一生成香 No.38「84歳。やっぱりめでたい」その1
 2730地区 PDG 菊地 平
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「90歳。何がめでたい」佐藤愛子がヤケクソで書き上げたエッセイ集には90年間生きた人だけが得られる「人生」がいっぱい詰まっていました。
今月84歳を迎えた私は「やっぱりめでたい」と切り返してのタイトルです。
戦後は既に70年を超えていて、戦後生まれでも70歳を超えたわけですが、戦後の空気を吸って育った人間は、それ以上の年齢になっています。
天皇陛下と同年と言うこともあって、ことさら戦中・戦後を意識してしまいます。
それがこの頃は、いつの間にか後期高齢者と決めつけられて、それもトコロテン式に前期高齢者から後期高齢者となり、時には「老人の医療保険が莫大に膨らみ国民健康保険がパンクしそうだ」と、何か長生きは悪者みたいに言われて、グリム兄弟が200年も前に人間の寿命70歳と書いたことが、嘘のように長生きしております。
200年も前は、日本では「人生50年」と言われ、それが普通だと思ってきた時代もあったのです。それから60歳になると、「還暦」の祝い70歳では「古希」と祝われてきましたのが、最近は寿命が伸び過ぎて、99歳の白寿や百歳の紀壽の祝はめずらしくなくなり「茶壽」と言うのが出来て=茶の文字を分解すると二十と八十八の祝いとなり108歳まで、発明されていて、やっぱりめでたい事になっています。
わがクラブの会員年齢は地区の他クラブ平均よりかなり若いわけですから、あまり「老い」について語る事は如何かとは思いますが、誰だっていつまでも若くはないのですから、お許しください。
「自分の老い」は「他人の老い」とは違うと思うし、未知との遭遇でもあるし、新しい発見がある時は「老い」についてはアマチュアなわけです。ところが今月運転免許切替えに当たっては、つくづく老いを実感しました。
何しろ簡単には更新ができなくなるし、免許期間も短くなって、認知症検査から適正検査、運転技術まで丁寧な指導がされるのです。おまけに会場には同年代ながら、同じジジイや婆さん達ばかりなのです。先方もそう思って見ているのでしょう、同病憐みの眼付きなのです。
極め付きは免許証の写真です。老いはエースカレターのような下り方ではなく下り階段のような、ガクンガクンと老いて行くように思います。
なかには、毎月「老い」の定期積立貯金が一気に満期を迎えたかと心配になるほどのお年寄りもいて、運転免許証返納もできない事情ある高齢者の交通事故が多いはずだと納得した次第です。
私達の老いはどう変遷したかと言いますと、
40歳JC(青年会議所)を卒業した時は21名・JC8年会として、毎月飲み会と二次会をやっていました。60歳頃には隔月飲み会だけ、70歳になった頃からランチ会に、その頃から会員が次々と、天国へ入会してしまい半減して、80歳になったら、生存者8名となって皆ランチ会も出て来られなくなってしまいました。皆が病気や認知症・脳梗塞・がん再発・加齢黄斑変性症・特老ホームへなどなど、菊地だけがJCシニアクラブからのFAXやり取りが出来る状況で今も世話人となっています。有り難いことですが、持病はあります。金欠病というものです.〜そう言うと、〜いやいや私もです、と皆異口同音に言いますが、私のは、慢性疾患というべきものです。
今月は私にとって、めでたい事が3件ありました。
1つ目は、次男が8月広島北RCに入会出来て、11月第一例会でイニシエイションスピーチがうまくいったと、スピーチ内容の報告がありましたが、広島北RCは76名で伝統的に修正出席率100%を長年維持しているクラブです。
2つ目は、今月の家族・会食会を待っていたかのように、孫から、「ひ孫誕生予告」のサプライズでした。来年4月には単なるジジイからひい爺ちゃんと格上げになるという嬉しい予定です。
3つ目は、第12回プラスワン会が指宿で開催されたことです。
ここで、プラスワン会について、述べてみます。
2005~6年度ガバナーの時、地区方針として「プラスワン運動」を提唱いたしました。月信から一部抜粋してみます。地区協議会・演説の分です。
「ロータリー2世紀」は101年目を迎えるわけで、これを「100年プラス1年」とし「プラスワン運動」を提唱いたします。一人が100歩行くことよりも100人が一歩行く事を意味します。それはクラブの活動のすべてについてです。
クラブ奉仕であり、国際奉仕、社会奉仕、職業奉仕、新世代、R財団、米山そしてなによりも「会員の意識」にプラスワンであります。100年の歴史の評価に耐えうる言葉とするためにも「会員の意識」の先鋭化を望みます。
鐘は鳴らさなければ、鐘とは言えません。
歌は歌わなければ、歌ではありません。
愛は与えなければ、愛とは言えません。
同じように、ロータリアンとは、バッチを胸に付けただけではロータリアンとは言えません〜〜〜〜
〜〜〜〜各リーダーの方々は、私をはじめ、その「職分における名誉と同時に責務を伴う世話人」として、与えられた期間を、限りある期間として共に悔いなく努めて参りましょう。そして、リーダーとして「志高く」「使命感を持って」「100年の歴史に耐えうる努力を」共にいたしましょう。
人は自分の運命を変えることはできないといわれます。しかし自分の人生は変える事はできるのです。ロータリーがみなさんの人生を変えたように、今度は皆さんがロータリーを変える番なのです。〜〜と、訴えたのでした。
〜〜その一年間があって、時のガバナー補佐10人の心は一つになり、ガバナー目標推進に心を砕いていただき、「超我の奉仕」の賜物として成功年度となりました。
そのメンバーが毎年持ち回りで、夫婦同伴での一泊懇親会、翌日はエキスカーションでの親睦を楽しみ、勉強にもなります。今年度は11月11日~12日に指宿RC・前地区幹事の堀之内さんが第12回目のホストをされたのでした。
前にもお話しましたが、私がロータリーを退会している6年の間も、欠かす事なく続けられてきたのでした。
浪人となった老人(私)をズット同じ仲間として、処遇していただいたわけですが、13回目も奄美と決まり「プラスワン会は菊地PGが生ある限り続ける」とまで言われ84歳・誕生月に何よりのプレゼントをしていただきました。
(2017年11月28日)
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