ロータリアンの広場 |
2680地区 PDG 石井良昌(尼崎西)
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私の思うロータリーの3賢人を述べてみますと、次の3人がロータリーの骨格を築いた3賢人だと考えます。
![]() その後、1910年7月2日にスコットランドのエジンバラ出身のジーン・トンプソンと結婚し、この時ハリスは42歳でロータリーを創始して5年目の夏でありました。 ハリス夫妻はシカゴ郊外に住居を構え、ジーン夫人の郷里の名をとりカムリ―・バンクと名づけ、生涯の住居とし、今でもその建物は存在致します。1910年に国際ロータリーの初代会長に就任し、ジーン夫人と共に世界各国を何回も回り、多くの講演活動を行い、生涯をロータリーの発展に捧げられました。ハリス夫妻は子どもに恵まれず、ハリスの自叙伝には「子どもがいない私たち夫婦は国際ロータリーを養子にしました」と書いておられます。
![]() 「He profits most who serves best.」 「最もよく奉仕するもの最も多く報いられる」 という奉仕理念をロータリーのモットー(標語)として提唱しました。ロータリーが誕生する以前の1902年に、彼は修正資本主義を取り入れた職業奉仕の理念をすでに構築して、シカゴでシェルドンビジネススクールを経営していました。 シェルドンの奉仕理念は、継続的な事業の発展を得るためには、自分の儲けを優先するのではなく自分の職業を通じて社会に貢献するという意図を持って事業を営む、すなわち会社経営を経営学の実践だととらえて、原理原則に基づいた企業経営をすべきだと説かれました。
1911年に創刊の「The National Rotarian」のちに「The Rotarian」の生みの親。彼は、職業は社会に対する機会である、として職業奉仕の重要性を強調されました。また、初期のロータリーにおいてはその連合体の形成に大いに貢献され、ポール・ハリスをして「ロータリーの施工者」・「ロータリーの組織を確立した人」と称されました。
(2018.10.27) ![]() 「ロータリアンの広場」トップページ |