ロータリアンの広場


「ダイバーシティと黒い皮膚・白い仮面」
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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2510地区 塚原房樹PDG

《ダイバーシティの背景》
 ダイバーシティ(多様性)のコンセプトは、さまざまな人種や民族が入り混じり、多様なバックグラウンドを持つ移民大国アメリカで生まれた。特に黒人問題はアメリカのアキレス腱である。1863年に奴隷解放宣言がなされ、人種差別の撤廃を求める運動が全土に拡大した。1964年には黒人の公民権運動が盛り上がり、選挙権を始め差別を無くす立法が制定された。そこにうたわれているのは、「人種、皮膚の色、宗教、あるいは出身国」を理由に、公共施設で差別もしくは隔離されてはならず」というRI細則の「会員の多様性」と同じ言葉が見られる。「会員の多様性」にはこうした黒人に対する人種差別の歴史的背景があり、今日でも差別のない社会を築くためにダイバーシティは人種のるつぼ、アメリカにとって避けて通れない道である。

《黒い皮膚のコンプレックス》
黒人が警察官に殺されるのはもううんざり。瞬く間に全世界に広まった人種差別による抗議デモ “Black Lives Matter”。人はなぜ長きにわたり皮膚の色にこだわり続けるのか。そしてどうすれば克服できるのか。「問題は重要である。目的とすることはただ黒い皮膚の人間を、彼自身から解放するというだけである」。そんな黒人差別の問題を根本的に見据えたのが、1952年に発表したフランツ・ファノンの「黒い皮膚・白い仮面」である。ファノンはフランス領クリニーク島の黒人であった。野蛮なニグロとはアフリカの黒人、白人文化で育った自分はニグロではない。

 しかし、ファノンは無意識のうちに白人文化の奴隷と化していった。 白人の眼差しがわたしを解剖する。如何にして黒人差別が生まれるのか? 差別がどのように黒人に影響を与えるのか?差別の循環の中に閉じ込められて逃げられない。内面化される差別構造、ファノンの「黒い皮膚・白い仮面」によれば差別されるという構造が黒人自身の内面にどういうコンプレックスを生んでいるのか。黒い皮膚を呪い、白い肌を手に入れたい、白人になりたいと望む。他者の眼差しによって、自分の存在を規定されてしまう。

 私はかつて、米軍基地の町を訪れた時、黒人兵に大変人気のある写真館の主人から話を聞いた。なぜ黒人兵で賑わうのか? 撮影の際、顔に強烈なライトを当てて光りを反射させると、光の反射により白い顔に映る。黒人が白くなりたいという欲望、ファノンはそれを乳白化と云う。 黒人の不幸は奴隷化されたということである。白人の不幸と非人間性はどこかで人間を殺してしまったということである。「黒人は白人とともにある」という言葉は「区別があって、区別された存在」があるということ。

 ゆえに、白に閉じ込められているのは黒人であり、白人もまたそうなのである。白が美、黒が醜、二項対立的な世界、自分を否定するしかないのであろうか。否、そうではなく、まさしく真の多様性により社会構造の変革という方向で行為するようにしなければならない。それをしなければ黒人はコンプレックスから解放されない。

《人種差別の実態・監獄ビジネス》
アンジェラ・デービスによると、監獄とは権利を剥奪する場だからもともと権利を認められていない黒人奴隷や女性が収監されることはなかったが、奴隷制が廃止され男女平等の権利が建前上認められると、そのまま監獄に引き入れられ、人種差別も女性差別も維持されたまま、タダ同然の労働力として使われ、それが民間ビジネスの喰い物となり、年々収容者が増大していく。しかも非白人、女性の増加割合が非常に高いという恐ろしい事実。末期的資本主義の欲望が倫理を破壊した。そんな監獄など廃絶し、様々なケアを充実させるため、今こそアメリカの影の部分に対し、ダイバーシティの理念を力強く提起しなければならない。

《黒人差別は宗教の問題》
 近年,米国で急拡大する監獄の民営化とその歴史的背景とは何か。差別の問題は「心の問題」である。言い換えると、アメリカの場合、「宗教の問題」でもある。日本人には理解しにくいが、アメリカではキリスト教と人種差別問題は密接に関連しているのである。南部の保守的なプロテスタント教会は「奴隷制度は神に与えられた制度である」と主張。奴隷制度廃止後も、当時の科学者を動員して黒人は人種的に劣っているという学術論文を発表させ、黒人は劣等民族であるという神話を作り上げてきた。それが現在も白人至上主義という形で一部の人々の心の中に生き続けている。

 言うまでもなく、アメリカ人すべてが人種差別主義者ではない。過半数以上のアメリカ人は黒人差別に反対している。だが同時に多くの白人至上主義者と黒人差別論者は厳然と存在する。極めて少数だが、白人至上主義者の中には「奴隷制度廃止は間違いだった」と公然と主張する者もいる。アメリカ社会の底辺には、黒人差別を許容する意識が変わることなく流れ続けている。

 最終的には白人も黒人も対立ではなく分断でもなく、違いを認めつつ生きていく。ではどうしたらいいのか。人間を人間たらしめているのは「イエスあるいはノー」という態度を選択できる」ことである。いま世界に発信されている“Black Lives Matter”。「黒人の命も大切」 黒人の命こそ大切という言葉を黒人のみがしていたのならそれは違う。   白人だろうが黒人だろうがアジアの人であろうが、ダイバーシティという同じ一つの理念に向かって「イエス」と言い「ノー」という。そこには皮膚の色は関係ない。

(2021.04.10)

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