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炉辺談話(197)

関東大震災とロータリー

 1923年 9月 1日、午前11時58分、突如として起こった関東大震災によって、死者9万人、負傷者10万人、焼失68万戸、全壊1万1千戸という大災害となって、首都圏は壊滅的な被害を受けました。RIの対応は迅速で、震災直後の9月 4日にはRI会長ガイ・ガンディカーからの励ましの電報が届きます。

<RI会長ガイ・ガンディカーよりの電文>

RIおよび全ロータリークラブは深い同情の意を表します。如何なる事であろうと、遠慮なく申しつけてください。
Deepest sympathy Rotary international and all Rotary clubs. Is there any particular thing we can do.

 東京が壊滅的な状態であったため、大阪クラブが仲介の労をとり、福島幹事が次の電報をRI本部に打電しています。

シカゴ本部御中
大阪ロータリークラブは、東京の三分の二と横浜のほとんど全域が崩壊した未曾有の災害に対して、日本国民に寄せられた暖かい同情に感謝すると共に、日本国全体がこの不幸に向かって立ち上がるために勇気と行動と決意をみなぎらせており、救援活動も徐々に進み、大阪ロータリークラブ会員も救援活動に然るべく役割を果たしていることを、國際ロータリーを通じて、アメリカ及び他の国にお伝え願うことを希望します。
International Chicago
Osaka Rotary Club desires convey through Rotary International sincere gratitude Japanese people for warm sympathy America and other countries over unheard of disaster two thirds of Tokyo practically all Yokohama destroyed but whole country showing courage discipline determination to rise above misfortune relief work steadily progressing Osaka Rotarians doing their duties.

9月10日にはサンフランシスコ・クラブより1,000ドル、翌11日にはニューヨーク・クラブから1,000ドルの義捐金が到着し、16日にはRI本部より大阪クラブに次のような書状が届きました。

電報を拝受しました。RIが救援資金として25,000ドル寄贈することを東京のロータリアンにお伝えください。東京クラブがこの救援資金を受け取って、救援事業に使用するために、現地の銀行口座に振り込むのか、東京に送金するのか、それともどこかに送金するのか、もし東京クラブが受取ることが不可能なら、大阪クラブが代わりに受取ってもらえるのか、ご連絡ください。
Your cable received. You can advise Tokyo Rotarians that Rotary International offers them twenty five thousand dollars for relief will they accept and use this money shall we deposit it their credit here or Tokyo or where if Tokyo Club cannot accept will Osaka Club.

この電報を受取った大阪クラブ幹事福島は、東京クラブの米山に次のような書状を出しています。

拝啓
大震災に御無事の由、誠に嬉ばしく存じます。ニューヨーク及びサンフランシスコのロータリークラブより、1000ドル宛送金して来たこと及びその処分方法に就いては、星野氏よりお聞き及びのことと存じます。今日は又、シカゴの本部より次の通り2万5千ドル寄付の申込がありました。その電文をお知らせします。(前掲電文)電文の意味は明瞭と存じます。私共は米国ロータリアン一同の深厚な同情に感極まって言葉が出ないのであります。どうか、会員其他に諮られ、なるべく速やかに、御返事を願います。此機会が縁となり御地のロータリークラブは勿論、日本に於けるすべてのロータリー・ムーブメントが大発展をする様希望して止みません。

同時に福島幹事はシカゴ本部にも次のような感謝の電報を送っています。

電報を拝受いたしました。多額の救援金を賜り心から感謝いたします。星野会長は現在東京で相談中です。後刻当方の意向を電報で御知らせします。
Yours received. Heartily appreciate generous contribution. President Hoshino now in Tokyo consulting. Cable disposition later.

相談の結果、義捐金は東京クラブが受け取ることになり、その旨、シカゴ本部に連絡されました。その後世界中のロータリークラブから続々と義捐金が送られ、その合計は最終的に74,000ドルに達しました。クラブの内訳は、アメリカ375、イギリス60、カナダ40、キューバ6、メキシコ4、オーストラリア3、ニュージーランド、オランダ、フランス、パナマ各2、ペルー、南アフリカ、フィリピン、ブラジル、ノルウェー、デンマーク各1、合計16ケ国、503クラブに及びました。
RIおよび世界各国から寄せられた義捐金の金額に関しては、文献によってはかなりのばらつきがあります。
東京クラブは特別委員会を設けて、慎重にその使途を検討し、1924年5月26日に次のような最終報告書をRIに提出しています。なお当時の為替相場は\100=US$49です。

収 入 RIより 74,216円30銭
他のRC、その他 14,944円82銭
合計 89,161円12銭
支 出 木下産院 10,000円00銭
小学校 26,731円60銭
孤児院建設 37,000円00銭
殉職警察官遺族 15,429円52銭
合計 89,161円12銭

孤児院は東京市の希望を取り入れて、東京クラブ会員清水釘吉の設計施工による180坪の鉄筋コンクリート二階建で、一階には事務室、保母室、裁縫室、調理室、浴室、二階には居室6室、集会室を設け、さらにミシン15台を備えた、当時としては最新の施設で、Rotary Homeと命名されました。1924年10月10日に完成し、当日は、大勢の孤児や東京クラブ会員家族が参加して、開館式が催されました。
この建物は10年後に一部修復されましたが、RI脱退後、東京市に管理が移されて、Rotary Homeの名称も消え、その後戦災によって焼失しました。

なお、この震災によって全ての事務用品、書類、認証状、ロータリー旗を失った東京クラブに対して、シカゴ本部より一切の備品が送られてきました。

RIから送られてきた25,000ドルに関しては、国際理解と親善のための基金として貯めていたアーチクランフ基金(現在のロータリー財団基金の前身)を取り崩したものという説と、RIの災害基金から支出したという説がありますが、何れが正しいかは不詳です。