ロータリアンの広場


パスカルと『インマヌエル』
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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2510地区 塚原房樹PDG

 パスカルは17世紀フランスの数学者、物理学者、神学者です。彼の主著『バンセ』は無神論者に対してキリスト教の正しさを証明するために書かれた「キリスト教護教論」の色彩が強く難解ですが、折々に書き留めた断想集であったので、「考える葦」も「クレオパトラの鼻」も日本人に親しまれてきました。
 パスカルの最大のライバルはルネ・デカルトでした。デカルトはすべての面でパスカルと対照的な存在で両雄並び立たず、すべての面で考え方が逆でした。私たちはデカルトの考え方を採用してパスカルを捨てたというふうにみなすことができると思います。パスカルは『理性の最後の行動は理性を超えるものが無限に存在することを認めること、そして超えたものがあるということを知るのが理性である』と言っています。パスカルはパンセの中で、デカルトを真っ向から否定し数々の非難をしています。その中から「もの思う我は変わらない」、「神は祈りの対象ではない」というデカルトに対するパスカルの反論を抜き出してみましょう。

★パスカル『パンセ』(断章122)【時代は苦しみを癒し、争いを和らげる。なぜなら人はみな変わるからである。人はもはや同じ人ではない】
 この「人はみな変わる。過去の自分は、もはや同じ人間ではない」というパスカルの言葉は、『我思う、ゆえに我あり』と唱えた不動岩のようなデカルトに対する見事なアンチテーゼだと思います。デカルトの『我思う、ゆえに我あり』というのは、何がどんなに変わっても私自身は同一性を保っているから、私というものは実在しているということを根拠にしています。 ところが、現代の生物学の大発見は、人はみな変わるということです。過去の自分は、もはや同じ人間ではない。人間は自分の体は自分のものだと思っていますが、体にはおよそ37兆個の細胞があって、もっと下のミクロの分子(素粒子)のレベルでは、私たちは、ものすごい速度で合成と分解を繰り返しています。我々の体は日々更新されていて、消化管の細胞など2-3日で交換されてしまいますし、脳細胞ですら中身が入れ替わっています。ですから、今日の私は明日の私ではないし、昨日の私でもありません。だから私たちは、自分は自分だというある種の同一性も、実は私たちがどんどん更新されているので幻想にしかすぎません。『我思う、ゆえに我あり』というパスカルの哲学の根拠となる命題は現代の素粒子論により否定されました。もう一つパスカルの金言をあげみましょう。

★パスカル『パンセ』(断章77)【私はデカルトを許せない。彼はその全哲学の中で、できることなら神なしですませたいと思っただろう】
 デカルトの神は観念として最高段階に位するものであっても、人間とは本質的に関わりをもたず、又人間の祈願の対象になり得ないものであります。デカルトにより神が存在を抹殺されることになり、結局、人間はおのれの上にいかなる支配者ももたなくなりました。人間が神となったわけです。人間が神となることによって、人間はその向かうべき目的を失ってしまうと同時に、おのれ自身を裁く倫理的な基準を失ってしまいました。デカルトは彼の二元論により神を抹殺しましたが、パスカルは常に、インマヌエル(ヘブライ語で神は我らと共にいます)という言葉を信じ「神なき人間の悲惨さ」を徹底的に非難しました。

 思えばロータリーの背後にある思想は「キリスト教」でありました。国際ロータリーの第二代会長グレンC・ミードは、ロータリーは中世キリスト教神学の復興運動だと喝破しました。ロータリー誕生の際の4人は、ハリスを始めみなピューリタンで、ロータリーは神を抜いたビューリタニズムといわれました。そしてキリスト教の愛の精神で貫かれた”道徳律”は、ロータリアンにとっては天上に輝く星であり、RIの指導理念でもありました。
 しかし、現在のロータリーの神はキリスト教の全能の神から、グローバルな戦略計画を掲げる、無機質な “Siegel+Gale”シーゲルゲールという神に変わりました。シーゲルゲールは、半世紀近くにわたり、世界レベルのブランドの構築に携わってきた業界のリーダーで、ロータリーの顧客である会員を増やしていく新しい神です。 ロータリーは職業人の人生道場であり、自己啓発の場でありました。会員を増やし、寄附を集めて慈善事業をやるだけの組織だったら俗界にいくらでもあります。ロータリーは宗教ではありませんが、やはり宗教に比肩し得る、あるいはあらゆる宗教を呑み込んだ高次の精神的結社でなければなりません。日本のロータリアンは、今一度、「インマヌエル」(神は我らと共にいます)という言葉を噛みしめるべき時でしょう。

付記
 ちなみに、北海道瀬棚郡今金町の地に「インマヌエル」という村がありました。「明治二十六年埼玉縣熊谷教会員天沼恒三郎群馬縣髙崎教会員山崎六郎衛門移住入地し此の地をインマヌエルと定む」と記録にあります。『神われとともにあり』という固い信仰と不屈の闘志を持ち荒野に鍬をふるつて開拓の使命を果されて来ました。
 現在の神丘と改名を余儀なくされるまで、この地の正式名称はインマヌエルと呼ばれました。現聖堂は1968年落成、木立に囲まれ、正面には狩場岳の秀峰、背後には清流で知られる利別川が流れています。

(2021.10.30)

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