「気高き岩頭」(The Great Stone Face)
2510地区 PDG 塚原房樹(札幌東RC)

PDF版 ダウンロード



2510地区 PDG 塚原房樹

《ロータリー通解》
 ロータリー運動にはいくつかの潮流がありますが、その中でロータリーの説く職業奉仕の理念が1908年から1915年にかけて著しく純化されました。その頂点は1915年のサンフランシスコの大会の議決によって宣言された「ロータリー倫理訓」”Rotary Code of Ethics”でありました。
 この様な時期にあたって、ロータリーの基本理念と原則を一冊のパンフレットに著す企画がRIの「理論および教育担当委員会」でなされ、その委員長がガイ・ガンディカー(元RI会長)であったところから、そのパンフレットは広くガイ・ガンディカーの“A Talking Knowledge of Rotary”『ロータリー通解』と呼ばれています。
 ガイ・ガンディカーのパンフレットは最も純度の高い、古典的ロータリー理論の見事な解説で今日のロータリーにおいても生きています。日本の指導的ロータリアンに広く読まれた名著です。このパンフレットを読まれた方の中には『ロータリークラブの会員を真のロータリアンに改善すること』というインディアンの少年の物語を御存じの方もおられるでしょう。その中に次のような記述があります。
 『ロータリーはうわべだけの人間を作るものではなく、人間の体質改善を行うものである。ロータリーの内部で体験を積むにつれて、人はロータリアンになるのであって、このような成長の過程の適例を書いたのがナサニエル・ホーソンの素晴らしい物語、《気高き岩頭》The Great Stone Faceである』と。

 ここにガイ・ガンディカーがホーソンの短編から引用した《気高き岩頭》のあらすじを抜粋してご紹介します。
 【それは深い谷間のはずれに、自然がいとも見事な手法で岩肌を削り取り、その岩頭は、遠くから眺めると荘厳な人物の像に似ていました。インディアンの子供が生まれ、その子が偉大なかつ高貴な人となるべき宿命を負うときは、その姿がかの岩頭そっくりになるという予言が言い伝えられていました。
 村の少年アーネストはこの予言をいつも心にとめ、その日の仕事が終わると何時間もじっとこの岩頭を見つめ、他の人々の気付かないことをたくさん見出したのです。やがてアーネストは進歩を続け、その部族の村の先達となりました。ある日訪れた詩人と終日語り合ったのち、日没になっていつものように村の者たちに説教をおこないました。彼の言葉は人生そのものの言葉でした。善行と崇高な愛が彼の言葉に満ち溢れていました。アーネストが群衆の前に立つのを見るのは印象的でした。遠方にくっきりと、これから沈まんとする黄金色の夕日の中に、気高き岩頭が高くそびえ、その周りに白い霧がただよう有様は、あたかもアーネストの額に白髪が垂れ下がっているのと同じでありました。
 彼の大慈、大悲をたたえる顔を見て、詩人は、その衝動に耐えかねて両手を高々と上げて叫びました。「見よ。アーネストの姿こそ気高き岩頭だ」人はロータリーのなかで、アーネストが気高き岩頭を探求したやり方に従って進歩してゆきます。ロータリアンたちは深い思索に立って、多面的なロータリーを追求し、ロータリアン以外の人たちには見えないことを見通さなければならない】とガイ・ガンディカーは『ロータリー通解』の中で記しています。

《気高き岩頭は何処に》
 ガイ・ガンディカーの“A Talking Knowledge of Rotary”『ロータリー通解』を読んだのは30年ほど前でした。
 この小文に触れて以来モデルとなった『気高き岩頭』は一体どこに実在するのか、あるいは作家ナサニエル・ホーソンのフィクションなのかという疑問が、寝ても覚めてもいつも私を悩ませました。そこでホーソンの作品を読めば、あるいは実在の地名が分かるのではないかと彼の作品群を探しました。
 ホーソンは『緋文字』『七破風の館』の作品で注目されましたが、短編やエッセイ類はあまり日本に紹介されていません。苦心の結果、ついに『人面の大岩』という短編があることを探し当て、もしやと思いはやる心を抑えて一気に読み下ろしました。
 題名は『気高き岩頭』ではなく『人面の大岩』ですが、英文のタイトルは(The Great Stone Face)で内容もガイ・ガンディカーと同じものでした。ただどこにも気高き岩頭の場所・地名についてはまったく触れられていません。
 1996年、ポール・ハリスの没後50周年を機に、ロータリーの始祖の足跡(揺り篭からお墓場まで)を訪ねてまいりました。始祖にまつわるまだ知られていない貴重な発見が随所にありました。その旅行の際にも、時折ホーソンの『気高き岩頭』が実在するならどこであろうかという思いがいつも頭をよぎりました。ホーソンはマサチューセッツ州の出身なので『気高き岩頭』が実在するならマサチューセッツのどこかであろうと推測していました。しかし私が会ったニューイングランド地方のロータリアンに、このことを聞いても残念ながら分かりませんでした。

《マサソイト大酋長》

 ところがある日、書店で『ニューイングランド物語』(加藤恭子氏著)という本の題名が目に入りました。ニューイングランドといえばポール・ハリスが自伝の中でロータリーの故郷と言ったようにロータリーの揺籃の地です。
 買い求めて読みはじめました。なんとそこに人面岩(The Great Stone Face)についての記述があるではありませんか。「ユリイカ(eureka)!」と思わず叫びました。ユリイカとは王の命令で、アルキメデスが王冠の金の純度を量る方法を発見した時の叫び声から《見つけた! わかった! しめた!》というギリシャ語です。ついに気高き岩頭のモデルとなった場所を知ることができました。
 積年の胸のつかえが下りました。『ニューイングランド物語』より人面岩に関する記述の部分を紹介します。

【マサチューセッツ州アソネットにあるフリータウン州立公園。かつてはインディアンの聖地だった。車を止め、前の斜面を上がると、それが崖になっていて突然視界が開ける。崖の足元は谷。その谷の向こう側の岩山に、巨大な人面岩”Profile Rock”が突出している。マサソイト大首長の横顔としてインディアンたちが祈りをささげたという。マサチューセッツ州とはマサソイトの土地という意味である】
 余談ですが1620年、メイフラワー号で新大陸にやってきた102人(ピルグリムズ/巡礼始祖)の人々は最初の冬がやっと過ぎたころなんと半数は冷たい土の下に眠ることになりました。
 だがマサソイト大酋長と友好関係を持てたことにより彼らの生活は安全なものとなり、翌年の11月、ピルグリムズとインディアンは一緒に新大陸で最初の感謝祭が行われました。
 戸外のテーブルには、その年獲れた野菜、木の実、野生の七面鳥、鴨、鶉、野生のブドウから造ったブドウ酒が積み上げられました。主客のマサソイト大酋長は、90人の部下と5頭の鹿を手土産に参加したとあります。アメリカに滞在した人なら、困難な冬を生き延びた後の感謝祭がどのように大切なものかご存知でしょう。ピルグリムズはインディアンと一緒に感謝祭を祝ったことは、この国は両者の協力の上に築かれたという建国の友愛神話が根底にあります。

 すぐにもフリータウン州立公園を訪ね「気高き岩頭・人面岩」をこの目で見たいと思いましたが、場所が特定できたのだからいつでも行けると安心しているうちに馬齢を重ねすぎてしまい、まだ訪問は果たしておりません。せめて人面岩の写真があれば見たいと思いネットで検索しました。幸いにもフリータウン州立公園内にある”Profile Rock”の写真を見つけました。あまり鮮明ではありませんが、これが『気高き岩頭』のモデルとなった大岩です。
 どうぞ老タリアンの物好きをお笑いください。

(2014.01.17)

「気高き岩頭」(The Great Stone Face) PDF版 ダウンロード

「ロータリアンの広場」トップページ

ページのトップへ戻る