『武士道解題』ノーブレス・オブリージュ
李 登輝(前台湾総統)
李 登輝(前台湾総統)
![]() 2510地区 PDG 塚原房樹 |
先日「札幌真駒内ロータリークラブ」の40周年記念式典があり、出席いたしました。姉妹クラブの台湾の「台北・大同ロータリークラブ」より、真駒内クラブの会員数の2倍を超える40数名のロータリアンが参加されていました。
一行の中に張育宏PDG(国際扶輪3480地区)がおられました。なんと、張PDGは源流の会の会員で、「ロータリアンの広場」を読まれており、流暢な日本語であなたの原稿をいつも読んでおりますと仰っていただきました。
台湾の張さんが源流の会の会員であると知った時、私の頭の中に、全米ロータリー連合会が創立2年後に、アメリカ以外の国から初めて、カナダのウイニペッグクにロータリーラブが創立され、全米ロータリークラブ連合会から国際ロータリークラブ連合会(R.I.)に名称を変えことが頭をよぎりました。
源流の会もまず、東洋哲学を背景とする東アジアの指導的ロータリアンの方たちにPRをしていけば、「源流の会・インターナショナル」と改称される日も夢ではないでしょう。
張PDGとは、残念ながらお話しする時間があまりなく、東日本大震災に、どこの国よりも早く、どこの国よりも多額な義捐金をいただいた事に対して心よりお礼を申し上げました。
ロータリーは原則的に政治問題には触れませんので、政治問題は抜きにして、個人的に一度ゆっくり台湾のロータリーの現況・実情についてお話を伺いたいと思いました。また張PDGには、日台・親善交流の懸け橋として、ぜひとも源流の会の「ロータリアンの広場」に投稿してくださるようこの原稿を通してお願い申し上げます。
今回、大勢の台湾のロータリアンの皆さんとの出会いに触発されて、李登輝・前台湾総統が、2003年に出版された『武士道解題』副題「ノーブレス・オブリージュ」を思い出し、久しぶりに読み直しました。
《「武士道解題」李登輝著》
これは、新渡戸稲造さんが100年前に書いた『武士道』を読み込んで、その各章に沿って李登輝さんが解説を加えたものです。
李登輝さんは、かつて台湾の総統だった12年間、台湾を力強い国家に育て上げた大政治家です。李登輝さんは、熱心なクリスチャンです。そのクリスチャンがなぜ、いま「武士道」なのか。李登輝さんは、はっきり言うのです。あの疾風怒濤の12年間の総統時代、私を支えたものは何であったか、それは武士道とキリストへの信仰でした。反対派の脅しにも屈せず、信念を貫き通して教育改革、政治改革、経済改革など、様々な改革を次々に実現できたのは、武士道によって培われたものがあったからだと言います。李登輝さんは22歳のときまで日本人でした。頭の中では今でも、いつも日本語でものを考えているといわれました。
李登輝さんの著書から引用します。私が初めて『武士道』という本と出合ったのは旧制の台北中学の頃ですが、最も尊敬する新渡戸稲造先生の生き方とも相まって,まさに雷に打たれたような衝撃を受けたものです。
武士道などというと、とかく封建時代の亡霊のように言う人が多いようですが、新渡戸先生が精魂を込めて書き上げたこの本を本当に真摯に精読すれば、そのような受け止め方がいかに皮相的で浅はかなものか、直ぐにわかるでしょう。本書の中で、私は繰り返し繰り返し「いま、なぜ武士道か」という問題を、日本および日本人に対してだけでなく、私自身に対しても問いかけています。
(中略)
特にこれからの日本を背負っていかなければならない若い人々は、ややもすれば未来への指針を見失いがちのように思えてなりません。そして、その大部分の責は確固たる姿勢と信念を見せてこなかった大人たちが負うべきだ、と私は思います。
戦後社会の混乱の中で、日本の大人たちは、それまでの世界的に素晴らしかった精神的な価値をないがしろにして、「高度成長」の掛け声の下で物質主義的で拝金主義的な価値観ばかり追い求めてきたからではないでしょうか。
「武士は食わねど高楊枝」という毅然たる生き方はいったいどこへ行ってしまったのでしょう。私が声を大にして「武士道」を再評価しようと言っているのは、日本および日本人本来の精神的な価値観を今一度明確に想起してほしいと祈るような気持ちで切望しているからです。
要するに、「伝統」と「進歩」という一見相反するかのように見える二つの概念を、いかに止揚(アウフヘーベン)すべきかという問題に帰するわけですが、「進歩」を重視するあまり「伝統」を軽んずるというような二者択一的な生き方は愚の骨頂だと思うのです。
李登記さんの文章を長々と引用しましたが、李登輝さんは、日本の世相を憂える我々の声をそっくり代弁してくれているではありませんか。そしてこれはそのままロータリーの問題でもあるのです。残照の職業奉仕の目指すべきところを的確に指摘しています。また青少年奉仕の問題にも繋がっています。では次に新渡戸先生の「武士道」をご紹介します。
《「武士道」新渡戸稲造著》Bushido: the soul of Japan
新渡戸先生の『武士道』は1898年、新渡戸稲造がアメリカ滞在中に英文で書いたものです。『武士道』は、日本を表徴する桜の花と同じように、わが国土に固有の花である。『武士道』はこうした象徴的な一文から始まります。 桜の花が日本の武士道を象徴するとすれば、西欧の騎士道ないし哲学を象徴するものは薔薇である。武士道を一言で表現するならば、フランスの「騎士道の規律」・ノーブレス・オブリージュであり、「高貴な身分に付随する義務」と言える。
武士道はつまり、いかに死ぬべきかを問うたものではなく、いかに生きるべきかという問いに対して闊達自在な日々の心構えを説いたものだからである。
武士道の拠り所の一つは「仏教」である。仏教は、運命に対する信頼、不可避なものへの静かな服従、禁欲的な平静さ、生への執着心を捨て死に対する親近感を与えた。もう一つは「神道」である。神道は、主君に対する忠誠、先祖への崇敬、孝心などをもたらした。道徳的な教義に関しては、「儒教」が豊かな源泉となった。『武士道』を読むときに、気にとめて頂きたい点があります。それは、新渡戸稲造はクエーカー派と呼ばれるキリスト教徒であるということです。欧米では、宗教教育なくして道徳なしといわれますが、日本では武士道が永らく指導者たちの道徳規範でした。しかし武士道の精神は今や、はるかかなたの残影となってしまいました。
李登輝さんの解説によると、この本は初版が刊行されるや否や、世界中に大きな反響を巻き起こしました。なかでも、時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、超多忙であったにもかかわらず、この本を手に入れると、徹夜で読破したという。そして感動のあまり、翌日ただちに三〇冊を自分で買って、世界中の要人に配って、「ぜひ一読するといいです」と勧めたそうです。
それからしばらくして、日露戦争がありました。日本とロシアが戦った。そのときセオドア・ルーズベルトは、日露の講和条約の仲介に入ってくれました。
つまり日露戦争を終わらせることができたのは、彼が仲介してくれたからです。仲介に入ってくれたのは、彼が日本の武士道というものを理解し、日本精神というものに深く共鳴してくれたからなのです。
《新渡戸稲造の英文句碑》
岩手県の平泉に毛越寺があります。そこの境内に『夏草や 兵共か 夢の跡』という芭蕉の真蹟の句碑があります。また新渡戸稲造がその句を英訳した筆字の句碑があります。
“The summer grass Tis all that's left Of ancient warriors' dreams.”
数年前、この前に立ち偉大な日本人新渡戸稲造に深い思いを馳せました。なお新渡戸稲造のお墓は多磨霊園にあります。
(2014.05.25)
『武士道解題』ノーブレス・オブリージ 李 登輝(前台湾総統)
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