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炉辺談話(119)

空港セキュリティ

 年末年始に掛けてニューヨーク、ブリュッセル(ベルギー)、シカゴを回りました。
 今回の旅行の最大の目的は、シカゴのロータリー本部を訪れて、歴史的資料を持ち帰ることなので、小型アルミ・トランクにノート・パソコンとイメージ・スキャナーを入れて、携行品として機内に持ち込みました。

12月26日、JALで伊丹、成田を経由してニューヨークへ。
 検査に時間がかかることを覚悟して早めに伊丹空港に到着しましたが、検査は至って簡単、トランクの中身を聞かれることもなく機内に。成田では、機内に入る直前に、警官に「トランクの中身は」と質問を受けましたが、「コンピューター」と応えると、そのままチェックも無しにOK。
 年末の旅行シーズンというのに、機内は乗客も少なく、客室乗務員のサービスもこの上なく(おつまみを頼むと山ほど持ってくるし、JALのプラモデルも貰いました)、快適な空の旅でした。

12月28日、ブリティッシュ・エアラインBAでニューヨークJFKよりロンドン・ヒースロー空港経由、ブリュッセルへ。
 JFK空港内は小銃を肩から下げた兵士が至るところで目を光らせ、全くの戦時体制。身体検査の列が延々と続き、果たして搭乗が間に合うのか心配になりました。
 金属探知機のレベルを最高に上げているので、僅かな金属、例えば財布の留め金にも反応します。反応したら徹底的に調べられますから、小銭、時計、財布、コートはもちろんのこと、ズボンのベルトもはずして、かごの中にいれてX線検査をしなければなりません。同行した娘は踵の大きい靴をはいていたので、靴まで脱がされて検査をされました。コンピューターは持参しませんでしたので、荷物の方はフリーパスでした。

12月31日、帰路のブリュッセル空港では、JFKの学習効果を発揮して、スムーズに機内に入ることができました。

1月3日、アメリカン・エアラインAAで、ニューヨーク・ニューアーク空港からシカゴ・オヘア空港へ向かいました。今回の一連のテロ騒ぎで話題の中心になっているAAなので、異常とも言えるようなチェックでした。
 コンピューターもスキャナーもトランクから出して動作テストを受けなければなりません。ノート・パソコンの中身を改造して、プラスチック爆弾を詰め込む可能性があるとのこと。無事にWindowの画面がでてOKとなっても、電源をOFFにするまでには、それ相当の時間がかかりますので、コンピューター持参者が2-3人続くと、たちまち20-30分がかかります。
 その上、ブボンのベルトを外され、靴まで脱がされて散々でした。国内線だというのに、チェックインしてから機内に入るまでに2時間かかりました。

シカゴのワン・ロータリー・センターにおける一部始終については、後日ご報告いたします。

1月5日、オヘア空港からニューアークへ。
 タクシーでオヘア空港に着くと、建物の外に臨時の野外チェックイン・カウンターができていました。聞けば、身体検査に長い列ができているので、チェックインの制限をしているため、建物内部のカウンターでチェックインすれば2時間以上かかるとのこと。やむなく、零下5度の寒風の中、ラインに並びましたが、結局これが正解で、僅か20分位で手続きが済みました。
 身体検査と携行品検査の列に1時間ほど並び、再び、コンピューターを徹底的に調べられた上、再度、搭乗ゲートで、コンピューターの再検査を受けました。これだけ検査をするのだから、先ず、テロリストが同乗することはないだろうと、自分に言い聞かせて、憤懣やるかたなき気持ちを紛らわせました。

1月7日、JFK空港から日本へ。
 チェックイン・カウンターも身体検査場も人気がなく、閑古鳥が鳴いていました。携行品検査では、再びコンピューターが標的になり、係員に「コンピューターのメーカー名」を聞かれました。ダイナ・ブックは判っているものの、三菱か東芝かと考えているうちにタイム・オーバー、それでも何とか動作チェックだけは免れました。バイオはソニー、シンク・パットはIBM、ダイナ・ブックは東芝と、ちゃんと覚えておきましょう。
 時差の関係で1月8日、成田着、羽田経由で伊丹に向かいました。折からの冬の嵐のせいで、大幅なダイヤの乱れと欠航便続出の中を幸いにも予定通りの便(本当は6時間前の出発が遅れた便)に乗ることができました。この混雑のためか、携行品検査もなく、全くの期待はずれでした。

アメリカでは空港のチェックの厳しさを除いては、全く正常な状態に戻っています。ニューヨークの街も普段どおりの活気に満ちています。しかし、「他国からの観光客は正常に回復しているのに、日本からの観光客だけがまったく行かない。」というのが実情のようです。それにつけても、日本の空港のチェックの甘さをしみじみ感じた、今回の旅行でした。