『ロータリーの主役は誰か』
 2510地区 塚原房樹PDG
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イタリア・モンツァ市の市議会は,金魚を丸いガラス鉢で飼うことを禁じました。金魚鉢の側面が曲がっていて金魚には外界が歪んで見えるから,そんなところに入れておくのは残酷である,というのが提案の主旨です。ロータリー運動は金魚鉢の中の運動ではない、外界の変化と連動していいなければなりません。
しかし、我々は、金魚鉢の中の金魚のように限られた非日常の世界から、自分を中心にロータリーの世界を見てきたのではないでしょうか。非営利組織となった現在のロータリーの大きな変化についてゆけず戸惑っているような気がします。思い切って金魚鉢の外へ出て、国際ロータリーとロータリークラブの構造変化を見てみましょう。
《国際ロータリーの誕生》
国際ロータリー(以後RI)は、シカゴクラブ内の喧嘩の火種を取り除くために1910年に全米ロータリー連合会として生まれました。シカゴクラブの喧嘩の種とは「奉仕哲学の追求」と「ロータリーの拡大」にありました。この二つはクラブには、荷が重すぎて、内紛が起こりシカゴクラブは分裂の危機にありました。その危機を避けるためにチェスリー・ペリーは、RIを立ち上げ喧嘩の火種であった「奉仕哲学の追求」と「拡大」の二つをRIに委託しました。
RIはロータリークラブから委託されたことを行うための受託機関であり、連絡調整機関でした。ロータリアンはRIのために人頭分担金を負担します。ロータリアンはRIの主人公でした。
《主人公からパートナーへ》
しかしロータリーは先回、書いたように非営利組織となりました。非営利組織になったロータリーにとって第一に問われるものは、「われわれの使命・ミッションは何か」ということです。組織とは必ず何らかの目的があって生まれます。ミッションとは組織の「存在理由」です。かつて、ロータリークラブの委託機関であったRIは、今やミッション達成のために戦略を考え抜くためのヘッドクォーター・本部となりました。そしてミッション達成に欠かせない二種類のお客(クライアント)を持つようになりました。
第一のお客はロータリアンの活動によって生活が改善される人々です。ミッションは非営利組織の究極の行動目的であり、使命を達成させるためには、それを必要としている外部の人たちの存在があればこそで、組織外の人たちが第一に必要なのです。もう一方の第二のお客は資金を提供してくれる組織内のパートナーとしてのロータリアンです。
パートナーは組織の活動に参加することで満足感や達成感を味わいたいと思っている人達です。
そのロータリアン達は組織が提供するものに「ノー」と言える人たちです。気に入らないことがあればさっさとやめてしまえる人たちです。
特に非営利組織は自発性を基礎としています。そのため、パートナーが満足しなければ成果を上げることはできません。パートナーとしてのロータリアンは大事なお客です。そのため、非営利組織のマネジメントにあってはつい、内部の組織の論理を優先したくなります。
しかしRIは「パートナーとしてのロータリアンを外部の活動対象としてのお客と同一視したくなるのは人情ですが、ミッションを達成させるためには、その焦点はあくまでも活動対象としての第一の顧客に絞らなければならない」と、くぎを刺します。
ロータリアンは、かつてRIの主人公でした。RIのクラブに対する直接監督権は、職業分類と例会出席のわずか二つでした。例会は、異業種の会員と切磋琢磨して己の限界を知り、自分の職業への転機を見出す場所でした。職業奉仕はロータリーの「目的」に明記されており、RIの指導指針でした。
ロータリーが非営利組織となった今、先人の知恵が開発した優れたロータリー哲学は希薄になり、ロータリアンは自発的に寄付をするRIの第二のパートナーとなりました。
《金魚鉢の世界》
「金魚鉢の中に生きている」金魚にとっては,その世界は,何の不都合もなく,生活の一部であり,整合的で理論化が可能なものです。金魚が見ているロータリーの世界は、今、私たちが見ているロータリーの世界とは違うと云いましたが,金魚の見ている世界が今の世界より本質的に劣っていると断言できるのでしょうか?
非営利組織となったロータリーにとっては、職業奉仕は、もはや過去の歴史的遺物となってしまったのでしょうか。ドイツの文化相は、コロナウイルスにアートが蝕まれていく中で、『芸術は人類の生命維持装置である』という発言をしました。私は、どのようにロータリーが変わろうとも、『職業奉仕はロータリーの生命維持装置である』と信じています。折を見て職業奉仕の是非に触れてみたいと思います。
(2020.04.27)
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