続・『職業奉仕』
奉仕をシンプルに理解する
奉仕をシンプルに理解する
![]() 2510地区 PDG 塚原房樹 |
《手あかにまみれた奉仕という言葉》
2560地区 小山楯夫さん(新潟)の「“service”と“奉仕”を考える」を興味深く拝見しました。
私は以前にも書きましたが。どんな言葉でも長い間使われていると手垢にまみれふやけてしまうものです。ロータリーの「奉仕」という言葉はその代表格といえます。ロータリーの世界では右を向いても左を見ても奉仕、奉仕の掛け声ばかりで、何か大切なものが失われてしまったようです。「奉仕」はもともと宗教上の言葉ですが、神への奉仕から「祈り」が失われたらどうなるでしょうか。ロータリーの奉仕から相手の幸せを祈る心が失われたらどうなるでしょうか。今のロータリーは相手の幸せを祈る心を忘れた財団寄付が主流となったことは残念です。
また日本では奉仕という言葉は、主に年末大奉仕、奉仕の大バーゲンセール、奉仕品という風に商店の売り出しの時によく聞かれます。英語の*Service”の訳語”奉仕”という言葉は日本語にはなじみません。
*Service”の日本語訳を色々考えましたが、「親身になる」こと。これが*Service”の日本訳語」として一番ぴったり合うように思います。
たとえば、社会奉仕とは“Community Service”の訳語ですが、社会奉仕というと何か立場の上のものが、下のものに施してやる、恵んでやるというようなニュアンスがぬぐえません。社会奉仕とは「良き市民たれ」ということで、本来は自分の住んでいる市や町に「親身になる」ことでありましょう。
今、奉仕とは「親身になること」といいましたが、それなら職業奉仕とは自分の商売に「親身になる」こと。これが職業奉仕のすべてです。仕事をするとき職業奉仕などという言葉が頭の中をうろついているようではまだ本物ではありません。仕事をしているときは、自分の仕事に親身になること。職業奉仕をシンプルに考えてみてはいかがでしょうか。
前回、職業奉仕は知る(to know)より成る(to be)が大事だと申しました。
ロータリーの職業奉仕の本質は、職業奉仕がロータリアンの生活の中に生かされてくるのでなければ、いかに理論に卓越していても無意味です。そこで職業奉仕をいかにしたら日々の生活の中に生かせるのかを申し上げてみます。
《職業奉仕を日常に活かすために》
職業奉仕を日々の生活に活かすための秘訣はあるのでしょうか。「4つのテスト」の【三省】(さんせい)はいかがでしょうか。【三省】とは「論語」の学而篇に「吾日に吾が身を三省す」とあります。その意味は一日に何度も自分の言行をふりかえってみて、過失のないようにすることです。職業奉仕を会得するためには、毎日の行動が「4つのテスト」に悖っていないかどうか、一日三回は無理ですが、せめて一日に一度は反省したいものです。
私はあるロータリアンから次のような話を聞きました。「自分は永年出席100%を続けております。仕事が忙しかったので、会長・幹事はなれませんでした。ただロータリーに入会して以来「4つのテスト」だけは30年の間、仕事をするときいつも心の中に持っておりました。そのおかげで私のような小さな商売をするものでも、ロータリーをやめなくてすみました」私はこの言葉を聞いてこれこそが職業奉仕の極意だと悟りました。
「真理とは単純にして平凡である」という言葉があります。同じように職業奉仕も単純にして平凡なものです。しかしこれを実践できる人は非凡な人でしょう。因みに三省堂書店の店名はこの論語からつけられました。
ロータリーの職業奉仕の最も大きな存在価値は、職業奉仕を常に心の中に置いておくと無限に地獄に落ちないで済むということです。職業奉仕の究極の目的は自己滅却の奉仕”Service, not self“のことと云えます。エゴの否定はロータリアンに課せられた永遠の課題です。
今の自分にはとてもロータリーの唱える自己滅却の奉仕は無理だが、自分はその理想にいつか近づき、その理想を実現しなければならない。大切なことは、ロータリアンは常に理想と現実の距離を測ることにより、無限に地獄に落ちないで済むということです。
参考・引用文献 『私のロータリー』森三郎氏
(2014.11.10)