Service above self 考
カール・ウィルヘルム・ステンハマーRI会長エレクトは2005−06年度のテーマを「Service above self 超我の奉仕」と発表しました。
何故、この言葉をテーマとして採用したかという説明の中で「1911年、ロータリアンは Service above self という標語を熱意を持って採択しました。それはこの標語が、生まれたばかりの組織が発展の途上にある中、その理想を巧みに言い表していたからです。それから95年間、この標語は、私たちが人道的奉仕を遂行し、高い道徳的水準を推進し、国際理解と平和のために活動する上で、根底をなす動機となってきました。私たちの生活に内在するあらゆる事象と同じように、この標語を私たちは自然に受け入れることができます。」と述べています。
まず最初にはっきりしておかなければならないことは、「1911年に採択された Service above self 」という部分です。
1911年に発表されたのは Service, not self であって、 Service above selfではありませんし、その言葉が1911年に採択されたという事実もありません。Service,
not self と Service above self との混同はいささかお粗末としても、そのように間違って理解されているのは、1966年に出版されたOren
Arnoldの「Golden Strand」に次のような記述があり、それが広く信じられているからだと思われます。
ポートランドでは全国大会が開催されていた。ホストクラブは、すべての代議員に、愉快に自然に親しみたい観光客としてのスリルを味わってもらおうと、コロンビア川を遡る大きな船に乗れるように手配した。抜け目ない連合会会長から出された、大会の当日の全議事を船の上でやるように手配するという提案は、余りにも魅力的なものだった。皆は賛成してにやりと笑った。もしも、スピーチに穴があけば(大会の講演者がしばしば見せた習慣)、いつでも、移りゆく風景のパノラマを楽しむことができるに違いない。
その日に講演者の一人が、ミネアポリス・クラブの弁護士であり会長のベンジャミン・フランク・コリンズB. Frank Collinsであった。彼の演説は命令調で個性的であり、うるわしき8月の朝のように力強い話しぶりだった。彼が話しを締めくくったとき、人々はただうっとりと彼の演説に聞き入っていた。
ロータリークラブの組織では、為すべきことはただ一つであり、それは出発点を間違わないことである。自分自身のためにそこからメリットを引き出そうとしてロータリーに入る人たちは、選択を誤った人たちであって、ロータリーとはそんなものではない。ミネアポリス・クラブにより採用され、クラブ創立以来堅く守られてきた原則こそ、“Service,
not self”である。
二度あることは三度であった。奉仕のテーマが、再び、短い言葉で宣言された。代議員たちは直ちに、その言葉に飛びついた。 実際、この演説は、アーサー・シェルドンの有名な宣言、“He
profits most serves best”を最初に聞いてから、僅か数分以内になされたものであった。
しかし、このより短い叙述は、再びロータリアンの心を打ち、各クラブは両方のモットーを採用することを決定した。
・・中略・・
“Service, not self”
そう、何れにせよ、自己の存在を考えることが、まったく悪いわけではない。例えば、人間は自尊心を持つべきだし、自分自身を守らなければならない。もし自分自身が零落すれば、奉仕することなどできるわけはない。従って、“Not
Self”が、何を意味しているかを理解することは、まったく難解である。自分自身を二の次にしておくのは良いとしても、それを完全に否定するのはどうかと思われた。
「よし、それなら“Service Above Self”にしたらどうだろうか?」
誰かが意気揚々と、適切な提案をした。
「それは良いね!」
別の人が叫んだ。たぶんそれは、販売の専門家アーサー・シェルドンの興奮した声であったのかも知れない。
「それはよい方針であり、すべてを言い尽くしている。」
明らかに、彼の発言は正しく、その提案は満場一致をもって採択された。そこで、数カ月後には、“Service Above Self”は多くのロータリーのレターヘッドやパンフレットや演説原稿や宣言文に用いられはじめた。更にしばしば、モットーは“Service
Above Self”と“He Profits Most Who Serves Best”が組み合わされて印刷された。 |
1911年のポートランド大会議事録には、大会最終日に欠席役員や会員から寄せられた多くのメッセージが読み上げられ、その中にBusiness Method委員長のアーサー・フレデリック・シェルドンが用意した演説原稿をチェスレー・ペリー事務総長が代読しますが、その内容が参加者に極めて強い心象を与えたので、大会議事録にその全文が印刷され、He
profits most who serves best がモットーとして採択されたと記載されています。
しかし、この大会議事録のどこを探しても、Service, not self がモットーとして採択されたという記載はなく、単に、「船上でミネアポリス・クラブ会長のベンジャミン・フランクリン・コリンズが、ミネアポリス・クラブの運営方針に関する短い演説を行った」とのみ記載されています。なお議事録には、そのスピーチ原稿は収録されておらず、Service,
not self という言葉も、それが採択されたということも記載されていません。
すなわち、1911年のポートランド大会で、ロータリー・モットーとして He profits most who serves best と Service,
not self の双方が採択されたというのは間違いであり、採択されたのはHe profits most who serves best だけです。
船上におけるフランク・コリンスのスピーチ原稿は、How it is done in Minneapolis というタイトルがつけられており、
National Rotarianの1911年11月号に掲載されています。フランク・コリンズがどういう意図から、Service, not self
という言葉を述べたのかを知るために、少し長くなりますが、その全文をご紹介します。
ミネアポリスではどのようにしたか
会長および会員諸君。
昨日の午後、シアトル・ロータリークラブのピンカム氏が私のそばに座り、私たちは、ロータリーについて語り合いました。私は、会員に利益をもたらし、ロータリーを魅力的にするために、ミネアポリスで私たちがしたことの概要を少しばかり披露しました。
彼は、「この線に添った短い話なら、多分、ここにいる他の代表議員の人たちにも了解してもらえるかもしれません。」と言いました。ハリス会長はその発言を採り入れて、私たちが、ミネアポリスで考えだして努力した方針の概略について述べるために、私の発言時間を延長すると言いました。
(コリンズ氏は、盛大な拍手によって、中央の演台にあがるように要請されました。)
ミネアポリス・ロータリークラブは、1年前の昨年1月、ハリス氏とシカゴ・クラブの10名の会員によって組織が作られました。私たちは、チャーター・メンバーの公正なリストの下に、毎月一回、例会を開催するという考えの下で出発しました。
毎月一回の例会では、私たちが望んでいるようには、会員の関心を保ち続けられないことが、この勝負の極めて早い段階で明らかになりました。そこで、会長は昼食を採りながらこの問題を入念に調べるために、理事会を開いて、全ての主だった委員会の委員長を招待しました。この問題は徹底的に議論されて、クラブを良くするために、毎週規則的に昼食会を開催すべきであることが決められました。
当時は、7月と8月には例会を開催しない方がいいと考えていましたが、その時期がやってくると、例会に対する関心が高まってきました。出席についても、7月と8月も例会を続けた方が得策であるという考え方が、強くなってきて、それ以来、私たちは必ず金曜日に例会を開くということを守ってきました。
ロータリークラブの組織では、なすべきことはただ一つであり、それを正しく始めなければなりません。正しく始めるためには、ただ一つの方法しかありません。
自らの利益が得られるかもしれないと思ってロータリーに入ってくる人たちは、間違った部類の人たちです。それはロータリーではありません。ミネアポリス・クラブによって採用され、当初から定着している原則は、「Service,
not self」です。
私たちはクラブの会員自らによる例会運営で成功を収めていたので、関心を得るために、外部からのタレントを招く必要は一切ありませんでした。入会を促すための慣例的な事柄として行った一・二の例外こそあったものの、私たちの例会は、厳密に、ビジネス・ラインに沿ったものでした。
どのようにすれば結果が引き出せるかという問題については、理事会や種々の委員会の委員長が慎重に検討し、みんなが完璧な友人関係を作り上げなければならないという前提で決定されました。
友愛委員会はこの問題を担当して、クラブのすべての会員を完全な友人関係にするために、その方針に沿ったアイディアを開発して、それを最高の喜びを持たせる方法で成し遂げました。
私たちは金曜日ごとに昼食例会を開催しましたが、一部の会員が、来週の昼食会のチケット販売係として、前の週に委員長によって任命されました。チケットはその人の事業所で販売されるので、クラブのすべての会員は、彼の事業所に行くことが重要な義務となり、そこで彼からチケットを買うことによって、その人やその人の事業を知ることができます。現在、これは、友人関係を緊密にするために私たちが用いている、最も喜ばしい方法の一つになっています。
最初、それが提案された時は、いくらかの反対がありました。
皆は言いました。
「 私たちには時間がありません。 昼食会に行くために、1時間半かかります。さらに、まわり道をして切符を買うためには、余分な時間がかかってしまうでしょう。」
従って、皆が喜んで受け入れるものではありませんでした。提案は、このような方法で彼らに知らされていました。
「もしあなたが、このクラブの方針である "Service, not self" に従って行動しているならば、あなた方は、彼の事業所に行く義務があります。」
そして、それ以来、私たちは全く何の苦労もしていません。昼食会に出席する会員の90パーセントは、その人の事業所に行って、そこでチケットを買い、そこでしばしば、事業上の手腕を発揮します。
少なくとも彼らは、商品を見て、事業所を見て、それを通じて友人となり、心の中に深く刻み込まれれば、ロータリーの枝葉が何であるかが判るのです。
会員が私たちのクラブの会員に選ばれた時には、右側の席に司会役によって招かれます。そして、例会の適切な時間帯に、起立を求められて、司会役によってクラブに披露され、名前や彼が関与する会社が紹介され、自分の事業についてクラブに簡単に説明するために、2分間が与えられます。
その例会が終わるとき、または休憩に入る前には、友愛委員会の委員長が、多分、彼らを連れてみんなの前に現れて、クラブの出口のドアに案内するでしょう。例会が休憩に入ると、友愛委員会の委員長はそこに立って、新入会員とすべての会員の双方を正式に紹介します。彼らは握手をし、話をし、友人になります。それは、一人前の会員として自立するまで、新入会員を私たちのクラブと結びつけておくために、現実的に役立っているのです。
友愛委員会が行った別な活動は、クラブの様々な会員から供給されたメニューに従って、クラブのディナーを手配することでした。そらまめの献立が届けられ、会員の事業所から寄せられる全てのもの、すなわち、ロータリーに入っている肉屋からきたロースト・ビーフ、メニューに載せられている会社の名前などが書き込まれた会社に備え付けのメモにはうんざりさせられたことでしょう。
スープからのデザートまでのすべての品物は、クラブの会員から提供され、食事のメニューが発表されます。
それは、今まで私たちが開催したうちで、最も成功した会合の一つであり、全体の会員の5-6パーセントしか欠席しなかったものと思われます。
私たちは、メーカーや卸売業者やクラブ全体が、昼食会や社交的な夜の会合のために、彼らの事業所に招待されたクラブの会員のおかげで、数多くの夜の催しを行ってきましたが、これは、これまで私たちのクラブによって開かれた、夜間の会合の唯一の例です。
私たちは毎週例会を開いていますが、夜間例会を開く機会を持ったことは一度もありません。
現在、私は果物の卸売業をしていますが、クラブの会員になるために、私の友人のスレッシャー氏に会った時に、私はこう言いました。
「これはすばらしい仲間の集いではありますが、私にとってどのような利益をもたらす考え方なのかが判りません。しかし、これに参加することはうれしいことです。」
そして、私は入会しました。ミネアポリスの通りで何十回も会ったことがあり、話し掛けるほど知っている人たちのように、知り合いになって、顔をつき合わせてあなた方と話をしたいと思っていましたが、彼らを知る以上に、ロータリーであなた方を知ることができました。そのことは、これまで私の人生で手に入れた最高の物の一つであり、今日の私の事業における最大の財産の一つでもあります。
その後まもなく、私たちはある計画をたてました。当然のことながら、私たちのクラブには、中心的に事業を営み、クラブの会員の上得意である一人の食料品商がいましたが、同時に、一軒の食料品店だけを上得意にすることは、クラブの全会員にとっては絶対的に不可能なことでした。
何故ならば、あなた方の近所に食料品店があると、必要なものがすぐ手に入って便利だからです。
ある日、私の息子が私のところに来て、言いました。
「お父さん。今日、或る食料品商がきて、私たちと取引するようにロータリーの会員に勧められたという話をしました。」
私はその会員に電話して、言いました。
「顧客を私に送ってくれたことに対して、とても感謝しています。」
彼は答えました。
「何が起こったかについて、あなたにお話しましょう。 私はちょうどお金を持ちあわせていたので、請求書の支払いをしました。長い間の中で初めてのことでした。食料品商は、お金を貰ったことを大変喜んで、私が望んだことを何でもしますと言ったので、私は、彼にあなたのところに行って、あなたと取引きをするように話したのです。」
この時以来、私は、その人との取引が増えることを喜んでいます。もし私がそうしなかったら、それは私自身の誤りであり、そうする機会が私に与えられたのです。
もし品質や値段やサービスの点で、その人との取引が成立しなくても、その人を私のところに回してくれたロータリアンの過ちではありません。今や、近所にある別の食料品商が私を訪れて、私に話をもちかけるといったことが何度となく起こっています。
「或る人があなたのことを話して、あなたのところに行って、あなたに会いなさいと言いました。」
178人の組織のことを理解するようにあなた方に話し掛けるよりも、彼らの一人一人が、それを実行する機会があるときに、私のことを宣伝してもらう方がよっぽどいいということを、あなた方に話しておきたいと思います。
私たちは、ミネアポリスにおいて、ミネアポリスを後援するための、全てのクラブの中で最大の会員数を擁するパブリシティ・クラブを持っています。事実上、みんながそれに入っており、ロータリアンの99パーセントは入っています。
数週前、ロータリー・クラブのある会員が、パブリシティ・クラブの会長をゲストとして招待しました。彼はやってきて、礼儀正しく、私たちに話し掛けながら、会場の中で自由に振舞っているのを見てうれしく感じました。
彼は言いました。
「皆さん、私は、あなた方に告白することがあります。このロータリー・クラブが創立された時、私は創立会員として署名しました。しかし、私は、深く考えすぎたあまり、窮屈で非現実的なものに思えたのです。そこで、それには賛成するわけにはいかないと考えて、入会しませんでした。しかし、皆さん。創立以来、あなた方のクラブをずっと見守ってきて、今日、クラブがどんなものかが判り、あなた方のクラブは多くのことを実行するクラブであることを知りました。私が創立会員として署名をしながら、このクラブに入らなかったことは、私の人生における誤りであったと考えていることを、申し述べさせてください。」
私たちの会長は、創立総会の席上で、講演者の一人がロータリーを表明する原則について述べましたが、ロータリーの基本とは違った考え方であることを思い出しました。そして、今日のゲストは、候補者名簿に記載しておくので、その機会が訪れたときには、喜んでいつでも会員になってくださいと述べました。
私たちには、クラブから会員が退会したことを判断する規則があります。例会を三回欠席すると、原因の調査が徹底的に行われ、欠席者が理事会に呼び出されて、役員がその弁明が正当であるとみなさない限り、彼の名前は会員名簿から抹消されます。
私たちは、それを二回強行せざるを得ませんでしたが、共に、結果としてクラブのためになりました。 私たちは、喜んで参加し、会員になり、規則的に例会に出席できる人たちの候補者名簿を持っているのです。
私たちは一緒に例会にでることは難しいとしても、部屋のあちこちから、何人かの人が立ち上がって言います。
「彼が努力して私にしてくれたことに対して、感謝したいと思います。」
クラブが創立されて以来、
「私はあなたのために、何々をしました。」と言った人のことを聞いたことはありません。
このことについては、私たちのクラブでは一度も触れられたことはありませんでしたが、何十人もの人たちが、彼らに紹介してもらった取引に対して、感謝をしているのです。
ほんの数週間前、不動産業者が言いました。
「皆さん、私と8,000ドルを超える金額の売買をした顧客を、或る人が私に紹介してくれたことを話しておきます。もし、このロータリーの会員がその顧客を紹介してくれなかったら、この取引が成功するめどは立たなかったでしょう。」
このような例は、ありふれたものです。
私たちは、私たちの昼食のすべての業務を完全に引き受けてくれるハウス委員会を持っています。私たちに昼食を提供する場所は、ラディソン・ホテルであり、それは疑いなく、わが国における最も素晴らしいホテルの一つです。ここにいる人すべては、アメリカ合衆国にある最も美しいホテルの一つで、私たちの例会が開催されていることを、確信していると、あなた方に言っておきたいのです。
私たちは全てのことをハウス委員会に任せています。彼らは完全に準備を整え、食物が運ばれて、私たちの前に置かれます。えり好みする必要はありませんし、無駄な時間を費やすこともありません。
私たちはこういった会員間の友愛の心を長所にしています。
話を終える前に、クラブで起こった最も喜ばしい一つの例を話しておきたいと思います。
会員なって半年に満たない人が、例会で立ち上がって言いました。
「皆さん、私は、この街にある、友愛を基盤とするすべての神秘的な組織に入っています。私はこれらの組織に何年もの間所属しています。そして、これらの組織に何年もいたからこそ、率直にあなた方に言えます。私があなた方のクラブの会員になった半年の間に、私が貸家業を通じて会った人よりも、より多くの人と心を通わせることができました。私は、妻に言いました。『もし私の身に何かが起こり、相談や援助やそのほかのことが必要ならば、ミネアポリス・ロータリークラブに行きなさい。』と。」
私たちのクラブを象徴する言葉こそ「Service, not self」です。 (拍手。)
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どのように解釈するかは、人様々でしょうが、このスピーチの内容を分析すれば、自己を犠牲にして他人に奉仕することを強いているとか、極めて宗教色の強い、次元の高いスピーチという評は当てはまらないのではないかと思います。むしろ、今までは会員同士でおこなっていた相互取引を、ロータリアン以外の人にも広げていこうという単純な内容とも理解できます。
ロータリーは、profitsを適正にシェアすれば、結果として継続的な事業の発展が得られるというシェルドンの理論を採用したわけですが、profitsが得られる具体的な事例を表に出さない限り、誰もロータリー運動に参画しなかった時代です。従って、同じ時期に発表されたコリンズのスローガンが、物質的相互扶助に関連していたとしても、至極当然なことだといえます。 従って、この「Service,
not self」は、元来、会員同士に限定されていた物質的相互扶助を、他の人たちにも開放しようという、現在の我々から見れば極めて当然なスローガンであったにもかかわらず、これを宗教的または人類愛に基づいた高次元のスローガンと誤解した後世の人たちが、「Service,
not self」に「自己犠牲に基づく他人への奉仕」という間違った解釈をつけたものと思われます。
この「Service, not self」という言葉がロータリーの公式文献中に正式に登場するのは、1916年にサンフランシスコで開催された国際ロータリークラブ連合会年次総会で、ガイ・ガンデカーが書いた「ロータリー通解」が全会員に配布され、この文献中にロータリー・スローガンとして「He
profits most who serves best」と「Service, not self」のフレーズが引用されていることに因ります。
ガイ・ガンディカーはこの「ロータリー通解」の中で「He profits most who serves best」についてはかなり詳しい解説を試みていますが、「Service,
not self」については、そのフレーズを引用しているだけで、解説は加えていません。
いつごろの時代の人たちが、「Service, not self」に「自己犠牲に基づく他人への奉仕」という間違った解釈をつけたのかは判りません。その間違った解釈を信じた人たちが、「それでは困る、自己の存在を認めた上で、他人のために奉仕する」に変えてもらいたいということで、現在我々が慣れ親しんでいる全く別なスローガン「Service
above self」を作り、それがロータリー・モットーとして、1950年のデトロイト大会で承認されたと考える方が自然ではないでしょうか。
1916年に、ガイ・ガンディカーは「Service, not self」という言葉を使っていますから、「Service above self」が生まれたのは、それ以降だと思われます。
「Service above self」というモットーは誰によって、何時作られたかについては不明です。
「He profits most who serves best」は、この文章の作者であるアーサー・フレデリック・シェルドンが4つの論文に、その詳しい解説を述べているので、その真意を理解することは可能です。「Service,
not self」もフランク・コリンズの原稿を読めば、その真意が理解できます。しかし、「Service above self」に関する限り、作者も年代も不明ですから、何を言わんとしているのかという真の意味は判りません。色々な人が色々な解説を試みていますが、それはあくまでもその人の考え方に過ぎません。本来の意味を裏付ける資料が見あたらないことは非常に残念なことです。
なお、このモットーはシェルドンの作だという人もいますが、これも、Golden Strand に書かれている以下の文章の影響を受けたものと思われます。
「よし、それなら“Service Above Self”にしたらどうだろうか?」
誰かが意気揚々と、適切な提案をした。
「それは良いね!」
別の人が叫んだ。たぶんそれは、販売の専門家アーサー・シェルドンの興奮した声であったのかも知れない。
「アーサー・シェルドンの興奮した声であったのかも知れない。」と書かれてあるのであって、「アーサー・シェルドンである。」と書かれているわけではないのです。National
Rotarian や初期の The Rotarian、大会議事録を片っ端から調べましたが、「Service above self」がシェルドンの作だと断定する資料は見当たりませんでした。
私はロータリーには二つのモットーがあり、一つは職業奉仕を表すモットー「He profits most who serves best」であり、もう一つは人道的奉仕活動を表す「Service
above self」であると考えています。
今、次年度の国際ロータリーのテーマとして、「Service above self」が提示されたことは、取りも直さず職業奉仕の理念が衰退して、ボランティア活動に代表される人道的奉仕活動一辺倒に変貌するのではないかという危機感を抱いていますが、皆さまはどうお考えですか。
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