ポール・ハリスは1935年から3年間かけて、アジア、南米、ヨーロッパのロータリークラブを訪問しています。病が癒えたばかりの身体で、敢えて世界一周の視察を試みたのは、高まりつつある国際間の緊張をロータリアンによる友情を通じて緩和しようとする試みだったといわれています。
1935年…ハワイ、日本、上海、香港、マニラ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ(エドモンド地区大会)、メキシコシティ国際大会
1936年…コロンビア、パナマ、エクワドル、ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル
1937年…スイス(モントルー国際協議会)、フランス(ニース国際大会)、イギリス諸島
日本滞在は僅か2日という強行軍でしたが、その詳細は次の通りです。
1935年2月1日
ホノルル発のプレジデント・クーリッジ号に乗船して横浜へ向かいますが、途中、暴風雨の余波を受けて、到着が大幅に遅れます。当初は2月6日、午前8時横浜入港の予定でしたが、3日も遅れたため、日本において準備されていた公式行事はすべてキャンセルされることになりました。
2月9日
午前5時、横浜港に到着。少憩の後、車にて東京へ。帝国ホテルで月桂樹を記念植樹。芝公園内紅葉館にて昼食会。その後御木本真珠本店見学。
夕刻、東京會舘で開催された、東京・横浜クラブ主催の晩餐会に出席。米山梅吉、斉藤実伯爵(前首相)が歓迎の辞を述べ、ポール・ハリスとヒルRI会長が挨拶。徳川家達公爵(東京クラブ名誉会員)も出席。
夜、夜行列車にて東京駅出発。京都へ。車中泊。
2月10日
早朝、小雨の中、京都に到着。
京都 東郷男爵夫妻がエイド役をつとめて、午前中京都市内観光(二条城、桂離宮)の後、車にて大阪へ。
大阪 村田省蔵第70地区ガバナーと会談。京都・大阪・神戸クラブ主催の歓迎昼食会が新大阪ホテルで開催され、日本全国から150名のロータリアンが急遽参加。その席上でポール・ハリスの胸像を贈呈。(後日、大阪商船の船でシカゴに直接輸送する)車にて神戸へ。
神戸 神戸クラブからハリス夫人に花束と絵日傘を贈呈。夜、プレジデント・クーリッジ号にて離日。上海、香港を経由してマニラへ。星野行則、伊藤忠兵衛、宮岡恒次郎等14名の日本人ロータリアンがマニラまで同行。
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