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炉辺談話(194)

職業の意義

私たちは、何のために働いているのでしょうか。もしもこの質問をしたら、殆どの人は「生活をするため」と答えるに違いありません。「生活をするため」すなわち、生活をするのに必要なお金を儲けるために働いているというのが、一般的な回答でしょう。
それでは、「何のために職業があるのですか」という質問をしたらどうでしょうか。やはり、お金を儲けるための手段として職業があるというという回答が返ってくるのではないかと思います。

それでは、同じ質問を医師や弁護士にしたらどうでしょうか。
最近のご時世ですから、ひょっとしたら本音は「お金を儲けるため」と考えている人もいるかもしれませんが、多分、建前上は、「自分の専門職務を通じて社会に奉仕するため」という答えが返ってくるでしょう。産業構造の変化によって、医療報酬とか弁護士報酬といった制度が定着した関係からか、専門職務の人たちの考え方も変わってきましたが、建前はそのはずです。

すなわち、ロータリーの職業奉仕理念とは、専門職務の人が考えるべき本来の職業観を、実業人にも当てはめようということなのです。
私たちの職業は社会に奉仕するために存在しているのであって、お金を儲けるためではない。私たちが自分の職業を通じて社会に奉仕している見返りとして、報酬が得られるのだという考え方です。


「不況だ。儲からない」と言って嘆く前に、自分は果たして、どのくらい、職業を通じて社会に奉仕しているだろうかと、問い直す必要はないでしょうか。
以下、1921年のエジンバラ国際大会で、アーサー・シェルドンが行ったスピーチから、この部分を抜粋してご紹介します。


世界中の靴の製造に関するすべてを知っている人全員が、大会に集ったとしましょう。
ブーツやシューズやその他すべての種類の靴の製造に関する全てを知っている、老若男女全員が一堂に会したのです。次に、靴の製造に使われるすべての機械類が、ここに集められたと考えましょう。更に、靴の製造技術に関して書かれたあらゆるデータが、この想像上の大会が開かれている都市に、集められたとしましょう。

大会は議事が進行し、一枚の紙が、みんなに配られます。
その紙には、一つの質問、「何故、あなたは靴の事業に携わっているのですか」と書かれています。大多数の人たちは、正直であり、自分の考え方に従って、正直に答えるでしょう。従って、彼らの答えは、「金儲けをするため」に違いありません。

しかし、それは正解ではありません。すなわち、その答えは全く不健全な人生哲学を反映しているのです。また、この回答は100人中約95人が、結局は失敗する根本的な理由を示しているのです。
商工業の適切な目的に対して推論を適用するという立場から見た正解は、「私は奉仕を提供をするために事業をしています」なのです。純粋理性は、事業が存在する唯一の正当な理由は、奉仕であることを、真摯に考えるように彼に語りかけているのです。

この大会の会議中に、地震が起こって、すべての人間の命と、すべての機械と、そこに集ったすべての記録が破壊されたと仮定しましょう。突然、地球上には、靴の製造技術に関する知識を持った人間は、老若男女の区別なくいなくなるのです。機械も全くありません。記録も全くありません。靴の製造技術は、突如として、この人間の世代から失われるのです。

この出来事によって、靴の事業に携わっていない私たちが、偉大なる奉仕者を失ったという事実に気付くのに、そんなに時間はかからないでしょう。当然のことながら、これと同じ事例は、帽子や服や住居や食物や、その他人間のニーズや快適さや贅沢のために提供されるすべての職業に当てはまります。純粋知性は、卑しい職業だと考えられている商工業の存在について、本当の理由は、人間社会に奉仕を提供することだと、単刀直入に私たちに語っています。

もしも、これが推論の過程として真実ならば、人間の精神的概念が形成されたという考え方は、明らかに正しいのです。人間ほどの素晴らしい創造物を作ることのできる全知全能の神が、人間を単なる金儲けの機械、物的価値の蓄積家として設計したとは、到底考えられません。私たちの直観、私たちの精神的な鼓舞、私たち人間のすべての素晴らしい力、神が奉仕をするために人間を地球上に遣わしたことを語っています。

この事実が、商工業を利己主義の卑しいランクから引き上げて、ロータリアンが心から「超我の奉仕」を宣言することを可能にするのです。それが、ロータリアンが「最も奉仕する者、最も報いられる」と高らかに宣言することを可能にしているのです。私たちの事業が存在する真の理由を意識的に理解することは、私たちの事業に新しい尊厳と、より大きな栄光をもたらすことに繋がります。この法則の中の法則と調和を保って、意識的に仕事をする人は、仕事を愛する理由を十分理解して、自分の仕事に心血を注ぎ、知識と意識を傾注して、自分の仕事を愛することができるのです。