ロータリアンの広場 |
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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凡そ人間の営む組織というものは、政府であれ民間団体であれ、大きくなればなる程官僚化してゆきます。そして官僚化すれば官僚の本能として無限に拡大膨脹を求め、他の組織の領分まで侵奪しようという欲望に駆られます。 これはもう善悪の論理を超越した本能ですからどうしようもありません。人間のやることなど「初めに本能ありき」で、理屈は後からついてくるものです。ロータリーの増強にしても同じで、「先ず初めに増強ありき」です。 そもそもロータリーは二十世紀初頭の資本主義爛熟期に於ける頽廃の極に誕生しました。職業奉仕というロータリーの優れた哲学は、資本の論理に対する歯止めだったのです。奉仕を志す職業人たちが、資本主義の欠陥を補うという目的のために集まりました。個人の運動より組織の運動の方が効果的であるとの判断です。集まった人が考えるのは もちろん、目的達成のために活動する事を考えます。そのための組織化ですから。 また、奉仕は担い手が多いほど効果的であることも分かります。必然的に組織の運動の方向性は、目的達成のための運動と効果をあげるための組織の拡大という二つに分かれます。この二つは特に当初は表裏一体ですから、矛盾無く存在し、活動の活発化と組織の拡大は両輪として動いていきます。この時点では、あくまでも目的の達成のための補助手段として増強拡大が存在します。 ある程度の規模であればこれでなんの問題もないのですが、組織がある一定以上に肥大化すればしばしば変質化が生じます。組織が目的達成のための単なる装置から、大きくなった組織を維持発展させる事に意義を大きく置きだす現象です。 だいたいこの時点で内輪もめが起こります。ロータリー本来の目的達成派と組織拡大派の路線闘争です。「RIの目的」はロータリーの拡大ですので、当然組織拡大派が勝利を収めます。組織拡大派が勝った時に運動の目的も変質します。本来は目的さえ達成すれば組織は不要のはずです。ところが組織発展派にとって目的とは達成されてはならないものに変ります。目的の達成は組織の死を意味するからです。組織はこの時点で人の手を離れ、組織が人を使う状態になります。 組織は自分が生き残るために目的を引き上げていきます。目的達成に近づけば意図的にどんどん目的をかさ上げしていくのです。目的が無ければ人は集まりませんし、人を惹き付けるには尖鋭的である方が受けがよく、さらに単純化した方が理解されやすくなります。そのいい例がポリオの根絶活動です。 官僚化した組織は目的達成のために存在するのではなく、達成不可能な目的のために肥大化するのが目的になります。目的の尖鋭化、単純化は果てしもなく進み増す。ここまでくれば組織の拡大のみになります。 こういう状態に陥った組織は非常に厄介です。組織の発展段階で「それはおかしい」とか「それは我々の目指す方向ではない」とロータリー哲学に固執するロータリアンは淘汰され、残っているのは巨大化した組織で食べている人、変質した目的が達成できると信じ込んだ人ばかりになります。さらにどちらの比重が多いかといえば組織で食べている官僚達です。彼らはロータリーの目的達成などどうでもよく、組織が肥大化することにのみ関心があります。彼らにとって目的達成を信じ込んでいる人も組織の宣伝道具に過ぎません。 組織の主導権が、組織で食べている官僚に移れば、旧体制に対し一切の妥協はなくなります。妥協しても組織の肥大化にとって何のメリットもなく、妥協しない事で旧体制派と紛争状態になる事の方が望ましいと言う事です。 敵対し争っている方が組織は結束しますし、新たな構成員を呼び寄せるのが容易になります。ダラダラと戦争が続くほうが儲かる軍需産業みたいなものと言えばよいでしょうか。組織がすべてそうなるとはもちろん言いません。そこまでの段階で自制している組織もたくさんあります。ただロータリーだけは、そんな心配が杞憂に終わればいいのですが…確実にそうなりつつあります。 《官僚(英:bureaucrat)とは国民と呼ばれる羊から搾取した税金などを自分の好きなように消費する権力を与えられたサナダムシである。税金では足りず企業と癒着し資金を集めることがある》とあります。(ウィキペディア)
引用・参考『ある小児科医の呟き』より
(2020.12.30)
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