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炉辺談話(121)

Service, not self の新事実

 「Service, not self」は、現在、第一モットーとして皆さまおなじみの「Service above self」の原型となったものです。

このモットーができた経過については、従来、次のような説明がされていました。
1911年、ポートランドで行われた第二回全米ロータリークラブ連合会大会のエキスカーションとして、コロンビア川を遡るクルージングが行われました。その船上で、創立まもないミネアポリス・ロータリークラブ会長のベンジャミン・フランクリン・コリンズが語った言葉が「Service, not self」でした。
前日のアーサー・フレデリック・シェルドンの書簡に感激して、「He profits most who serves best」をモットーとして採択した直後でしたが、この「Service, not self」もこれに劣らずすばらしいものだということで、モットーに採択されました。
しかし、後日、この「Service, not self」は、自己を滅却して、他人に奉仕するという極めて宗教色の強いものなので、自己の存在を認めた上で他人に奉仕するという意味から「Service above self」に変更されました。云々・・・・というものでした。

私は、この正月にOne Rotary Centerの資料室を訪れて、B.F.コリンズのスピーチ原稿を入手して、その内容を熟読したところ、この「Service, not self」という言葉そのものに、現在の解釈との大きな差があることを発見して、愕然としました。

今回は、そのスピーチ原稿全文をご紹介し、内容を解説をしてみたいと思います。


ミネアポリスではどのようにしたか

ポートランド国際大会における即興演説

   ミネアポリス・ロータリークラブ会長 B.F.コリンズ

会長および会員諸君。

昨日の午後、シアトル・ロータリークラブのピンカム氏が私のそばに座り、私たちは、ロータリーについて語り合いました。私は、会員に利益をもたらし、ロータリーを魅力的にするために、ミネアポリスで私たちがしたことの概要を少しばかり披露しました。
彼は、「この線に添った短い話なら、多分、ここにいる他の代表議員の人たちにも了解してもらえるかもしれません。」と述べました。ハリス会長はその発言を採り入れて、私たちが、ミネアポリスで考えだして努力した方針の概略について述べるために、私の発言時間を延長すると言いました。
(コリンズ氏は、盛大な拍手によって、中央の演台にあがるように要請されました。)

ミネアポリス・ロータリークラブは、1年前の昨年1月、ハリス氏とシカゴクラブの10名の会員によって組織が作られました。私たちは、チャーター・メンバーの公正なリストの下に、毎月一回、例会を開催するという考えの下で出発しました。
毎月一回の例会では、私たちが望んでいるようには、会員の関心を保ち続けられないことが、この勝負の極めて早い段階で明らかになりました。そこで、会長は昼食を採りながらこの問題を入念に調べるために、理事会を開いて、全ての主だった委員会の委員長を招待しました。この問題は徹底的に議論されて、クラブを良くするために、毎週規則的に昼食会を開催すべきであることが決められました。
当時は、7月と8月には例会を開催しない方がいいと考えていましたが、その時期がやってくると、例会に対する関心が高まってきました。出席についても、7月と8月も例会を続けた方が得策であるという考え方が、強くなってきて、それ以来、私たちは必ず金曜日に例会を開くということを守ってきました。

ロータリークラブの組織では、なすべきことはただ一つであり、それを正しく始めなければなりません。正しく始めるためには、ただ一つの方法しかありません。
自らの利益が得られるかもしれないと思ってロータリーに入ってくる人たちは、間違った部類の人たちです。それはロータリーではありません。ミネアポリス・クラブによって採用され、当初から定着している原則は、"Service, not self" です。

私たちはクラブの会員たちによって運営されている例会において、成功を収めていたので、関心を得るために、外部からのタレントを招く必要は一切ありませんでした。入会を促すための慣例的な事柄として行った一・二の例外こそあったものの、私たちの例会は、厳密に、ビジネス・ラインに沿ったものでした。
どのようにすれば結果が引き出せるかという問題については、理事会や種々の委員会の委員長が慎重に検討し、みんなが完璧な友人関係を作り上げなければならないという前提で決定されました。

友愛委員会はこの問題を担当して、クラブのすべての会員を完全な友人関係にするために、その方針に沿ったアイデアを開発して、それを最高の喜びを持たせる方法で成し遂げました。
私たちは金曜日ごとに昼食例会を開催しましたが、一部の会員が、来週の昼食会のチケット販売係として、前の週に委員長によって任命されました。チケットはその人の事業所で販売されるので、クラブのすべての会員は、彼の事業所に行くことが重要な義務となり、そこで彼からチケットを買うことによって、その人やその人の事業を知ることができます。現在、これは、友人関係を緊密にするために私たちが用いている、最も喜ばしい方法の一つになっています。 最初、それが提案された時は、いくらかの反対がありました。
皆は言いました。
「 私たちには時間がありません。 昼食会に行くために、1時間半かかります。さらに、まわり道をして切符を買うためには、余分な時間がかかってしまうでしょう。」
従って、皆が喜んで受け入れるものではありませんでした。提案は、このような方法で彼らに知らされていました。
「もしあなたが、このクラブの方針である "Service, not self" に従って行動しているならば、あなた方は、彼の事業所に行く義務があります。」
そして、それ以来、私たちは全く何の苦労もしていません。昼食会に出席する会員の90パーセントは、その人の事業所に行って、そこでチケットを買い、そこでしばしば、事業上の手腕を発揮します。 少なくとも彼らは、商品を見て、事業所を見て、それを通じて友人となり、心の中に深く刻み込まれれば、ロータリーの枝葉が何であるかが判るのです。

会員が私たちのクラブの会員に選ばれた時には、右側の席に司会役によって招かれます。そして、例会の適切な時間帯に、起立を求められて、司会役によってクラブに披露され、名前や彼が関連する会社が紹介され、自分の事業についてクラブに簡単に説明するために、2分間が与えられます。
その例会が終わるとき、または休憩に入る前には、友愛委員会の委員長が、多分、彼らを連れてみんなの前に現れて、クラブの出口のドアに案内するでしょう。例会が休憩に入ると、友愛委員会の委員長はそこに立って、新入会員とすべての会員の双方を正式に紹介します。彼らは握手をし、話をし、友人になります。それは、一人前の会員として自立するまで、新入会員を私たちのクラブと結びつけておくために、現実的に役立っているのです。

友愛委員会が行った別のことは、クラブの様々な会員から供給されたメニューに従って、クラブのディナーを手配することでした。そらまめの献立が届けられ、会員の事業所から寄せられる全てのもの、すなわち、ロータリーに入っている肉屋からきたロースト・ビーフ、メニューに載せられている会社の名前などが書き込まれた会社に備え付けのメモにはうんざりさせられたことでしょう。
スープからのデザートまでのすべての品物は、クラブの会員から提供され、食事のメニューが発表されます。
それは、今まで私たちが開催したうちで、最も成功した会合の一つであり、全体の会員の5-6パーセントしか欠席しなかったものと思われます。

私たちは、メーカーや卸売業者やクラブ全体が、昼食会や社交的な夜の会合のために、彼らの事業所に招待されたクラブの会員のおかげで、数多くの夜の催しを行ってきましたが、これは、これまで私たちのクラブによって開かれた、夜間の会合の唯一の例です。
私たちは毎週例会を開いていますが、夜間例会を開く機会を持ったことは一度もありません。

現在、私は果物の卸売業をしていますが、クラブの会員になるために、私の友人のスレッシャー氏に会った時に、私はこう言いました。
「これはすばらしい仲間の集いではありますが、私にとってどのような利益をもたらす考え方なのかが判りません。しかし、これに参加することはうれしいことです。」 
そして、私は参加しました。ミネアポリスの通りで何十回も会ったことがあり、話し掛けるほど知っている人たちのように、知り合いになって、顔をつき合わせてあなた方と話をしたいと思っていましたが、彼らを知る以上に、ロータリーであなた方を知ることができました。そのことは、これまで私の人生で手に入れた最高の物の一つであり、今日の私の事業における最大の財産の一つでもあります。

その後まもなく、私たちはある計画をたてました。当然のことながら、私たちのクラブには、中心的に事業を営み、クラブの会員の上得意である一人の食料品商がいましたが、同時に、一軒の食料品店だけを上得意にすることは、クラブの全会員にとっては絶対的に不可能なことでした。
何故ならば、あなた方の近所に食料品店があると、必要なものがすぐ手に入って便利だからです。

 ある日、私の息子が私のところに来て、言いました。
「お父さん。今日、或る食料品商がきて、私たちと取引するようにロータリーの会員に勧められたという話しました。」
私はその会員に電話して、言いました。
「顧客を私に送ってくれたことに対して、とても感謝しています。」
彼は答えました。
「何が起こったかについて、あなたにお話しましょう。 私はちょうどお金を持ちあわせていたので、請求書の支払いをしました。長い間の中で初めてのことでした。食料品商は、お金を貰ったことを大変喜んで、私が望んだことを何でもしますと言ったので、私は、彼にあなたのところに行って、あなたと取引きをするように話したのです。」

この時以来、私は、その人との取引が増えることを喜んでいます。もし私がそうしなかったら、それは私自身の誤りであり、そうする機会が私に与えられたのです。
もし品質や値段やサービスの点で、その人との取引が成立しなくても、その人を私のところに回してくれたロータリアンの過ちではありません。今や、近所にある別の食料品商が私を訪れて、私に話をもちかけるといったことが何度となく起こっています。
「或る人があなたのことを話して、あなたのところに行って、あなたに会いなさいと言いました。」
178人の組織のことを理解するようにあなた方に話し掛けるよりも、彼らの一人一人が、それを行する機会があるときに、私のことを宣伝してもらう方がよっぽどいいということを、あなた方に話しておきたいと思います。

私たちは、ミネアポリスにおいて、ミネアポリスを後援するための、全てのクラブの中で最大の会員数を擁するパブリシティ・クラブに持っています。事実上、みんながそれに入っており、ロータリアンの99パーセントは入っています。
数週前、ロータリークラブのある会員が、パブリシティ・クラブの会長をゲストとして招待しました。彼はやってきて、礼儀正しく、私たちに話し掛けながら、会場の中で自由に振舞っているのを見てうれしく感じました。
彼は言いました。
「皆さん、私は、あなた方に告白することがあります。このロータリークラブが創立された時、私は創立会員として署名しました。しかし、私は、深く考えすぎたあまり、窮屈で非現実的なものに思えたのです。そこで、それには賛成するわけにはいかないと考えて、入会しませんでした。しかし、皆さん。創立以来、あなた方のクラブをずっと見守ってきて、今日、クラブがどんなものかが判り、あなた方のクラブは多くのことを実行するクラブであることを知りました。私が創立会員として署名をしながら、このクラブに入らなかったことは、私の人生における誤りであったと考えていることを、申し述べさせてください。」
私たちの会長は、創立総会の席上で、講演者の一人がロータリーを表明する原則について述べましたが、ロータリーの基本とは違った考え方であることを思い出しました。そして、今日のゲストは、候補者名簿に記載しておくので、その機会が訪れたときには、喜んでいつでも会員になってくださいと述べました。

私たちには、クラブから会員が退会したことを判断する規則があります。例会を三回欠席すると、原因の調査が徹底的に行われ、欠席者が理事会に呼び出されて、役員がその弁明が正当であるとみなさない限り、彼の名前は会員名簿から抹消されます。
私たちは、それを二回強行せざるを得ませんでしたが、共に、結果としてクラブのためになりました。 私たちは、喜んで参加し、会員になり、規則的に例会に出席できる人たちの候補者名簿を持っているのです。

私たちは一緒に例会にでることは難しいとしても、部屋のあちこちから、何人かの人が立ち上がって言います。
「彼が努力して私にしてくれたことに対して、感謝したいと思います。」
クラブが創立されて以来、
「私はあなたのために、何々をしました。」と言った人のことを聞いたことはありません。 
このことについては、私たちのクラブでは一度も触れられたことはありませんでしたが、何十人もの人たちが、彼らに紹介してもらった取引に対して、感謝をしているのです。

ほんの数週間前、不動産業者が言いました。
「皆さん、私と8,000ドルを超える金額の売買をした顧客を、或る人が私に紹介してくれたことを話しておきます。もし、このロータリーの会員がその顧客を紹介してくれなかったら、この取引が成功するめどは立たなかったでしょう。」
このような例は、ありふれたものです。

私たちは、私たちの昼食のすべての業務を完全に引き受けてくれるハウス委員会を持っています。私たちに昼食を提供する場所は、ラディソン・ホテルであり、それは疑いなく、わが国における最も素晴らしいホテルの一つです。ここにいる人すべては、アメリカ合衆国にある最も美しいホールの一つで、私たちの例会が開催されていることを、確信していると、あなたに言いたいのです。
私たちは全てのことをハウス委員会に任せています。彼らは完全に準備を整え、食物が運ばれて、私たちの前に置かれます。えり好みする必要はありませんし、無駄な時間を費やすこともありません。
私たちはこういった会員間の友愛の心を長所にしています。

話を終える前に、クラブで起こった最も喜ばしい一つの例を話しておきたいと思います。
会員なって半年に満たない人が、例会で立ち上がって言いました。
「皆さん、私は、この街にある、友愛を基盤とするすべての神秘的な組織に入っています。私はこれらの組織に何年もの間所属しています。そして、これらの組織に何年もいたが故、率直にあなた方に言えます。私があなた方のクラブの会員になった半年の間に、私が貸家業を通じて会った人よりも、より多くの人と心を通わせることができました。私は、妻に言いました。『もし私の身に何かが起こり、相談や援助やそのほかのことが必要ならば、ミネアポリス・ロータリークラブに行きなさい。』と。」  

私たちのクラブを象徴する言葉こそ ”Service, not self” です。 (拍手。)


 第二モットー廃止騒動で、逆に第一モットー” Service above self”の存在と、その重要性が再確認されるようになってきました。
 この第一モットーの原型は”Service, not self”であり、この言葉が採択された過程について、次ような説明がされてきました。

 1911年、ポートランドで行われた第二回全米ロータリークラブ連合会大会のエキスカーションとして、コロンビア川を遡るクルージングが行われました。その船上で、創立まもないミネアポリス・ロータリークラブ会長のベンジャミン・フランクリン・コリンズが語った言葉が「Service, not self」でした。
前日のアーサー・フレデリック・シェルドンの書簡に感激して、「He profits most who serves best」をモットーとして採択した直後でしたが、この「Service, not self」もこれに劣らずすばらしいものだということで、モットーに採択されました。
しかし、後日、この「Service, not self」は、自己を滅却して、他人に奉仕するという極めて宗教色の強いものなので、自己の存在を認めた上で他人に奉仕するという意味から「Service above self」に変更されました。云々・・・・というものでした。

 1911年のポートランド大会議事録を見ると、シェルドンの”He profits most who serves best” については、シェルドンのスピーチ全文の紹介と共に、その文章はチェスレー・ペリー事務総長が代読したこと、このモットーが大会で採択されたこと、大会宣言の最後がこのモットーで締めくくられたことが記載されています。
 しかしながら、”Service, not self”については、一言も触れておらず、単に、「船上で、ミネアポリス・クラブ会長のベンジャミン・フランリン・コリンズが、ミネアポリス・クラブ運営方針に関する短い演説を行った」とのみ記載されており、この言葉がモットーとして採択されたという記述は勿論、そのスピーチ原稿や”Service, not self”という言葉すらも、見つけることは出来ません。
 すなわち、1900年のポートランド大会で、ロータリー・モットーとして”He profits most who serves best”と”Service, not self”が採択されたという、今までの説明は誤りであり、この大会で採択されたのは”He profits most who serves best”だけであると訂正する必要があります。

 「ロータリークラブの組織では、なすべきことはただ一つであり、それを正しく始めなければなりません。正しく始めるためには、ただ一つの方法しかありません。
 自らの利益が得られるかもしれないと思ってロータリーに入ってくる人たちは、間違った部類の人たちです。それはロータリーではありません。
 ミネアポリス・クラブによって採用され、当初から定着している原則は、"Service, not self" です。」

 という記述には拍手を送るとしても、スピーチ全体から受ける感じは、「会員同士が相互取引によって大きな利益をあげてきたが、これには物理的な限界がある。従って今後はその対象をロータリアン以外にも広げる必要がある」ということではないでしょうか。

 「“Service, not self”は自己を犠牲にして他人に奉仕することを強いるものである。自己を二の次にするのはいいとしても、自己を否定してしまっては、奉仕活動はできないという反論がでてきたので、誰言うとなく、自己の存在を認めた上で、他人に対して奉仕をしようという意味から、”Service above self”が使われるようになり、1950年のデトロイト大会で、これらの二つのスローガンがロータリー・モットーとして正式に認められた。」というのが従来の解釈でしたが、これにも修正を加える必要があります。

 “Service, not self”は” Service above self”より精神性が高いという考え方は間違いであり、この二つのスローガンは、全く別次元の独立したスローガンと考えた方が理解しやすいのではないでしょうか。
 前者の”Service”は単なる取引を表す言葉であり、「自分一人で商取引を独占するのではなく、他の人たちにも分け与える必要がある」という、”He profits most who serves best”に極めて近いスローガンだと考えるべきでしょう。

 1911年に発行された全米ロータリークラブ連合会の会員名簿を見ても、加盟各クラブの会長、幹事の名前以外は、それぞれのクラブ・テリトリーにおける著名な事業所の会社名、所在、電話のみが記載されている広告帳であり、もっぱら他の会員との取引に使用されていたものと思われます。
また同じく1911年の全米ロータリークラブ連合会の委員会構成には、Local Trading; Inter-city Trading; National Tradingという名前の委員会があり、それぞれ地域内、近隣都市間、全国レベルでの会員の相互取引を推奨していたことが伺えます。

 ロータリーは、合理的な取引をすれば、結果として継続的なprofitsが得られることを説くためにシェルドンの理論を採用したわけです、profitsを得られる具体的な事例を表に出さない限り、誰もロータリー運動に参画しなかった時代とも言えるでしょう。従って、コリンズのスローガンが、物質的相互扶助に関連しているとしても、至極当然といえます。

 従って、この“Service, not self”は、元来、会員同士に限定されていた物質的相互扶助を、他の人たちにも開放しようという、現在の我々から見れば極めて次元の低い現実的なスローガンであったにもかかわらず、これを宗教的または人類愛に基づいた高次元のスローガンと誤解した後の人たちが、「自己犠牲に基づく他人への奉仕」という勝手な解釈をつけ、更にそれを聞いた人たちが、それでは困る、「自己の存在を認めた上で、他人のために奉仕する」に変えてもらいたいということで、現在我々が慣れ親しんでいる全く別なスローガン”Service above self”を作り、それがロータリー・モットーとして、1950年のデトロイト大会で承認されたと考える方が自然です。
 なお、” Service above self”というスローガンを誰が何時作ったかについては不明です。一部にはシェルドンの作だという人もいます。
 ちなみに、コリンズの職業分類は果物仲買人であり、文章の表現力は、シェルドンのものに比べると格段に単純であることを付け加えておきます。