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炉辺談話(14)

 ガラス看板の製造業を営んでいたフレデリック・トゥイードFrederick H. Tweedが、新しくできたシカゴ・ロータリークラブに入会したのは1905年12月のことでした。彼は次々と新しい発明をして、その特許申請を、マルケット・ビルで事務所を開いていた特許弁理士、ドナルド・カーターDonald M. Carterに依頼していました。

 1906年4月、たまたま、シカゴ・クラブに特許弁理士がいないことに気づいたトゥイードは、彼に入会の意思があるかどうかを確かめました。
 その話を聞いたカーターは、非常に喜ぶと共に興味を示して、ロータリー・クラブの目的は何かと尋ねました。

 トゥイードはポケットに手を入れて、まだインキが充分乾ききっていない、新しい定款のコピーを取り出して、「会員の事業の拡大と親睦の増進」と書かれている条文を声を出して読み上げました。
 それを聞いたカーターは、「何と都合のいい定款なんだ」と一笑に付し、「私は、そんなクラブには入る意思はありません」と答えました。しばらく考えてから、彼は更に言葉を続けました。
「会員以外の人々に、何か利益になるようなことをするならば、そのクラブは大きな将来性を持つはずです。だから、ロータリークラブも、何らかの市民に対する奉仕をすべきだと思います。」

 その言葉を聞いたフレッドは、まさにその通りだと思って、カーターの考え方を実現させるために、ぜひクラブに入って一緒に行動するように誘いました。その熱意に打たれたカーターは、1カ月後に入会し、二人はポール・ハリスを説得して、1906年12月に、新しい定款第3条として「シカゴ市の最大の利益を図り、市民としての忠誠心を培う」という一節が付け加えられ、1907年2月、ポール・ハリスが会長に就任すると共に、その効力を発揮することになりました。
 この第3条を実践に移した最初の社会奉仕活動が、シカゴのループ地区の公衆便所設置運動です。

 トゥイードとカーターは、後日、連名の共同声明の中で、その本意を次のように述べています。
「まったく利己的な組織には永続性がありません。もしも我々がロータリークラブとして生き残り、発展することを望むならば、我々の存在を正当化するために何ごとかをしなければなりません。我々はある種の市民に対する奉仕をしなければならないのです。この定款の改正は、われわれが市民に対して奉仕をすることが可能になるように、シカゴ・ロータリークラブの綱領を拡大することを目的としたものです。」

 会員同士の親睦と、物質的相互扶助を二本の柱として、エゴイズムに満ちた活動をしていた原始ロータリーは、新入会員ドナルド・カーターによって、始めて奉仕の理念の重要性に気付いたのです。