「経済と倫理 ― アダム・スミスの人間観」
2660地区 PDG 神崎 茂(大阪西RC)

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2660地区 PDG 神崎 茂

アダム・スミス(1723−1790)
「 道徳感情論 」The Theory of Moral Sentiments ( 1759 )
岩波文庫全二巻 2000年

「 国富論 」 The Wealth of Nations( 1776 )
岩波文庫全四巻 2003年

  • 社会秩序を基礎づける道徳の原理は人間の感情にもとづいている。
  • 人間は自分の利益を考える存在であると同時に、人間の本性の中に他人についての関心と感情をもっている。
  • 人間は生まれてから死ぬまで生存のために他人からの世話を必要とする。
  • 我々は自分の感情や行為が他人の目にさらされていることを意識し、他人から是認され又、他人から否認されたくないと願っている。
    この願望は人類共通であり、個人にとって最大級の重要性をもっている。
  • 自然の摂理。種としての人類の保存と繁栄を促する愛情に満ちた配慮。
    見えざる手( Invisible hand )
  • 富は人間を喜ばせ、貧困は人間を悲しませる。
    富は便利であり、貧困は不便だからである。我々は自分の富裕を見せびらかし貧困を隠す。
  • 幸福とは健康で負債がなく、良心にやましいことろがないこと。大きな富を獲得したとしても実際には幸福は殆んど増加しない。個人の幸福の程度は富の増加の後と前で殆んど変わらない。
  • 個人は文明社会の発展に貢献したいという公共心にもとづいて活動するのでなく自分の富と地位を求めるのに過ぎないのに、知らず知らずのうちに社会の繁栄を推し進めている。
  • 自己心と貪欲によって幸福が人々の間に分配される。
  • 財産への道、「 英知と徳 」は見えにくいが「 富と地位 」は人々に見えやすいものである。私たちは自分の中にある虚栄心 ― 自分を本当の値打ち以上に見せようとする心 ― を完全になくすることは出来ない。
  • 野心と競争の起源は他人の目を意識するという人間の本性にある。
  • 富の主要な機能は人間を生存させ、繁殖させ、その生活を便利で安楽なものにすることである。
  • 見知らぬ者同士が富を交換する社会が市場社会である。
  • 経済成長とは富が増加することだけでなく、富んだ人と貧しい人のつながりが出来ることを意味する。
  • 富んだ人は投資活動によってより大きな富を獲得する。富んだ人は貧しい人を助けようとする意図をもたないにもかかわらず、貧しい人は富んだ人の野心を満たそうという意図をもたないにもかかわらず両者は富を媒介としてつなげられる。
  • 一国の資本蓄積を遅らせる原因として注意すべきなのは個人の浪費ではなく、政府の浪費である。国王や大臣こそ常に又何の例外もなしに社会最大の 浪費家なのだ。実際、18世紀のイギリスにおいて政府の支出の約9割が軍事費と国債費であった。
  • 人間生活の不幸と混乱の大きな原因は、ひとつの境遇と他の境遇の違いを過大評価することから生じるように思われる。貪欲は貧困と富裕の違いを、野心は私的な地位と公的な地位の違いを、虚栄は無名と広範な名声の違いを過大評価する。
  • 「 弱い人 」は常に世間の評価を気にして称賛を欲し、非難を恐れる人である。より大きな富、より高い地位はより大きな幸福をもたらしてくれるように思われる。しかしそれは幻想でしかない。
  • 富や地位を獲得するための、ひとつの有効な方法は「 徳と英知 」を獲得することである。人類は「 富と地位 」だけでなく「 徳と英知 」に対しても普遍的な尊敬の念をもっており、「 徳と英知 」をもつ人が大きな富と高い地位にふさわしいと考える。
  • 商業が発達してより多くの人々がビジネスに携わるようになれば「 徳と英知 」特に慎慮、正義、不動、節制の徳を身につけるようになる。
  • 社会はさまざまな人々の間で ― 商人の間でそうであるように ― 相互の愛情や愛着がなくても、社会で有用であるという感覚によって存立する。
  • 我々が食事が出来ると思うのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心に期待するからではなく、彼ら自身の利益に対する彼らの関心に期待するからである。我々が呼びかけるのは彼らの人間愛に対してではなく、自愛心に対してであり、我々が彼らに語りかけるのは我々自身の必要についてではなく、彼らの利益についてである。
  • 多くの人間が陥る本当の不幸は、真の幸福を実現するための手段が手近にあることを忘れ、遠くにある富や地位や名誉に心を奪われ、静座し満足しているべき時に動くことにある。私達は社会的成功の大志を抱きつつも自分の心の平静にとって本当は何があれば足りるのかを心の奥底で知っていなければならない。
  • 諸個人の間に配分される幸運と不運は、人間の力の及ぶ事柄ではない。私達は受けるに値しない幸運と、受けるに値しない不運を受け取るしかない存在なのだ。そうであるならば、私達は幸運の中で傲慢になることなく、又不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きてゆかなければならない。
  • 最低水準の富がない、つまり貧困の状態にあることが、なぜ悲惨なのか。もちろん、不便な生活を送らなければならないからである。しかし、それだけではない。 その社会で最低限必要だとされる収入を得られない状態にある人びとの悲しみや苦しみに対し、私たちは、同感しようとしない。私たちは、貧しい人を軽蔑し、無視する。このことが、貧困の状態にある人びとをいっそう苦しめる。
  • 自分は世間から無視され、あるいは軽蔑されていると思うことは、人間の希望をくじき、心の平静を乱す。無感覚にならないかぎり、あるいは社会との関係を完全に断ち切らないかぎり、私たちは、自尊心を傷つけながら生きていかなければならない。人間にとって、これほど辛く惨めな状態はないであろう。心の平静を得るためには、最低水準の収入を得て、健康で、負債がなく、良心にやましいところがない生活を送らなければならない。しかし、それ以上の財産の追加は幸福を大きく増進するものではない。

以上がスミスの幸福論である。  

(大阪大学大学院教授 堂目 卓生 著「 アダム・スミス 」より引用 )

                     (2014.07.05)
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