ロータリアンの広場


ソロプチミストクラブとロータリアン
スチュワート・モローの関係 (その2 )
2560地区 小山楯夫(新潟)
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2560地区 小山楯夫(新潟)

(中略)
 こうした地域奉仕にくわえて、他の都市にもクラブを組織することが提案され、モローは東部へ、アラメダクラブはカリフォルニアの各都市へとその説得活動を精力的に展開した。  オークランドの初代クラブの熱意はアメリカ各地に伝播し、1926年には太平洋岸に10のクラブが結成された。その中にカナダのバンクーバーB.C.も含まれていたことは、ソロプチミズムの国際的発展の可能性を一段と高めた。この10クラブが1926年にオークランドで会合をもち、連盟を結成する。
   問題が生じた。潜在していた矛盾が表面化したというべきだろうか。
 モローは1962年当時、アメリカ東部からイギリスおよびヨーロッパにクラブ結成のための説得旅行を続けていた。連盟の結成に付いては、彼は賛成したが、集会の力はいぜんあいまいであった。つまり、モローが所有者的役割をもっているため、ソロプチミスト組織のコントロールについて、彼と話し合うべき時機が到来したのである。
 1927年6月、サンフランシスコで行われた第2回目の会合で、モローは、「権利放棄」「今後20年間女性クラブ組織をつくらない」ことに同意し、経済上の解決案として、「5,500ドル(の組織買収)」を彼に支払うことが定められた。
 ソロプチミストの歴史にとって、この会合の結果は快挙であった。なによりも、女性が女性を組織化できることを立証したのである。しかし、クラブ結成初期のモローの尽力、介入はきわめて有用であったことはいうまでもない。1924年2月結成された大ロンドン、同年10月のパリの各クラブはモローの努力なしには考えられないできごとといえる。

 私の感想 : 中々したたかなロータリアン、スチュワート・モローである。

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(2015.11.24)


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