ロータリアンの広場


続「職業奉仕の終焉」
ロータリーは円形ではない。楕円形である。
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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2510地区 塚原房樹PDG

 これからの職業奉仕の在り方を皆さんにお伺いしましたところ、早速私の畏友、同期の廣畑PDG、日頃敬愛する服部PDG、刀根さん(敦賀RC)から、示唆に富んだご意見や資料をいただき感謝しております。

 職業奉仕は ”Vocational Service”の訳語です。本来ロータリアンにとって職業は“Vocation” (天職)だったはずです。
 この初期ロータリーのプロテスタンティズムの倫理が、日本の伝統的職業観と見事に共鳴して、私たちの先輩は熱狂的にロータリーを信奉しました。職業奉仕こそロータリーの金看板だ、などというのは日本の風土が生んだ言葉です。
 長らく日本では、ロータリーとは何かという問いは、職業奉仕とは何かという問いに置き換えられてきました。個人の規範としてロータリー運動を一元論的に形而上の問題としてとらえてきました。
 しかしロータリーには、個としての個人の働きと全体としての組織の働きがあります。その働きが均衡するところに組織は成立し維持されます。

 「真理は円形に非ず、楕円形である」という内村鑑三の残した好きな言葉があります。円は中心が一つですが、楕円形には中心が二つあります。世の中のことは、中心が一つしかないという考えからは争いが生まれます。常に全体と個、現状維持と改革、といったように二つの中心でものを考えることによって、調和を維持しながら、現状から発展させていくということが可能になるのではないでしょうか。
 ロータリー運動にも2つの中心点があります。それは前回も書きましたが1つはロータリアン個人の規範と、もう1つの中心点は集団の規範です。それぞれの規範は、没交渉の中心ではなくて、ロータリアンとRIという関係性の中で繋がっている中心です。個人と全体というものが、切り離せない関係の中にあって、どうすれば我々のロータリーが良くなるのでしょうか。そのためには、個は全体を思い、全体は個を思う必要があります。

 ロータリーは創立当初より、たがいの文化的な価値の違いが唱える「否定」を潔しとせず、これを超越することによって障壁のすべてを乗り越える生き方を求めて努力してきました。ロータリーは意見の異なるものと対決するのではなく、これらが持つ価値を止揚=*アウフヘーベンするものです。
 アウフヘーベンとは、 違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、より高次元の段階を導くことです。

 ロータリアンが自分の職業に誇りを持ち、自分の職業を通じて地域社会に奉仕するという基本的態度をとりながらも、本質的にはロータリー運動は国境を越え、人間を人間として結び付け助け合うようにさせるものです。
 職業奉仕は日本のロータリアンの精神的支柱であり、日本ロータリーのアイデンティティーです。職業奉仕の精神をできるだけ堅持しつつRIの方針に協力してゆく道を探りましょう。

 最期に元RI 理事の言葉をお伝えします。
「そもそもわれわれ日本のロータリアンは、ロータリーがどうあるべきか、今RI がどんな方向へ舵取りをしたいのか、を恒常的にしっかり議論する場を持つ必要があると思うのです」「日本のロータリーの存在価値を示していきたいものです」と述べられていました。

(2015.09.24)


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