ロータリアンの広場


『続・アメリカのロータリーの底流にあるもの』
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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2510地区 塚原房樹PDG

 日本においては、日本のロータリアンの信奉する職業奉仕には形而上学的な裏付けがありました。それは大乗仏教の訓えであり、儒教の訓えです。その下地があったので職業奉仕はロータリーの金看板と云われ、我々の先輩ロータリアンは職業天職論を熱狂的に受け入れました。日本の二宮尊徳は、シェルドンの標語とおなじ趣旨のことをシェルドンより60年前に説いています。尊徳翁の道徳経済一元論、「道徳なき経済は犯罪である」「経済無き道徳は寝言である」という言葉は、ロータリーの実践倫理運動の一面をよく表しています。日本人の形而上学的哲学に裏付けされた職業奉仕とは、行動ではなく、思索であり、実践ではなく理論でした。ロータリー運動も根底にある哲学の違いから、日本とアメリカでは奉仕観に違いが生じました。 日本のロータリアンにとって、実践そのものはいかに尊いものでも、それは哲学としては失格です。哲学とはあくまで知性の立場において問題を解決し、存在の根底を知性によって求めようとするものなのです。 

 しかしそこに最後の問題があります。それは、そのような思索の立場は私たちの現実の生活にとっていかなる意味を持つかということです。別の言い方をするなら理論と実践はどちらが尊いかということです。しかし、この問いに対する答えは明瞭です。  なぜなら人生においては、実践ほど尊いものはないことは明らかであるからです。「生きる」とは創造することです。そしてその創造は実践的行動によってのみ実現されるからです。しかしながら、実は、ここにこそ最後の最大の問題が潜んでおります。 それは、「いったい何を実践するのか」ということです。そしてこの時燦然と輝きだすものこそ、「理論」なのです。理論のない実線、それは盲目的であり、動物的であります。人間の行為は、しかしどこまでも理論と理想の上に展開されねばなりません。そうして、その理論の根本をなすものこそ哲学なのです。哲学こそ、社会を変革し歴史を創造する原動力なのです。

 プラグマティズムはアメリカの意識されない土台なのです。保守も、ネオ・リベラルも皆その基層は、プラグマティズムなのです。bestを慕い求めながらも、実際的には、その都度 betterを選ぼうとする、このプラグマティズムの思想は、頻繁に起こるアメリカ民主党と共和党の政権交代や、新移民に対する追放から同化への政策変化などにも表れています。 「アメリカが世界最強の国であり続ける」理由が、「知識のあくなき実践」であるプラグマティズムにこそあります。それはアメリカ建国以来の彼らのDNAであり、下部構造となって上部構造である他の思想や社会制度を規定しています。だからアメリカは、リベラルと保守をその都度うまく使い分け、世界一の座に君臨し続けることができたのです。

 たしかに、知識そのものよりも実践を重視するプラグマティズムは合理的思考であり、イデオロギーにこだわって自滅していった国家よりも強いといえます。御承知のようにソビエトは、マルキシズムというイデオロギーを絶対視して崩壊しました。 「プラグマティズム」を翻訳すれば「実用主義」です。確かに効果が同じであれば、同じ物と捉えてよいという発想があります。この反形而上学的な発想は、コストのかからない代替物を作り出します。つまり経済的合理性に徹する進歩主義という長所があります。

 だがプラグマティズムは物事を特定の実用の観点からのみ捉えるため、その他のことに注意を怠り、地球を維持するための温暖化抑止を無視して大切な環境を破壊したり、資源を無駄にしたりするなどの危険を伴いがちです。現代世界を代表するアメリカ文明を指導した原理がこのプラグマティズムでしたが、プラグマティズムには長所の面もあり、また短所の面でもあるということでしょう。

 日本のロータリーはアメリカのロータリーと乖離しているといわれますが、その根底にはロータリーを形而上学的にとらえてきた東洋哲学とアメリカのロータリアンの底流にある形而下的な哲学、プラグマティズムの違いによるものではないでしょうか。

(2019.12.16)

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