ロータリアンの広場


一生成香 前編その1 「倒産・退会そして再入会の記」
2730地区 PDG 菊地 平(ジャパンカレント・ロータリーEクラブ)
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2730地区 PDG 菊地 平

 4月22日地区職業奉仕研修セミナーが鹿児島空港ホテルにて開催されました。
 5人の分区代表会員が職業奉仕について発表をされました。私は「倒産そして再入会をして思うこと」と題してお話しさせていただきました。わがEクラブの会長が西部分区代表としてお話しされまして今はYouTubu上にて見ることが出来ますが、その時の原稿を会員の方々に(前)(後)2週にわたってお話しようと思います。
 私は2005〜06年度のガバナーを、2007年度はアクティングガバナーを務めた菊地です。
 事業に失敗し倒産した男が、何を偉そうに〜職業奉仕を語るのか。と言うご批判があって当然ではあります。
 キリストが「我に誇れるもの 何もナシ 若し誇れるものありとすれば、我が弱さのみ 誇らん」と言われています。サクセス・ストーリは沢山見たり聞いたりすることは多いと思いますが。失敗や倒産体験は余り語られる事は少ないと思っています。
 再入会の方はいても、倒産してからの再度入会の方は少ないと思います。再入会のロータリアンとして弱さのみ誇らん〜と倒産顛末から御話しをさせていただきます。

まず、資料NO1を読んでみます。〜〜〜〜
 倒産当時の帝国データーバンクの倒産情報です。 (株)MOS(設立昭和55年5月15日、資本金2500万円)は、平成20年9月10日株主総会の決議で解散、11日弁護士を通じて自己破産手続き開始申し立ての準備に入った。不採算事業による赤字の累積と受注キャンセルによる不良債権の発生で資金繰りが悪化したことが原因とみられ、負債総額は約2億5000万円。  同社は昭和55年5月に設立。沖電気工業の全額出資子会社だった宮崎沖電気が発足するにあたり地元有力企業からの出資を得て、当初は沖電気工業製品の販売会社としてスタート。後にソフトウェア開発分野に進出、情報通信機器の販売や機器の保守・メンテナンス、ネットエワークソリューションサービス、パソコン教室など多目的な展開を図り、自社開発ソフトとしては、宮崎県内で7割を誇る公共土木積算システムを始め、酒造工程管理システム、牛乳宅配支援システムなどがあり、平成15年5月には宮崎県西米良村で無線インターネット接続サービスを開始、翌年には東郷町、椎葉村にエリアを広げるなど積極経営を続け、宮崎県からの大型受注があった平成18年3月期は4億3671万円を売り上げていた。  

 しかし、平成11年3月の本社移転に際して投下した約1億円の設備投資が負担となっていたほか、山間部での無線インターネット接続サービスが不採算で同事業だけで3000万円もの赤字を出していた。さらに、平成20年6月に東京の同業者から請け負った建設業向けシステム開発の受注分がキャンセルとなったことで約4000万円の損失を出したことで資金繰りが急速に悪化。業界内で信用不安があがり、8月には契約のキャンセルが相次いだため、事業継続をあきらめたものとみられる。

〜〜〜私は、若いころ、青年会議所運動にうつつを抜かしておりました。
 JCに関係されている方にはすみませんが、JC運動は楽しかったのです。青年会議所を卒業と同時に、40歳でロータリークラブに入会をいたしました。
 当時、東亜自動車という親父が興した自動車整備会社の専務をやっていまして、JCの乗りで、全国的にロータス・クラブという自動車整備業組織を作る発起人として、全国を飛び回っておりました。東亜自動車は現在外車・VOLVOのデーラーとして、末の弟が代表をしています。東亜自動車も入社したときは板金塗装の工場で社員6名の会社でありましたが、自動車整備業に新規参入をいたしました。認証番号250番目の会社でしたが、先輩250社をやがて追い抜いて車検台数は県内NO1の整備工場になりました、そして社員数30名になっていました。

その頃です、1980年、37年前です。
 沖電気が宮崎市清武町に半導体工場を造ると言うとき、誰か沖電気のコンピュータ販売をしてくれる人はいないか〜という情報が入ってきました。
市内の友人に呼びかけまして、一人100万円ずつ持ち寄っていただいきました。23人の株主、2500万円の資本金でスタートしたのがMOSという沖電気のコンピュータ販売とソフト開発を事業とする会社でありました。全く知識も無い・無知な者が、事業を始めるという冒険も、若かったから出来た事だと思います。47歳の時でした。

〜〜MOSがスタートしてから5年後のことです。
 1985年、昭和60年7月今から32年前・52歳の時です。3人兄弟のうち直ぐ下の弟が独立して別に特殊自動車の整備工場を経営していたのですが、当時7000万円の負債を抱えて、倒産しました。その時、私は個人的に銀行借り入れ、の連帯保証人としての責任をかぶってしまいました。
 当時は、暴力団対策としての警察の、いわゆるマルボウ対策としての組織犯罪法もありませんでしたから、弟の振り出した手形を持った暴力団に日夜追っかけられるはめになりまして、地獄を見てきました。 この解決はまた一つの大きなドラマでありまして、泣く子も黙るという、抗争事件で時々話題になっていました、福岡の広域指定暴力団・○○会を相手の、やりとりでありました。これを話しますと知らないでいい世界のことで、一巻の小説になります。 私にとっては大変な事件でしたけれど、捨てる神あれば拾う神もいるものでして、この解決に当たって、まったく無償で助けてくれる人がおりました、

(2017年5月22日)

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