「一 粒 の 麦」
![]() 2510地区 PDG 塚原房樹 |
《一麦幼稚園》
19世紀も終りに近い、ロータリー誕生前夜のシカゴは、金融恐慌による貧困飢餓、犯罪と伝染病の温床で世界の中で最悪のスラム街でした。しかし敢然と悪に対抗する人たちが現れました。救世軍や社会福音運動、YMCA、婦人キリスト教禁酒同盟など様々な社会改良運動がおこりました。
中でも貧民救済のためのハルハウス(Hull House)は、1889年近代社会福祉の母といわれるジェーン・アダムスが、シカゴに設立した施設で、アメリカにおける最初のセツルメントハウス(隣保館)として有名です。セツルメント運動とは、知識人や学生、宗教家たちが、スラム街などの貧しい地域へ移住し、生活に困っている人々に教育を施し自立するための手助けをする運動です。日本でセツルメント運動を始めたのは、世界的なキリスト教の伝道者であり、社会運動家として著名な賀川豊彦氏でした。「賀川豊彦」という名前はたいていの年配の人はご存知だと思いますが、どんな人なのかよく知らない方も多いのでのではないでしょうか。
自伝的小説、「一粒の麦」「死線を越えて」があり「日本のガンジー」と呼ばれノーベル平和賞の候補にも挙げられたまさに「世界のカガワ」でした。関東大震災の被災者支援に奔走した賀川豊彦氏が神戸のスラム街に身を投じて日本におけるセツルメント運動を興しました。家のない人のために無料の宿泊所や安く食事ができる食堂を作り病人の介護、仕事のあっせん、幼稚園の設立など、その活動は生活の様々な分野におよびました。当時の日本人としては進歩的自由主義者、キリスト教自由主義者であり社会運動に一生をささげました。
その彼が西宮市に「一麦幼稚園」を開園しました。私はご縁があってその幼稚園で2年間お世話になりました。1940年頃の日本は戦雲漂う暗い世相でしたが一麦幼稚園には、今思うとキリスト教自由主義の博愛とリベラルな雰囲気がありました。
幼稚園の名前の「一麦」は、もちろんヨハネの福音書の「一粒の麦」に由来しています。福音書には次の言葉が記されています。
A grain of wheat
“Truly, truly I tell you,
unless a grain of wheat falls into the ground and dies,
it remains alone. But if it dies, it produces a lot of grain.”
一粒の麦
よく言っておきます。
畑にまかれる一粒の麦のように、私も地に落ちて死ななければなりません。
そうしなければ、いつまでたっても、一人のまま、一粒の種のままです。
だが、死ねば、多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶ
ことになります。
《キリスト教の死生観》
日本人にとって「死」の後にあるのは極楽往生か、地獄へ落ちることですが、キリスト教信者にとって「死」の後にあるもの、それは「復活」です。「復活」をして、永遠の命を得ることがキリスト教の目標なのです。どうしたら「復活」ができるのか?それはイエスを信じることです。
イエスを信じるとは、内なる価値観が大きく変わることを意味しますから、生まれ変わることと同じ意味です。イエスを信じ復活をすることによって、神の子として生まれ変われます。(神の子とされること、つまり、からだのあがなわれることを、待ち望んでいます。彼らは、このような希望によって救われているのです)
一方ギリシャの歴史家ヘロドトスは、古代トラキア人(現在のブルガリアを中心とした地域に栄えた黄金文明)は「誕生より死を喜ぶ」と書き残しています。「誕生はこれから経験するであろう幾多の困難を思い嘆き悲しむ。死とはこの世の労苦を果たし終えた至福の時、来世における永遠の幸福を信じているため、葬儀は陽気な賑わいに満ちた祝祭の場であった。我々は誕生を悲しみ、死を喜ぶ」トラキア人の死生観は日本の神道を思わせます。
《あと一日の死生観を持て(亀井勝一郎氏)》
我々は自分の死ぬ日を知らない、明日という日はまだまだ続くと思っています。しかし確実に死に向かっています。人間として生まれた以上、年齢に関係なく常に死によって脅かされているのが人生だからです。ふだんそれを徹底的に考えないのは、自分だけは大丈夫だろう、まだ当分大丈夫だろうと、いわば自己の生について空想しているからです。
自分のいのちを後一日と仮定してみることです。仮定だからまだどこかにのんきな点があると思いますが、とにかく、あと一日しか生きられないと考えて、その時自分はどんな反応をするのでしょうか。自分の生涯は空しかったことを反省し苦しむのも一日、楽しむのも一日、それなら思い切り楽しむ方を選ぶ人もいるでしょう。
また、たとえあと一日でもいいから多少でも人としての心の豊かさを保ちながら自分を偽らない気持ちで生きてみたいと思う人もあるでしょう。「生」とはあと一日と、「死」を目の前に置いた時の自分のギリギリの「願い」だと言っていいでしょう。
人間すべて何らかの「願い」をもっていて、それが人間を生かしています。死を考えることで、心からの願いを改めて自覚することができます。私はロータリーに触れて、私淑する亀井勝一郎氏の「人生邂逅し開眼し瞑目す」という言葉の意味が最近になって解るようになりました。
《ロータリーが書いた社会改良の処方箋》
冒頭に触れましたが、19世紀の末葉から20世紀の初頭にかけてのシカゴでは、さまざまな社会改良運動がおこりました。このような時ロータリーは20世紀初頭の病める都市、シカゴを救うために一体どのような処方箋を書いたのでしょうか。
そしてどのような運動を展開したのでしょうか。20世紀初頭の混沌としたシカゴで、ロータリーが目指した社会改良の処方箋とは、社会の基である個人の心を教化することでした。ロータリーは人間の徳性の向上が人類社会発展の基本であると信じて疑わないのです。
ロータリー運動は地域社会の最も徳性を重んじる職業人の日常の出会いの中から、各自の徳性の改善がなされ、それが各自の識見の広さと判断力の強化につながり、社会を改良しょうとする運動です。
つまりロータリーは職業人の成人学校なのです。学校は出席しなければ意味がありません。ロータリーも例会出席からすべてが始まります。そこで異業種の良き人々と邂逅し開眼するのです。自己の人格を改善することが社会改良の処方箋でありロータリー運動の根本目的なのです。ロータリーの魅力はまさに「人作り」運動に尽きます。
(2013.12.20)