ロータリアンの広場 |
2680地区 PDG 久野 薫(神戸東)
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私たちはこれまで「ロータリー」をあまりにも難しく考え、語ってきたのではないでしょうか。ロータリーという組織は決して複雑で難解なものであってはならないし、そうなるものでもありません。何故ならばロータリーの理念「ideal of Service」は古くから人間が大切にしてきた道徳、つまり寛恕の心と同一のものなのですから、ロータリーが訴えかけている奉仕の理念は時代を超えて変えてはならない「ロータリーのこころ」と呼び直しても良いと思います。また、シンプルなものだと思います。シンプルなものにこそ真実があるのです。
しかし、真実はそう簡単には獲得できないのです。逆に複雑そうに見えるものは チェスリーR・ペリーは「シカゴロータリークラブは、友情を深めることと商売を発展させることの二つを目的として生まれました。この二つの融和が今日の職業奉仕の萌芽となった」と語りました。しかし、この二つの融和は下手をすると親睦と相互扶助というエゴの塊に終わってしまいます。ここに寛恕、「他人のことを思いやり、他人のために尽くす」(Thoughtfulness,Helpfulnass)という「ロータリーのこころ」を入れたことで職業奉仕が生まれたのです。 ここに深さがあります。職業奉仕は儲けたいという内向きのエネルギーと、 顧客に役立ちたいという外向きのエネルギーの調和です。これは寛容なくしては果たせません。また、これが巡り巡って自らの利益に還ってくるという因縁 果律なのです。地球上でボールを空に投げ上げたら、やがて地上に落ちてくることに似て、覆すことのできない自然の法則なのです。だからこそ永続きしているのです。 「ロータリーのこころ」は、なにもロータリーの専売特許ではありません。ロータリーが存在しなかった以前からも、ロータリーがなくなった後からも 存在し続けるでしょう。二宮尊徳翁の「奪うに益なし、譲るに益あり、これを天道という」推譲のこころなのです。世の中にはロータリアンならずとも経済的豊かさと同時に心の豊かさを追い求めている人は少なくありません。真剣に 生きぬいた人だけが初めて到達できるほど深い境地なのです。私たちは健康になりたい、幸せになりたい、成功したい、お金持ちになりたい、有名になりたい等々欲望を持って生きています。この欲望に至る道はシンプルにして、深い のです。
ロータリーはこの「ロータリーのこころ」否、普遍的な人間のこころの大切さを日々私たちに訴えかけている組織だと私は思うのです。この高い精神性を失ったところにはロータリーは存在しないのです。私たちは天上に輝くこの一点を見つめて自己研鑚に努めなければなりません。しかし、この「ロータリーのこころ」は巨大組織の中にあってみれば失われていく宿命、リスクを常に抱えていることを私たちは忘れてはいけません。それが私の言う「ロータリーの
意味論」なのです。
(2015.10.01) |