相互扶助という考えがあり、ロータリアン以外の人とも積極的に取引を拡大していくべきであると、「無私の奉仕」とは全く異なった考えが表れています。
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これが、コリンズが語ったスピーチ原稿のあらましです。
この中から、強い宗教的色彩も、中世キリスト教神学の思想を感じ取れるはずもありません。クラブ会員の親睦の大切さを説き、さらにロータリアン同士の物質的相互扶助の大切さを説きながら、ロータリアン以外の人たちとの取引も勧めるという矛盾に満ちた内容であり、なぜ、Service, not self がミネアポリス・クラブに定着している原則なのかが理解できません。
強いてこじつけた解釈をすれば、今まで、会員同士で行ってきた物質的相互扶助を、会員外に広げることによって、それを利他の心と説いたのかも知れません。自らの利益だけを考えずに、他人に奉仕する意味で Service, not self という言葉を作ったとすれば、この言葉は職業奉仕のモットーである He profits most who serves best を補完する言葉であり、当時の年次大会の雰囲気から考えると当然かも知れません。何れにせよ、Service, not self という言葉は、人道主義的活動を意味する Service above self とはまったく別次元の言葉だということは間違いありませんし、その Service above self が何時、誰によって作られたのかは不明です。現在、1917年までの大会議事録をすべてチェックしましても、その中には Service, not self も Service above self の文字も見当たりません。
この1910年に創立したミネアポリス・ロータリークラブは1905年に創立したミネアポリス・パブリシティ・クラブが前身で相互扶助を目的にしているのは同じで、この二代目会長のコリンズが会長をした1911年頃のアメリカの時代背景を考えてみたいと思います。アメリカン・ドリームの名を借りた、極端な自由競争の時代であった。
ありとあらゆる策を弄しながら、お金を儲けることに狂奔した時代だった。ロータリーが事業経営の中に職業奉仕理念を取り入れて、その法則にのっとった正しい事業経営をすれば、必ず事業の継続的な発展が得られることを実証したからこそ、皆が先を
争ってロータリー活動に熱中したのです。一部の人が言うようにService, not selfが自己を犠牲にして他人に奉仕することを意図する言葉だとすれば、この言葉に魅力を感じてロータリー運動に参加する人は皆無であったことだけは確かである。
1915年にガイ・ガンデカーによって書かれた「A talking knowledge of Rotary」には Service, not self がそのまま使われていますし、1921年のThe Rotarianのコリンズの追悼記事には Service above self が使われています。面白いことには、1921年の年次大会には、結果的に取り下げになったものの「現在ロータリー・モットーとして使われている Service, not self、Service above self、Service before self を廃止して He profits most who serves best のみにする」という提案が出ています。
さらに1923年には決議23-34において、ロータリーの哲学が Service above self に、実践倫理の原則が He profits most who serves best と定められ、1950年、決議50-11によってこの二つの言葉はロータリー・モットーとして正式に定められるという経過をたどるわけです。
現在、Service above selfは「超我の奉仕」とは、「他人のことを思いやり、他人のために尽くすこと」と訳されています。
そこで、結論としてコリンズの言うService not self の本当の意味を考えますと、コリンズのスピーチ原稿(その2)の文中にある“自らの利益が得られるかもしれないと思ってロータリーに入ってくる人たちは間違った部類の人たちです。それはロータリーではありません”という内容はミネアポリスRCの25周年記念誌に次のようなことが書かれております。それは、コリンズが1911年8月のポートランド大会の数か月前にコリンズとシェルドンは会っていて、このService not self についてシェルドンはHe profits most who serves best. にきわめて近い職業奉仕のモットーであることと、このService, not self もHe profits most who serves best.もGolden Rule (黄金律)すなわち人にしてもらっていいことは他者にもしなさい。という黄金律であるとシェルドンは述べております。
また、この黄金律は哲学であって、宗教的なものでないとシェルドンはあえて述べております。
そこで、私のService not self の意味は従来から行っていた会員同士の相互扶助をさらに広げるとともに、ロータリアン以外の人とも取引をしようという意味なので、「自分自身だけでない奉仕」や「自分さえよかったらいいのではない奉仕」ということになります。あえて意訳すれば「利己と利他の奉仕」としたらよく分かると思います。
さて、Service, not self の解釈がこのような結論に至ったことを由としない人たちは、田中毅先生の翻訳が出所不明の怪しげな日本語訳であり、誤訳と誤解の連続であると主張しているようです。しかし、よくよくその主張を聞けば、問題は翻訳ではなく、今まで自分たちがさも本当らしく主張してきた話が、根本から崩れ去ることに対する恐怖や不安であるような気がします。
新しく発見された事実を事実として謙虚に受け止めることができないことは極めて残念なことです。日本人がディベートが不得意である原因として、自説を曲げたり、討論に負けることが、あたかも本人の人格が否定されたことと同じように受け止めることだと言われています。
完全な翻訳は存在しません。米語を日本語に翻訳する場合、ネーティブ・アメリカンでない限り、その言葉の持つ意味を100%理解することは不可能ですし、日本人でその能力を持っている人は限られているはずです。ネーティブ・アメリカンに近い能力を持っていたとしても、それを日本語に置き換えようとすれば、さらに高い日本語能力が必要になりますし、日本語のような多くの言い回しがある言語では、翻訳者の主観によってその表現は大きく異なってきます。
原文の持つ意味を、例え直訳になってもいいからなるべく正確に伝えようという、RIの公式文献の翻訳が、まるで意味のわからない日本語になっているのも、そのあたりの事情を物語っています。
田中毅先生は次のように謙虚に述べておられます。英文はあらかたの意味が判ればいいと思って、文章を翻訳しています。正確な内容を理解したい方は、是非、原文をお読みになることをお勧めします。田中毅先生が翻訳した文献の原文は、すべて「源流アーカイブス」に収録していますのでご利用ください。
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(2014.06.26)