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炉辺談話(140)

バルセロナ国際大会報告

6月20日 木曜日

関空からJALで夕刻ロンドンに着きました。折悪しくスペインではゼネストのため、あらゆる交通機関はストップしているという情報が入っていましたので、駄目でもともとと、乗継ぎ便のBAのカウンターで尋ねると、私たちの乗る便だけが飛ぶという、信じられないような返事が返ってきました。この日のロンドンからバルセロナに行く全ての便はキャンセルされており、唯一私たちの乗る便だけが飛ぶという、幸運に巡りあったわけです。
後から聞くと、ロンドン、パリ、アムステルダム、フランクフルトで一泊された方がほとんどで、中には、なんとかマドリッドまではたどり着いたものの、長時間バスに揺られて、ほうほうの態でバルセロナに着いた方もおられるようです。ただし、ストの影響で空港にはタクシーがおらず、やむなく、闇タクのお世話にならざるを得ませんでした。空港には、ロータリー関係の出迎えはもちろん、カウンターもそれらしき掲示もなく、極めてずさんな歓迎振りでした。翌日、ストが解除された後も、まったく同じ状態だったそうです。 


6月21日 金曜日

昼前、ホテルから約4キロの道のりを徒歩で大会会場まで下見に行きました。山歩きを趣味とする私の地区のガバナー・エレクトの誘いに乗ったのが大間違いで、30度を越す炎天下で、1時間近い艱難苦行をする結果となりました。この原稿を書いている現在も、腰の痛みがとれません。
大会会場は、スペイン広場から南の広大な丘陵地帯に散在しており、上り詰めたMontjuicモンジュイックの丘にあるPalau Sant Jordiのドームが本会議場です。この丘に登る百メートル以上にものぼる階段の両側には、屋外エスカレーターが設置されていますが、それに乗るまでの平坦な道を歩くだけでもかなりの運動量になります。もっとも、スペイン広場からドームまでは、かつて有森選手が最後の力を振り絞って力走した坂道を、シャトル・バスがピストン運行していますが、炎天下で長いラインに並ぶのも大変なことでした。とにかく大会期間中、30-25度という真夏日が続き、汗をかいてはビールを飲むという毎日でした。

会場入口の左側の建物が「登録会場」、右側が「友愛の家」になっています。ただし今までの大会と違って、「登録会場」の中に「ロータリー親睦グループ・ブース」と「ワークショップ・ブース」があり、「友愛の家」の中に「友愛の広場」以外に「RI、財団ブース」や「物品販売ブース」があり、更に「ブリスベン国際大会」のブースは「友愛の家」に、「関西国際大会」のブースは「登録会場」にあるという、極めて判りにくい設営でした。
昨年度は70近くもあった「ロータリー親睦グループ・ブース」は、僅か22しかありませんでした。常連となっている「ROTI」「ICUFR」「ヨット」「アマチュア無線」は健在なものの、私が申請した「囲碁同好会」は申請期限切れという理由で断られ(締切り日から2日遅れ)、例年お手伝いをしている「ロータリー伝統と歴史の会」のブースも、どこを探しても見当たりませんでした。そのくせ、カーテンで覆っている未使用の空間が至る所に見られたのは不思議なことです。
午後は同行の数名と、郊外の修道院への観光、夕食はおいしい地中海料理とワインに堪能しました。  


6月22日 土曜日

日中は市内観光後、夕刻より開催されるデブリン元会長主催の晩餐会に参加するために、会場の下見をしていると、ばったりとデブリン氏と会いました。本人じきじきに会場を教えてもらい、正装して晩餐会に行きました。デブリン会長時代の委員やタスク・フォース・メンバーを中心に200名位が集まった会でしたが、日本人は私と私のゲスト2名だけ。しかし、先月囲碁国際大会で台湾に行った時知り合った大勢の台湾のメンバーと再開し、楽しいひと時を過ごすことができました。 


6月23日 日曜日

眠い眼を擦りながら、インターコンチネンタル・ホテルの地下で朝7時より開かれた、恒例の日本朝食会に参加しました。630名もの日本人ロータリアンが集まって、各所でいろいろな話題の花が開いていました。ゲストとして参加したラタクル会長エレクト、マジアベ会長ノミニー、ジアイ財団管理委員長からメッセージが述べられましたが、肝心のキング会長の姿が見えなかったのは残念でした。 

4時半から、ドームで開会式が開催されました。それに先立って郷土芸能やアクロバットやダンスのパレードが会場を練り歩きましたが、プロによるエンターテイメントとは程遠く、失礼な表現ながら、ちょっとましな学芸会といった程度の余興でした。例年の国際大会では、開会式と閉会式との余興に一番力を入れているので、いささかがっかりしました。
開会式は型どおりの加盟国国旗入場で始まりましたが、昨年の騎馬による入場のような迫力はなく、極めて平凡な演出でした。
キング会長は、そのスピーチの中で、NGOとしてのロータリーの活動の重要性について触れ、この一年間のロータリーの活動を収録した「人類が私たちの仕事」のビデオが上映されました。
開会式の最後に、喜劇俳優ジェリー・ルイス氏にロータリー栄誉賞が贈られ、これに対するギャグ入りの短い謝辞が、ルイス氏より述べられました。 


6月24日 月曜日

大会2日目の本会議は、ドクターマン元RI会長より「ロータリーの公共的イメージと来るべき100周年」というスピーチがありましたが、内容は国際協議会におけるスピーチとほぼ同様ですので、省略いたします。それに引き続いて、例年の型どおり、RI元会長、RI会長、RI理事の家族紹介がありました。
RI会長とケネス・ボイドRI会員増強執行委員長から、グローバル・クエスト賞の発表があり、受賞した地区ガバナーとクラブ会長に記念品として地球儀が贈られました。なお、本年度の会員増強は72,500名とのことです。

非常に残念なことには、昨日まであれだけ沢山いた日本人ロータリアンの姿はほとんど見かけず、たまにすれ違うのは、いつも大会に参加して顔なじみの一握りのロータリアンだけだという有様です。例年のことながら、非常に寂しいことです。「登録会場」に設けられた「2004年関西国際大会」ブースを訪れる日本人の数も少なく、拍子抜けでした。マジアベ会長ノミニー(関西国際大会開催時のRI会長)は、関西大会では全期間大会参加をするようにと要請していますので、くれぐれも宜しくお願いいたします。
1時から、別館でRI会長主催昼食会が行われ、約1,500名が参加しました。この手の昼食会は、いつもは不味い料理が定評ですが、今回はシーフードが主流で、まずまずのものでした。


6月25日 火曜日 

10時より本会議が開かれ、エド・フタ事務総長よりRIの現況報告に引き続いて、RI会長賞の表彰がありました。会員増強やロータリーの公共的イメージ高揚に貢献したとして、2470、5000、7930、9430地区のガバナーと4つのクラブ会長が表彰されましたが、残念なことには日本は入っていませんでした。
車椅子財団のケン・ベーリング会長のスピーチと、同財団の活動がビデオで紹介され、寄贈を受けた30数ヶ国の国旗をつけた赤い車椅子が舞台を埋め尽くしました。
次いで役員選挙があり、03-04年度ガバナー、03-05年度の理事と共に、ナイジェリアのジョナサン・マジアベ氏が2003-04年度RI会長に決定しました。同氏は受諾演説の中で、「私が住んでいる国からロータリー会長が出ることなど考えたことはありませんでした。これはポール・ハリスがザ・ロータリアン誌に書いた、人種的差別廃止を証明するものであります。」と述べました。

この日のハイライトはなんと言っても、前ソビエト大統領、ミカエル・ゴルバチョフ氏のスピーチでした。ロシアが社会主義と決別し、我々と同じ理念を共有しつつあることを、しみじみ嬉しく感じました。ちなみに現在ロシアには70以上のロータリークラブができているそうです。ゴルバチョフ氏の功績を称えて、キング会長から国際ロータリー奉仕賞が贈られました。

13時から会長エレクト主催の昼食会がありましたが、ひな壇を作らず、一般の会員と同じフロアーに座ったラタクル会長エレクトの姿に、東洋人の謙虚さを感じました。
午後からは、青少年を対象としたインターアクト国際大会、ローターアクト国際大会、ライラ国際大会、青少年交換学生国際大会、ロータリアンを対象とした会員増強、リーダーシップ研修、ロータリーの公共イメージ、クラブおよび地区の改善、失明回避のワークショップが、時間をずらしながら、それぞれ別の会場で同時進行しました。ロータリアン関係のワークショップが盛況であったのに反して、青少年関係の大会は、対象となる青少年の参加が少なかったとの話です。 

夜はホスト・イベントとして、旧闘牛場を借り切ってスパニッシュ・フェスタ・オーレが開かれました。闘牛が盛んなマドリッドと違って、ここバルセロナは闘牛反対運動の中心地とあって、肝心の闘牛はなく、角を持って牛のまねをした子供を、闘牛士の服を着た子供がさばくといった、拍子抜けの演出、さらに次々と出てくる各地の民族舞踊も素人だましで、延々と続く同じような踊りに退屈したので、途中から抜け出して、探し当てた日本料理屋で故郷の味に堪能しました。 


6月26日 水曜日

ラタクル会長エレクトのスピーチは極めて感動的なものでした。例年の会長が強調する、会員増強や財団寄付にはほとんど触れず、「ロータリー運動の原点を考えよう」[bottom-upの重要性]「職業分類に基づいた職業奉仕の必要性」「職業倫理の高揚」「人類愛」についての精神性の高い内容であり、次年度は素晴らしいロータリー年度になることを確信いたしました。
ロータリー国際理解と平和賞が、小麦の品種改良によって世界の飢餓対策に貢献した、1970年のノーベル平和賞受賞者、ノーマン・ボーローグ氏に贈られ、同氏と講演と共に、その活躍を記録したビデオが上映されました。それに引き続いて、アナン国連事務総長夫人のボランティアに関するピーチが行われました。
ポール・ハリス・フェロー昼食会の後、昨日同様に青少年関係全部門の国際大会と、ロータリアンを対象とした財団情報、国際問題研究のためのロータリー・センター、ポリオ撲滅、資金開発に関するワークショップが同時開催されました。 

20時から始まった閉会式では型どおりのセレモニーが続きましたが、閉会の辞を述べたキング会長が夫人と共に歌いだしたのには、いささかびっくりしました。
アトラクションは、華麗なクラッシック・ポピュラーの演奏に引き続いて、喜劇俳優ジェリー・ルイス氏の若かりし頃のビデオ上映と共に、同氏のトーク・ショーがありました。かっての細面の顔に、ひがら眼という面影はまったく消えうせて、顔も体もまん丸になっていたのはいささか驚きでした。観客には大うけで、拍手と笑いの連続でしたが、われわれの語学力では英語のギャグにはまったく歯が立たず、一分遅れの同時通訳では、笑いのタイミングを失うという、いわば苦痛の時間でもありました。 

大会日報は、英語版は22-23日合併号、24日号、25日号、26日号の都合4回発行されましたが、日本語版は22-23日合併号が1回発行されただけでした。
ホスト委員会発表によれば、大会参加国は146ケ国、登録者数 19,004名(内アメリカ 5,663名。日本1,577名。スペイン767名)。ただし、これは最終確定数ではありません。