ロータリアンの広場 |
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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不遜な言葉ですが、私はロータリーの始祖ハリスの歳をすでに超えました。米山さんの歳も超えました。畏れ多いことですが、釈迦牟尼は80歳で入滅されました。私はいたずらに、ただ馬齢を重ね85歳となりました。やがて、自分も束の間にしてその歴史の中に埋没しまうことを知ります。いまだ、開眼できずにいる自分の不明を恥じ、忸怩たる思いに責められています。 人生とは何かという大きな問題に私は答えることはできません。しかし自分の過去を振り返り、なるほど、これが人生というものであろうかとはっきり感じさせられるものがあります。私は自分ひとりの力で生きているわけではなく、自力で成長しているわけでもありません。書物を通じて接した様々な師、そしてロータリーの先輩・友人のおかげで今があります。人生を人生として私に確認させるものは、一言で言うなら邂逅…出会いであると言ってもいいでしょう。「ロータリーの目的」の第一に「奉仕の機会として知り合いを深める」とあります。私はロータリーによって結ばれた友情に人生の人生たる証を学びました。若しロータリーの会員に選ばれていなかったら、若しロータリーで巡り合えた友人たちがいなければ私の人生はどうなっていたであろう、そこに生ずるのは身の引きしまるような感謝の念と歓喜であります。 そのロータリーが変わりました。この世の中の一切のものは常に生滅流転して、永遠不変のものはないということは知っておりました。時代の変化に応じてロータリーの奉仕プログラムも変化していくのは当然と思っておりました。しかし、自分の人生の中で「NPO革命」を経験するとは思ってもおりませんでした。組織とか制度というものは、それが成長し膨張拡大すれば、その本来の目的を離れて独り歩きし始めるものです。 組織は常に「大きさ」を求めます。その本能的欲求を満たすために、RIは戦略計画の採用と組織構造の変革を進め、ロータリーは情緒的自由結社(クラブ)から非営利組織(企業)へと変わりました。 さらに今年度は、コロナウイルスのパンデミックにより、急速にロータリーは変わりました。国際大会、地区大会はもちろん、クラブのフェイスツーフェイスの会合は影を潜め、代わって、Web会議が主流となり、ロータリーが短期間でよくもこれほど大きな変化を遂げたものかと思い知らされました。ボルガー・クナークRI会長は『ロータリーが"オールド・ノーマル"(過去の常識)に二度と戻ることがないのははっきりしています。それは、胸躍るチャンスだと思うのです。ロータリーを見直し作り直す中で、革新と変化があらゆるレベルで起こっています。新たな柔軟性がデジタル文化と融合して、これまでに見たことのないような変化を引き起こしています』と述べています。確かに、これからのロータリーの会合は、オンラインが主流となるでしょう。 しかしデジタル化と共に、かつてRIの指導指針であったロータリーの優れた思想の数々も、二度と戻らない”オールド・ノーマル”(過去の常識)となってしまうのでしょうか。 ロータリーは優れた思想の殿堂です。その思想はロータリアンの「生きる糧」であり、「みちしるべ」でした。昔、私は札幌東ロータリークラブの会員に推薦された時、心の躍るような感激を覚えました。ロータリーに入れて頂いたという感謝の気持ちが心に湧きました。 私は自分自身に問いかけました。選ばれて何をするのか。いうまでもなくロータリーの目的と精神を実現するためであります。そのためには「ロータリーとは何か」を知らねばなりません。「ロータリーとは何か」という、この疑問ほど私を悩ませたものはありません。当時はロータリーの文献は少なく、いたずらに私の模索が続きました。 そのような時クラブの長老から「決議23−34」の存在を教えられました。その第一項は、私が求め続けていた「ロータリーとは何か」という疑問に「ロータリーは人生哲学である」と明快に答えてくれました。私は覚醒しました。 (ロータリーは、基本的には、一つの人生哲学である) それは利己的な欲求と義務およびこれに伴う他人のために奉仕したいという感情とのあいだに常に存在する矛盾を和らげようとするものである (:決議23-34) この決議は「セントルイス宣言」という愛称が与えられるほど、情緒と論理の均衡が見事に調和しています。しかし非営利組織となったロータリーの論理からすれば情緒などは単なる空論にしかすぎないでしょう。RIの云う通り、この決議の人生哲学など今のロータリアンには無縁であるかもしれません。 しかし、現実がそうだからといって、ロータリーがその理想まで捨ててしまっていいのでしょうか。現実がそうだからこそ理想の光は一層輝かさなければなりません。建国の精神、建学の精神というように、いかなる組織においても、その『初心忘るべからず』です。それを弊履のごとく捨て去って現実に押し流されるのなら、もはやその組織の存在意義はありません。ロータリーは非営利組織となりました。しかしロータリーはあくまで奉仕の人生道場としての使命を忘れてはなりません。今は昔のように、厳しく新会員を指導してくれる長老会員は希少となりました。またおられても、「物言えば唇寒し」で発言されなくなりました。私は、馬齢を重ねましたが、限りある残りの時間の中でこれからも、オールド・ノーマルとなってしまった優れたロータリー思想を、再び新たな常識(ニュー・ノーマル)として検証してまいりたいと思います。
(2020.11.12)
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