ロータリアンの広場


「WASPとロータリー」

2680地区 PDG 田中 毅(尼崎西)
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2680地区 PDG 田中 毅

 ロータリー・クラブはWASP White Anglo-Saxon Protestant を中心に作られた団体です。 アメリカの東部へ最初にやってきたのはアングロサクソンであり、カソリックの教えに強烈に抵抗したプロテスタントの人達でした。
 その後、大飢饉の影響によって、大量のカソリックを信仰するアイルランド人がやってきました。 プロテスタントを信仰するイギリス人によって開かれたアメリカという、宗教上の敵地に乗り込んだアイルランド人は、いじめ、他処者扱い、人種差別を受けました。

 彼等はその差別から逃れるため、新天地を求めて西部の町シカゴへ移って、自分達の王国を築き上げました。カソリック教徒がつくった町シカゴに、同じカソリック教徒が世界中から集まってきました。カソリック教徒であるポーランド、イタリア、ユダヤ系ドイツの人達はここに安住の地を見出しました。>
団結心と町づくり、政治的手腕に長けたアイルランド人は東部プロテスタントの人達が関わった共和党という政治基盤とは別に、民主党の地盤をつくりました。それが報われたのはアイルランド移民のJ.F.ケネディがアメリカ合衆国の大統領に選ばれた時です。ちなみに、ケネディ以前のアメリカ大統領41名は、全てアングロサクソン・プロテスタントでした。

 WASPの共和党、それ以外の移民の民主党という構図は今でもそのまま残っています。
 当初は人種や階級的格差といった偏見の根拠として作り出された、骨相学や人相学といった19世紀の疑似科学や、人種的劣等性に基づくナチスのイデオロギーや、人種差別を科学的に纏めようという生物学的決定論も、ロータリーの白人の間では徐々に薄れて同化していきました。

 表向きには、宗教や人種的な差別をしないという前提で、ロータリーの拡大が進められてきましたが、WASP優先の姿は、今でも変わっていません。 1990年ごろに何回かニューヨークでメークアップを行いました。マンハッタンには二つのクラブしかなく、ニューヨーク・クラブは全員白人と黄色人種、もう一つのアッパー・マンハッタン・クラブは全員黒人でした。現在は変わっているかもしれません。
 ブルーネットや黄色人種のロータリー参加は、比較的早い時期から認められましたが、黒人がロータリー運動に参加できるようになったのは1960年代の公民権運動以降であり、女性に門戸が開かれたのは、1987年になってからです。

 これらの変化の殆どは、アメリカの法律の改正に基づくものであり、ロータリーやロータリー財団の管理運営が、アメリカ連邦法やイリノイ州法に左右されるという、異常な状態が続いています。
 ロータリー運動を世界に広げるためには、WASPやアメリカの国内法にとらわれることなしに、民族、文化、言語などの多様化を尊重した中間管理組織による管理運用が是非とも必要だと思います。

(2018.01.15)

=== 「WASPとロータリー 2」 ===

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