ロータリアンの広場


「人生の次元」であったロータリー(その2)
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東)
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2510地区 塚原房樹PDG

 慈善事業は宗教的または道徳的動機により、資本主義以前より古くから社会的に賞賛すべき善行として存在しています。しかし、それはあくまでも個人個人の善意によるもので、それぞれが分に応じて喜捨することによって成立っていました。ところが万人平等の自由競争、市場経済が想像を絶する様な巨大なものになり、それが国際的な格差にまでなってくると、通常の市民による個人的善意などでは手が及ばなくなってしまいます。そこに生まれたのが「他人の金を集めて善行をする」というフィクション(虚構)です。  

 然もこのフィクションは公的国家的なものはもとより、民間組織であっても一見、建前はまことに立派であって申し分ない……だから虚構というのですが、RIも非営利組織となり構成員の金を集めて奉仕する奉仕請負業となりました。つまりロータリアンは自分自身の寄付を、ロータリー財団にアウトソーシング(外部委託)して奉仕の代行をしてもらうようになったのです。いいことをしたいと思う人々の善意に訴え、他人の金を集めて奉仕して、そこから経費と多額の人件費を手にする非営利組織となったRIの虚構に接して、私の大切な「人生の次元」であった「無私の奉仕」を唱える、かつてのロータリーはもはやなくなってしまいました。人を作るための自己啓発を目的とする思想団体から、寄付金目当ての慈善団体に変わってしまったロータリーと旧老タリアンはどう向き合うべきなのでしょうか。

 それに比べ、最近の若いロータリアンは、現在のロータリーを非営利組織の慈善団体として抵抗なく受け入れています。 老タリアンの私は、マッカーサーの「老兵は死なずただ消えるのみ」の心境となってしまいました。しかしまだロータリーの会員を続けているのは、ロータリーで結ばれた大切な友人達がいるからです。 昔のロータリーはよかった、原点に戻ろうという声をよく耳にします。しかし、原点回帰は問題解決のための一つの考え方ですが、掛け声ばかりでは現実社会でのリセットは簡単にはありえません。

 原点回帰を目指したところで、官僚支配によるRI理事会が深謀遠慮、ここまで今日の姿を見通して周到綿密な計画を立て、積み上げられてきたものは絶対になくならないでしょう。 しかし、思考を原点に戻すことで、人は当初に抱いていた理想を思い出すことはできます。復古主義、保守主義のいずれにしろ、問題はRIの理事会自体が原点回帰の重要性を認識して、事務官僚たちの権限を統制コントロールできるかどうかにかかっています。 そのために、われわれ日本のロータリアンは、何ができるのでしょうか?何をなすべきなのでしょうか?

(2022.11.28)

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