ブリスベン国際大会報告
6月1日
9時から国際大会恒例の日本人ロータリアン朝食会がコンベンション・センターのプラザ・テラスで開催され、約600名が参加しました。ラタクル会長、マジアベ会長エレクト他殆どの元会長と理事会のメンバーが参加し、なかなかの盛会でした。いつもならば幾つかの会場を掛け持ちする会長も、今年度は最後まで朝食会に参加し、日本に敬意を払ってくれました。
朝食会終了後、夕刻まで、友愛の家の囲碁同好会のブースに詰めました。一昨日の同期会でお世話になったオーストラリアの同期パスト・ガバナーのPatが、ゼネラル・ブース詰めであり、しかも我々のブースの斜め前だったので、いろいろと話に花が咲きました。奇しくも、同じゼネラル・ブース詰めのBillがブリスベン囲碁クラブの会員ということで、本業をサボっては、囲碁ブースでデモンストレーション・ゲームに参加してくれました。顔見知りのロータリアンが次々と立ち寄ってくれ、結構忙しい一日でした。
4時半からの第二回開会式に参加しました。小・中学生による参加国旗入場は、国名が読み上げられる度に、歓声が上がって、華やかな雰囲気でしたが、サーズの影響で参加できなかった、香港と台湾は誰も歓声をあげる人もなく、寂しさを感じました。
ビチャイ・ラタクル会長の挨拶の後、大会に参加した歴代会長の紹介がありましたが、今回の大会にはいつも参加して顔なじみのフィリピンのマット・カパラス元会長や、ブラウン、キングの姿がないのが異様でした。
ホテルに戻ってから、原稿の整理やら、メールの返信に忙殺されました。持参したパソコンはパワーポイント発表用にしか使っていなかったため、アクロバット・リーダーやアンチ・ウイルス・プログラムの更新が出来ていなかったので、そのダウンロードに2時間ほどかかりました。例の「ピー・ヒョロロ」ですから、めっぽう遅いのです。電話代が幾らかかるのかとひやひやしましたが、何時間つないでも市内料金の90セントでいいことを知ってびっくりしました。電話代の節約にと考えて、こまめに切断した方が、結果的に高くついたわけです。
6月2日
大会本会議では、新たに加盟したアフガニスタンと東チモールのクラブ会長へのチャーター伝達、タイ国元首相の紛争解決に関する講演、現・次期理事紹介、ビチャイ・ラタクル会長家族紹介と会長の講演がありました。
会長主催の昼食会は約1500名が参加しました。例年この種の会合はサラダ、スープと肉か鶏のメイン・ディッシュが定番でしたか、今回は10種類以上の国際色豊かな料理がでて、大変好評でした。今日のメニューには巻寿司が入っていました。
午後からは部門別討論会が開催され、私は日本語セッションに参加しました。「ロータリーの原点」をテーマに中島PDGがモデレーターを、スティーブ吉田PDG、田中作次理事エレクト、南園PDGがパネリストを勤められました。
吉田PDGは、ロシアにおけるロータリー拡大に奔走された日系二世で、主として、氏が所属するRI四大奉仕委員会の活動について話され、優れた職業奉仕を実践したロータリアンに対して、全世界で100名をRIが表彰することについて触れました。田中理事エレクトは、ロータリー運動に積極的に参加すること、常に棚卸をして古いものを新しいものに替えていく必要があること、例会の目的と重要性の認識すること、忙しい人ほど時間を作るのが上手で、仕事を停滞させないし、例会出席率も高いと述べました。
南園PDGは、今までRIはロータリーの本質を学ぶことに無関心、無理解であったが、今年度は職業奉仕の必要性を強調している。自分のためだけではなく、他人のために尽くす事が結果として自分の幸せにつながっていくのがロータリーの職業奉仕理念であることを強調されました。
質疑応答では、ロシアにおけるロータリー活動とリタイア後に入会する会員の職業分類に関する話題に殆どの時間を取られ、肝心のロータリーの原点に関する討議がほとんどされなかったことは残念でした。
夕刻から、ブリスベン在住の指揮者朝比奈さんのご子息の奥様のご案内で、14-5名でシーフード・レストランのピア・ナインに行きました。ところが何と、私がブリスベン到着した夜行った店と同じ店。我々のチョイスも捨てたものではないと、妙な自慢をしながら、おいしい海鮮料理とワインに堪能しました。特にタスマニア産の岩牡蠣はおいしく、皆で4ダースを平らげました。ホテルに帰って、例のごとくビールを飲みながら皆で夜遅くまで語り合いました。
6月3日
午前中の本会議はロータリー国際理解と平和賞発表と受賞記念講演、ロータリー財団、ポリオプラス関連の講演がありました。2005年にボリオ撲滅という目標が修正され、2005年にポリオ流行の停止、2008年に撲滅と軌道修正された模様です。
途中で本会議場を出て、友愛の家の囲碁同好会のブース・キーパーを勤めました。日本人のロータリアンはどうやら観光旅行に出かけたらしくて殆ど姿が見えず、台湾はサーズ騒動で参加辞退、韓国も大幅減らしく、日韓台が中心の囲碁ブースは閑散としたもの。デモ・ゲームは中嶋日本支部長と現地のBillにまかせて、会場内を視察しましたが、2004年大阪大会のブースは大盛況でした。
会長エレクト主催の昼食会に参加しました。昨日よりも若干減ったものの1000名ほどの参加で盛会でした。メニューは昨日とは全く違うもので10品のご馳走が並びました。
司会者からクラブ会長エレクトは全員起立するように要請があり、年齢別に順次着席するように指示がありました。最終的に30歳以下の会長が3名残り、最後まで起立していたのは27歳の男性ロータリアンでした。
同様に国際大会参加回数の勝ち抜き戦がありました。私は10回以上参加で着席しましたが、ジアイ元会長、ダクターマン元会長、玉村PDGが最後まで残り、結局37回参加の玉村PDGが最高でした。
午後から、日本語によるグループ討論会に参加しました。岩井PDGから紛争解決のための世界平和奨学生についての報告、重田PDGから識字率向上プロジェクトの説明。渡辺PDGから100周年記念プロジェクトに関する報告がありました。
質疑応答では、世界平和奨学生に対する就職の斡旋に関する提言がありましたが、質問者も回答者も世界平和奨学生ではなく、一般の親善奨学生に対する対策と混同しており、いささか落胆しました。私は、識字率向上の具体的実施方法についての提言をいたしました。安平DGより、ポリオプラスの撲滅達成の日時が修正されたこと、一部の責任者からポリオ撲滅の意欲を殺ぐような発言があったことに対する質問がありました。
夜、ホスト・コミッティ主催のイベントにバスで出かけましたが、会場のものすごい行列に辟易して、早々に退散し、ホテル近くの日本料理や「その」で気炎をあげました。考えることは皆同じとみえて、顔なじみの日本のロータリアンで一杯でした。
6月4日
福本、中村氏は早朝の便で帰国。いつものように、ロング・ブラックにミルクをたっぷり入れてのモーニング・コーヒーを飲んだ後会場にでかけました。
今日は大会最終日。午前中の大半は中嶋PDGと共に囲碁同好会ブースでブース・キーパーを勤めました。友愛の広場の大型スクリーンでエド・フタ事務総長のRI現況報告とD.K.リー財務長の財務報告、次年度役員の選挙を見た後、11時ごろ本会議場に入り、マジアベ会長エレクトの家族紹介とスピーチを聞きました。会長エレクトのホームクラブから大勢のメンバーが、カラフルな民族衣装で登場し、皆から祝福の拍手を浴びていたのが印象的でした。
引き続いて、大阪大会の宣伝のために、日本舞踊、関西を紹介するプロモーション・ビデオが上映されました。有名なお師匠さんだとは思いますが、年をとりすぎているのが難で、どうせ誰も日本舞踊などわかる筈はないのだから、若くてきれいな子を2、3人出した方が効果的ではないかという声がちらほら。それに比して、ビデオはなかなかの出来で、芸者・富士山といった印象は拭い去られたことと思います。千大会委員長のいささか長すぎるスピーチの後、我々全員がそろいの法被姿で気勢を上げました。
元RI役員の昼食会に出席しました。今日はエスニックな料理にまざって稲荷寿司がでました。年度毎のテーブルですが、かなり減って私の年度は20名程度、日本からの同期は私一人で、寂しい限りです。同席者は田中作治理事エレクト、オランダとブラジルの理事エレクトと韓国のパスト・ガバナーで、何れも夫婦同伴でした。元会長の紹介毎に、当該年度の理事やパスト・ガバナーが気勢をあげるのですが、紹介のなかった会長年度の役員がいささか可哀想でした。
囲碁同好会のブースを早めに撤収して、重たい荷物をさげて、一旦ホテルに戻りましたが、閉会式にでるのが億劫になって、パソコンをたたいて時間をつぶし、ヒルトン・ホテル裏で、ベトナム料理の早めの夕食をとりました。
夜、マジアベ会長エレクト夫人がご逝去されたとの訃報が入りました。大阪國際大会の準備会でお話しする機会がありましたが、非常に温和で上品な方で、大会のシンボル・マークに是非、桜のデザインを入れたいと所望されていた姿が印象的でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
6月5日
5時のモーニングコールで起床。タクシーで空港まで行きました。荷物の重量が2キロ、オーバーしていることでひと悶着あり、重たい碁石と碁盤を詰め替えてやっとOK。オーストラリア・ドルを持って帰っても無意味なので残金を計算しながら、ワインや土産を買って、残りでコーヒーを飲んだら、きれいになくなりました。
シドニー経由の関空行きは、またもやガラガラ。今回はサーズ騒動が幸いして、非常に楽な旅でした。
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