ロータリアンの広場


ルネ・デカルトと『イロア・イロア』
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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2510地区 塚原房樹PDG

 未曽有の災害に見舞われた東日本大震災から、10年の歳月が流れました。テレビで、たまたま米国海兵隊バンドの演奏を聴きました。曲目の中に、「イロア・イロア」 という曲がありました。タイトルの「イロア・イロア」はアラビア語で、イエス・キリストが処刑の場面で、十字架上で絶命する直前に祈った言葉として有名な、「神よ、何故あなたは私を見捨てられたのですか?」の意味で1000年に一度という日本の東日本大地震と津波に追憶と祈りを捧げるため選曲されたものでした。 その曲を聴きながら、当時の被災地の惨状が走馬灯のように思い出されました。震災発生の報に接した直後、日本のすべてのロータリアンは、他人の不幸を自分の不幸としてとらえるという純度の高い心をもって、被災地域へ挙って救援の熱い手を差し伸べました。

 東日本大震災は津波による被害もさることながら、原発事故の後遺症は計り知れません。あれからすでに10年たった現在も、福島には立ち入り禁止の区域が残っています。放射性物質で汚染された物や燃料棒、100万トン以上の汚染水などを安全に除去するには、今後30~40年間で何万人もの作業員が必要になります。政府はすでに処理作業に何兆円も費やしています。私の考えでは、津波や地震は自然災害で原発事故は人災だと思います。人災がなぜ起こったのか、人災の原因を究明しなければなりません。 私たちが目の当たりにしている原発の安全性の問題、これは私たちがそれを合理的に突き詰めれば、絶対安全なものがあるというデカルト的な考えによって進められてきました。ところがある時、自然の大きな転換によってその合理性の考え方が崩れてしまうということが起こったわけです。 デカルトは、その合理性を完全なものだと思っていました。 しかしそれは、メカニズム思想が持っている落とし穴でした。 デカルトに始まる近代西洋哲学は、人間は「理性」を有するが故に、人間の自然界に於ける絶対的優位性を説きました。それが、人間が自然を支配することを正当化したのです。

 デカルトの考え方は、「この世界はすべて因果関係で成り立っていてメカニズムとして理解できる。それは私たち生命体でも精密な機械のようなものだとみなすことができる。だからその因果関係を解き明かせば、生物も、この世界もメカニズムが分かり、それを制御できる」と考えました。その考え方の中には、やはり自然とか生命に対するある種の謙虚さが欠けているように思えます。メカニズムを追求していけば、世界を理解できるというところに、ある種の行き過ぎた傲慢さみたいなものが、現代社会には出てきています。 デカルト没後、四世紀以上が経つ今日、私たちは依然、デカルトの呪縛のもとにあり彼の自然観、人間観を維持しています。すべての人が真理を見いだすための方法を求めて、思索を重ねたデカルト、【われ思う、ゆえにわれあり】というデカルトの命題は、その彼が一切の宗教的権威を否定して達した思想の独立宣言であります。デカルトに始まる近代西洋哲学は、人間は理性を有するが故に、人間の自然界における絶対優位性を説きました。それが、人間が自然を支配することを正当化したのです。神の存在を抹殺した人間は物質的に豊かになりました。しかし現代に至っては、科学の暴走により環境破壊という取り返しのつかない現象を突き付けられています。

 デカルトとほぼ同時代のパスカル、【人間の理性には限界がある。私たちはそのことを 肝に銘じるべきだ。人間は決して驕ってはならない】 そう語ったパスカルの思想は今こそ噛みしめる価値があります。パスカルであれば、私たちの合理性の考え方には必ず崩れ落ちてしまうものがあると思って、何時も合理的な考え方の中に保留を設けていたと思います。自分たちの合理性を完全なものだと思ってしまう…だからこれは、メカニズム思考が持っている落とし穴だと思います。 東日本大震災に追悼と祈りを捧げた「イロア・イロア」という曲の「神よ、何故あなたは私を見捨てられたのですか?」という歌詞は、デカルトにより神を失った人間の限りなく傲慢になっている報いとして「人間よ、何故おまえは神を見捨てたのか?」というアンチテーゼの言葉に置き換えられるべきでしょう。 

(2021.10.25)

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