ロータリアンの広場


ロータリーの歴史年表(2020年6月30日改訂版)その2


2710地区 諏訪昭登PDG
2710地区 PDG 諏訪昭登(広島西)
                         
1940: 第1 回日満ロータリー地区連合年次大会(横浜・5月)。
日本のRC がRI 脱退宣言(9/4)。七曜倶楽部連合会結成。
各クラブは和風名称に変えて例会を続ける。RI「青少年への奉仕の目標」発表。
1941: 日本、太平洋戦争に突入。
1942: RI第13地区の大会が21カ国政府を代表する関係者をロンドンに招待して教育文化交 流機構について協議する会議を開催、これが後にユネスコとして成立。
シニア会員をシニア・アクチブ会員に変更。「ロータリアンに対する事業上の援助と助言」発表。“Service Through Business”宣言文採択。チェスリー・ペリーがRI 事務総長退任。
史上二番目の会員減少(1940~1942)。
1943: RI 理事会は、1932 年にハーバート・テーラー(シカゴRC)が考案した「四つのテスト」 を正式採用。後の1954 年、テーラーはRI 会長就任に先立ち版権をRI に寄贈。
1945: 49人のロータリアンが国連憲章起草に参画。ロータリー財団の目標設定。
第二次大戦終結。グアムRCがRI 復帰(戦後第 1 号)。
1946: 米山梅吉逝去(4/28)。福島喜三次逝去(9/17)。
1947: ポール・ハリス逝去(1/27享年78歳)。追悼募金が5/1までに125,000ドル集ったので「高等教育のための奨学金制度」(後の国際親善奨学生)を開始して18名の奨学生を派遣。
追悼募金は合計130万ドル超に達した。日本第一回RI復帰協議会発足(7/16)。
1948: 職業奉仕解説書、パーシー・ホジソン著「Service is My Business(奉仕こそわがつとめ)」をRIが出版。ポール・ハリス著「My Road to Rotary(わがロータリーへの道)」をRIが出版。職業奉委員会廃止。
1949: 日本のRC がRI に復帰(第 60 地区:東京3/23、京都、大阪、名古屋、神戸、福岡、札幌、他含む13RC、 1949 年度末には20RC))。
1都市1RC 制を完全廃止。ドイツも復帰。国際協議会がシカゴ中心からレーク・プラシッドに移り“Enter to Learn, Go Forth to Serve”掲示開始(ケンドリック・ガーンジイ 1947-48 RI会長 作)。日本戦後初の手島知健ガバナー(東京RC)就任。
パーシー・ホジソンRI会長がRIテーマの原型を初発表。
1950: 2つの標語“He Profits Most Who Serves Best”と“Service Above Self ”をロータリー・モットーとして公式採用(デトロイト大会)。ICGF(後のIM:都市連合会)を義務化。
日本からの第1 期ロータリー財団奨学生送り出す<1949~50>(清水長一米国へ。元国連
難民高等弁務官の緒方貞子氏は翌年の第 2 期生)。中国のRC が解散開始。インドのRCが定款から“male”の字を削除することを提案(否決)。 朝鮮戦争勃発。
1951: 「ロータリー道徳律」本文がRI 細則から削除されて名称のみ残る。中国RC 解散。
ロータリーの綱領の“Objects”を“Object”に変更、単数として一ヵ条の主文と四つの付随項目という解釈(アトランティックシティ大会)。
Aims and Objects委員会廃止。RI 加盟承認番号を廃止。
本最初のICGF(現 IM)開催。
最初の財団奨学生来日(東大)。サンフランシスコ平和条約締結。
1952: 東京RCで古沢丈作会長が米山記念奨学金制度を提案(翌年より実施)。第1号の寄付者は米国のウイリー・ネルソン氏。「手に手つないで」発表(第 60地区大阪大会)。 日本2地区(第60、61地区)に分割。
ロータリー解説書「Adventure in Service(奉仕の冒険)」を RI が出版。
日本で初めてのライオンズ・クラブ設立。
1953: 2地区分割に対応して、機関紙「ロータリーの友」創刊。第61地区神戸大会で「手に手つないで」を唄い円陣を作ることが始まる。「それでこそロータリー」発表。
ホアキン・シビルスRI会長がRIテーマを本格的開始、継続。 朝鮮戦争休戦協定(7月)。
1954: 「四つのテスト」版権が作成者H.テーラーからRI会長就任を機会にRIに寄贈される。
「四つのテスト」公募による邦訳決定(本田親男)。エバンストンにRI中央事務局完成。
RIテーマ公式邦訳開始。第1期米山奨学生ソムチャード・ラタナチャツク(タイ)来日。
チェスリー・ペリーがタルサRCで“ideal of Service”を説明(公式名簿巻末に引用)。
1955: ロータリー創立50 周年シカゴで大会。ロータリー財団の目標改正。日本4 地区に分割。
1956: ロータリー財団週間制定。第1期ROTA(GSEの前身)実施。
規定審議会の最初の隔年会合開催。戦後初の日本語訳手続要覧完成(手島知健、宮脇冨)。
1957: ポール・ハリス・フェロー開始。全国規模の米山記念奨学委員会設立。日本5 地区に分割。
1958: 世界理解週間制定。
1959: 財団奨学生の目的を国際理解に変更。RYLA がオーストラリアで発足。財団GSE採択。
「Seven Paths to Peace(平和への七つの道)」をRIが出版。日本6地区に分割。
1960: チェスリー・ペリー没。日本7地区に分割。
1961: RI第52回東京国際大会開催(エド・マックローリンRI会長、参加国及び地域74以上、23,366人、アジア最初の大会)。天皇陛下来臨。日本8地区に分割。
RIが「職業分類指針」発行。百万ドルの食事始まる(マサチューセッツ州)。
1962: 最初のインターアクト・クラブがフロリダ州メルボルンに設立され世界各国に拡大(翌年、日本最初のインターアクト・クラブ‐仙台育英高校IAC設立。
世界社会奉仕プログラム(WCS)の導入(国際奉仕活動の本格化)。この頃から工業化学薬品過使用、煤煙排出などによる公害、環境問題がクローズアップ。
1963: 「国際ロータリーの基本方針」「ロータリーの基本的特色」「国際青少年計画への指針」発表。世界社会奉仕委員会企画発表。ポール・ハリス夫人ジーン逝去。
カール・ミラー会長がWCSプログラムを開始。
1964: シニア・アクチブ会員、アディショナル会員制度一部改正。
マッチド地区とクラブ・プログラム実施(1963年に計画)。スリランカのRCが女性入会容認の制定案を提出(否決)。
RI 文献日本語翻訳配布事務が東京文献事務所へ移行。
日本10地区に分割。キワニスクラブ日本に渡来。
1965: マッチング・グラント開始などロータリー財団プログラム改正(各種補助金)。
研究グループ交換(GSE)発足。分区代理制度開始。日本11地区に分割。
1966: WCS財政援助制限解除(金銭的援助緩和)RI職業分類指針発刊(最終)。最初のGSE来日(サンフランシスコRC中心、東京RCホスト)。
1967: ロータリー米山記念奨学会を財団法人化。地区出席競争制定。日本13地区に分割。
1968: 東ヶ崎潔氏が日本初の RI 会長に就任(1968-69)。
ローターアクト計画発表(同年、川越に日本最初のローターアクト・クラブ設立)。
海外ロータリー・ボランティア制度発足。世界親睦活動発足。居住地会員制度制定。アーチ・クランフ賞設定。職業分類表を各RCに委任。RIとRIBI関係正常化。「意義ある業績賞」設定。日本14地区に分割。東京帝国ホテル旧館取壊しで「友愛の樹」枯死救済策開始(矢野一郎氏)。一世樹枯死すれども、挿し木により7本再生=二世樹)。
1969: 青少年活動週間制定。地区幹事・地区会計制度制定。IGF開催をガバナーの裁量に委任。
1970: 規定審議会を3年毎のRI の立法機関として決定(組織の立法化)
日本ロータリー50周年。「ロータリー資料室(現ロータリー文庫)」設立。
シニア・アクチブ会員制度一部改正。「職業分類対訳表」発行。日本17地区に分割。
1971: 1959年オーストラリアとニュージーランドで開発されたロータリー青少年指導者養成プログラム(RYLA)を公式採用。
世界社会奉仕推進を強調。「公害防止の指針」発表。日本18 地区に分割。
「ロータリー日本50年史」出版。ロータリー重要文献日本語訳改定実施。
1972: RIの立法機関としての規定審議会が初開催(ヒューストン大会)。「環境の改善」発表。
第1回ロータリー研究会開催。米国のRCが女性会員入会を提案(否決)。
1973: 日本20地区に分割。
1974: 青少年交換プログラム始まる。環境保全と資源問題の委員会設置。中断の「意義ある業績賞」復活。規定審議会の3年毎開催確定。
1975: 「国法の遵守」発表。「ロータリーの友」英語版創刊。
この年度後半、6月にRI第366 地区(大阪・和歌山)がRYLA を日本で初開催。
1976: ロータリーの目的(定義)発表。
1977: 規定審議会をRI大会から独立の立法機関として開催。
カリフォルニア州デュアルテRCに女性(S.ウイットロック)が入会。日本22地区に分割。
1978: RI 第69 回東京国際大会開催(ジャック・デービスRI会長、参加国及び地域 95 以上、39,834人)。
保健・飢餓追放・人間尊重(3-H)プログラム発表(RI 主導型奉仕活動)
米国デュアルテRCが女性を入会させていたのでRIがクラブを除名(3月)、その後裁判へと移行。ロータリーの目的(定義)を手続要覧に掲載。日本23地区に分割。
1979: 職業奉仕週間新設。フィリピンでポリオ予防接種開始(3H 補助金第1号)。
1980: ロータリー創立75 周年シカゴ大会。それに合わせてポリオ予防接種のための 3-H プログラム推進
「道徳律」(RI 細則第16条)が名称だけ残っていたのを完全削除(80-22)。
「ロータリーの友」公式地域誌に認定。日本24地区に分割。「友愛の樹」一世樹から再生の二世樹7本の内、東京帝国ホテル左前庭、皇居北の丸公園に移植(東京RC創立60周年記念)他、米山記念館、二宮尊徳記念館。残り3本中1本枯死、2本が神奈川県大井町の第一生命本社敷地内に現存。二世樹から枝分けされた少数の三世樹からの四世樹が拡散開始。
1981: 恒久基金設定。RI日本支局開設(現日本事務局)。
1982: 向笠広次氏、日本人二人目のRI会長に就任(1982-83)。「日本ロータリー60年史」出版。
毎週例会を全RCが導入。ダラス大会で初めて“Women in Action for Rotary”セッション開催。日本26地区に分割。第一回日韓親善会議開催(於ソウル)。
1983: ロータリーの特別月間開始。女性入会容認で、除名されたデュアルテRCがRIを提訴。
1984: 「ロータリーの基本的特色」発表。「ロータリーの目的」を「ロータリーの定義」と改正。
決議 23-34 が手続要覧から突然の削除。最初のカラー・ジャケット(黄色)をカルロス・カンセコRI会長が使用。
1985: ロータリー創立80周年。「ポリオ・プラス計画」を発表(翌年より実施)。1億2,000万ドル募金発足(ポリオ撲滅運動の推進)。日本27地区に分割。
1986: ロータリアンが100 万人を突破、日本では10万人を超える。
決議23-34 が手続要覧に復活。ローズ・パレード(パサデナ)でポリオ・プラス計画をテレビ公表。RCC(ロータリー地域共同体)採択。カリフォルニア州最高裁で勝訴したデュアルテRCがRIに復帰(9月)。デュアルテRCで世界初の女性会長シルヴィア・ウイットロック就任。新設では世界初の女性を含めたマリン‐サンライズRC創立。
1987: RI 職業奉仕委員会復活(40 年ぶり)。職業奉仕に関する声明発表(職業奉仕概念の変更)
初めてのRI平和フォーラムがエバンストンで開催。日本28地区に分割。
1988: 広島で1987年度第4回ロータリー平和会議(フォーラム)開催。ロータリー友情交換採択。
「他団体への協力」発表。ロータリー理解推進月間・会員増強拡大月間新設。GPEI(世界ポリオ撲滅推進活動)発足。ポリオ・プラス募金2億4,700万ドル達成。
1989(H1): 女性ロータリアンを認める1987年米国連邦最高裁RI敗訴判決を受けてシンガポール規定審議会で採択(89-54)。日本最初の女性会員 松田郁子入会(第2500地区 北海道清水RC)。
「ロータリアンの職業宣言」採択。“Service Above Self ”(超我の奉仕)が第1標語となる。「ロータリーの定義」文言改正。
「綱領」の日本語訳文変更。日本30 地区に分割。
1990: IGFをIM に呼称変更(日本 ICGF→IGF→IM)。
ソビエト連邦政府とRIがモスクワに仮ロータリークラブ結成を合意した。(3/24)
「子供の権利」発表。ロータリー財団寄付シェア・システムに改正。「われらの天体、地球の保全プログラム」発表。
1991: 日本ポリオ・プラス・キャンペーン終了(募金総額 49 億円:1985年から目標40億円)。その後、財団ベースで継続。
ロータリー財団シェアシステム実施。「国際ロータリーの使命」発表(団体奉仕活動の提唱)。日本31地区に分割。
ソビエト連邦が崩壊し(12/25) ロシア・ソビエト連邦共和国成立。以後、この通称“ロシア共和国”内にウクライナなど多くのロータリークラブが急速に設立された。
1992: 社会奉仕に関する声明(決議 92-286)採択(社会奉仕基準の改正)
環境保全(決議 92-287)を発表。アディショナル正会員制度一部改正。規定審議会へのクラブからの提案は地区大会決議を必須とした。地球温暖化が注目される。日本33地区に。
1993: 世界社会奉仕の目標発表。

(2020.11.05)


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