「コロンビアとシカゴ旅行記 その1」
2610地区 中川英治(白山RC)

PDF版 ダウンロード


 2013 年10月27日(日)〜11月2日(土).。夢の7日間は、福田会長の「誰も行かなくても、私だけでも行く」。白山市美術作家協会の写真展を白山市とコロンビア市の姉妹都市提携25 周年記念行事としてコロンビア市で開催し、そのオープニング・セレモニーに白山市国際交流協会として出席するという会長の決意の言葉。
 面白そうだ。こじんまりした10人程のグループで行けたらいいな・・。それこそ20 数年ぶりのアメリカ中西部・コロンビアへの旅。帰りは、ニューヨーク? ナイアガラ?シカゴ? 色々な条件があって、シカゴに決まり。シカゴといえばロータリーやライオンズ発祥の地。アンタッチャブルと暗黒街・イタリア系ヤクザの街。シカゴ・ジャズが、ブルースが賑やかな街。高層建築・摩天楼。
 そして印象派の名画が展示されているシカゴ美術館。いいぞ、いいぞ。期待は高まる。
 白山市の国際交流課担当は卯野さん。英語に堪能な才女。実に心強い。コロンビア市とのきめ細かなメールのやり取り。完璧な準備が進む。シカゴと航空の手配は私に任された。紆余曲折の挙句、シカゴのとあるロータリークラブが手助けを申し出てくれた。
 いよいよ出発。総勢12名だけど、高崎ご夫妻の行程は帰りにニューヨーク。
 シカゴから帰るのは10名。うちロータリアンは4名。福田夫人を勘定にいれれば、半数はロータリー・ファミリー。OK。ロータリー・インターナショナル本部に寄れるかも。

 順調に成田空港へ。出発までの時間が余って早速宴会に走る人あり。皆さんお酒好き。いいぞ、いいぞ。ダラスまでの機内では西田さんの隣ということで、ワインが眠りを助けてくれる。西田さんはホームステイの生徒を引率していてコロンビアの方々と面識があるらしい。月桂冠の1合瓶が積み込まれていたのを見つけたのは到着間際。帰りはこれだ。
 乗り継ぎもほぼ順調。3列シート50人乗りの機内から見える雲海は、夕焼けに染まり、赤とオレンジのグラデーションに彩られ、毒々しい綿菓子模様。コロンビア到着の頃には夜の帳もすっかり降りて、窓からは闇の中に街灯が小さくぽつりぽつりと見える。田舎町だ。
 小さな空港のターンテーブルは一列だけ。ほぼ10メートル。機材を考えれば十分な長さかな。そしてこの部屋は到着ロビーと一緒。荷物が出てくるまでにトイレへ。お〜いこのトイレ、無駄に広いんだけど!・・・帰りに判明。実は障害者用のトイレ。広いはずなのでした。一般のトイレは別の場所でした。
 お迎えのコロンビアの方々は、Public Communications Manager のMs.Renee Graham さん、ミズーリ大学でProgram Coodinator/Instructor のMs.Amanda M.Carrさん、博多出身の学校教師Ms.Yoko Smithさん、Mr.&Ms.Atkinsonさん、運転手さんと間違えて失礼したRenee さんのご主人のMr.Graham さん。

 それから、短期留学の國學院学生で果夏さん。沢山の方々の出迎えに、初対面での私の頭は混乱してパンク状態。2台のバンに荷物を振り分けホテルへ向かう。星がきれいに見えそうな暗い田舎道。30 分も走ったろうか。コロンビアのブロードウエー。中心市街地のど真ん中に我々の宿舎のタイガーホテル。通りの突き当たりはミズーリ大学。反対へ行けば市庁舎。ロケーションはバッチリだ。建物は古そうだが、しっかり作られている風。回転ドアを通り抜け10段程の階段を登りきるとロビーになる。1階エントランス右側はスター・バックス・コーヒー・ショップ。左側は開放された寛ぎ部屋。幾つものクラシックなそれこそ骨董品が寛ぎ部屋やロビーにしっくりと配置されている。部屋も無駄に広くて気持ちいい。夕食にクロワッサンが運ばれる。Ms.Renee 曰く、コロンビアで飢え死にはさせません。ドアのノックは西田さん。ワインへのお誘いでしたが、成田空港で求めた日本酒で疲れを癒すことに。合わないかなと思ったけどクロワッサンにサンドイッチ状態で挟まっている具のツナマヨネーズがお酒といけて美味かった。こうして10月27日は終わってしまった。

 スター・バックスは表通りにも面している。朝食場所だ。7時オープン。10ドル分の食券がある。昨夜は時差ボケで眠れない。6 時すぎには着替えを済ませ、ミズーリ大学の入口や周辺の散歩をして10分前にホテルへ戻る。スタバのドアが開いている。女子学生風の店員さんが開店準備に忙しい。客は誰もいない。
 Good Morning 朝食はオムレツ、オープンサンド、スクランブルエッグからの選択。スクランブルエッグを頼む。暫くして卯野さんが、そして皆さんが・・・。
 約30 分して私のスクランブルエッグが提供された。ボリュームありすぎ。時間かかりすぎ。皆さんの朝の予定がおおくるい。
 出発までにバスドライバーと軽い会話。コロンビア市は学生数の増加が、人口増と平均年齢20代という活気溢れる町にしているらしい。学生さまさまだ。
 アメリカ中西部の開拓時代は農業。数人の農家が頼母子講から金融業へと発展させて大きな銀行になってしまった。その銀行のオーナーの奥さんと従業員との信頼関係から作られた福利目的の立派な公園にレプリカの日本庭園や昔の小学校教室などが配置されている。戦没者の慰霊碑もある。夏には広い庭園でコンサートが頻繁に開かれ、ピクニックに訪れる家族も多いらしい。  (その2)につづく

(2013.11.20)

「コロンビアとシカゴ旅行記 その1」PDF版 ダウンロード

「ロータリアンの広場」トップページ

ページのトップへ戻る