ロータリアンの広場 |
2560地区 小山楯夫(新潟)
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こんな事を考えてみた。 震災後の避難住宅は、撤去して何処に在るのだろう。十日もあれば組み立てられるだろう。そして、米国に在る様なコミュニティ(村)をつくり、リトル・ウクライナ・タウンを形成すれば、言葉・教育・仕事等々、到着したその日から安心して自力で生活出来るのではなかろうか。彼らは生きても、死んでも地獄である。受け入れ先の手厚い待遇などは期待していないと思う。安全の確保が第一だと思う。 地元商店・スーパーマーケット・工場・農業などで無理のないパート・タイマーとして二・三人が一組になって町村の為、自立の為に有料で働いてもらう。そうすれば、言葉も速く覚えるだろう。子供達には、廃校や公民館を利用して教育や日本の生活・文化を教えてあげれば、将来親日派も増えるだろう。空き公営住居を探しバラバラに入居したのでは生活に不安が生ずる事になり、役所の管理・支援・ボランティア・通訳等々の活動も限度があり困難である。
彼らは、いつまでも日本に居るわけではない。戦争が終わり、ある時期になれば帰国するだろうが、瓦礫の祖国に戻り、家も財産も肉親も失って変わり果てた町で再び地獄を見なければならない。本当に可哀そうである。幼い子供が肉親を失い、路上で放心状態になっている映像を見ると胸が痛む。一日も早い終戦、平和と復興を心から祈っている。
(2022.04.30)
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