社交クラブとしての出発
共通の趣味や興味を持つ仲間が集まって作る団体のことをクラブと呼んでいます。クラブはイギリスで発祥したと言われており、特定の大学の同窓生、特定のスポーツ団体、軍隊の仲間を中心に作られた親睦団体がその起源です。特定の政治的思想を持った人たちの集まりのことを「政党」と呼んでいますが、これもクラブの一種です。先日来、郵政民営化を巡って、自由民主党内で争いが続いていますが、異なった政治的思想を持つ勢力が同じ政党内に存在することは、クラブの定義上ありえないことなのです。
懇親のための場所を持ち、人と会ったり、飲食をしたりする社交の場のことを社交クラブと呼んでいます。ロンドンの繁華街をさまよっていると、路地のつきあたりに地下に降りる石造りの階段があり、その奥に分厚い樫の木のドアがあります。そのドアをコツコツと叩くと、ドアの視線の高さに付いている小窓が開いて、もしもあなたがそのクラブの会員ならば、おもむろにドアが開いて、中に招き入れてくれます。こんな場所が社交クラブの原型です。イギリスの社交クラブは伝統的に男性中心であり、女性の立ち入りを受け付けないケースが多いようです。
宗教的な迫害や経済的な事情から祖国を捨てて、新大陸に移住してきた人々も、いろいろな理由をつけてこういった社交クラブの伝統を受け継いで、くつろぎの場所を作ったことは、容易に想像できます。
ポール・ハリスが殺伐とした大都会の中で、心から語り合える友を求めて、ロータリークラブを作りましたが、このロータリークラブも当時星の数ほどあった社交クラブの一種であって、決して独創的な設立作業ではありませんでした。彼は当時すでに、シカゴ・プレスクラブ、プレーリークラフなどの幾つかのクラブに入っており、その延長線上にロータリークラブを設立したに過ぎません。ポールがその中の幾つのクラブに入っていたのかは判りませんが、当時、全米各地には数え切れないほどのクラブが出来ては潰れていったことは間違いありません。
シカゴ・ロータリークラブもいつ潰れてもおかしくない状況で設立され、極めて危険な綱渡りをしながら、細々と生き長らえていったのです。親睦に加えて会員同士の物質的相互扶助に大きなメリットがあったため、徐々に会員数を増やしていったものの、クラブの運営は極めていい加減なものであり、その証拠に、シカゴクラブ創立後5年間の記録はほとんど残っておらず、正式な記録は全米ロータリークラブ連合会が設立された1910年以降のものしかありません。
拡大作業も、新たに一から作ったのではなく、既存クラブを単に名義変更したケースも数多く見受けられます。ミネアポリスでは、すでに一人一業種制度を採用したパブリシティ・クラブが創立されており、その組織がそっくりそのまま、ロータリークラブに名前を変えたというのが真相です。ロスアンゼルスではハーバート・クィックが、株式会社として全米ロータリークラブという組織を作っており、これが後発のロスアンゼルス・ロータリークラブに吸収されたのは1912年のことでした。
イギリスでは、正式な拡大作業が始まる前に、元サンフランシスコ・ロータリークラブ会員スチュワート・モローが、個人的に、ダブリンとベルファストにロータリークラブを設立しましたが、会員一人当たり1ポンドの手数料を取っていたことが露見するという事件が起こりました。この二つのケースは、ロータリーが急速に広がっていったことを見た、利に聡い人たちが、これを商売に利用したもので、何でも金儲けの手段に利用しようという当時の状況がよく判ります。
当時数多くの社交クラブが生まれては潰れていったのに、なぜ、ロータリークラブを始めとした、ライオンズクラブ、キワニスクラブなどの奉仕クラブだけが今日まで生き延びたのでしょうか。もしもこれらのクラブが当初かかげた会員の親睦のみを目的とした社交クラブの域に留まっていたとしたら、きっとその寿命は10年ともたなかったことでしょう。他の奉仕クラブのことは別にして、もしも、1906年に、ドナルド・カーターが対社会的奉仕活動という概念を提唱しなかったとしたら、1908年に、アーサー・シェルドンが職業奉仕という概念を提唱しなかったとしたら、1923年に、ウイル・メーニァやポール・ウエストバーグが決議23-34によって奉仕理念と奉仕活動の実践とを調和させなかったとしたら、今日のロータリーがないことは間違いありません。ロータリークラブの目的を、利己を目的とする親睦や相互扶助から、他人の事を思い遣り他人のために尽くす奉仕に転換させたことが、ロータリーの発展に繋がったのです。
さらに、ロータリー運動が創立者のインスビレーションに捉われることなく、毎年指導者が交替するという斬新な運営方法を採ったこともロータリーが発展した大きなファクターの一つです。
現在のロータリーの綱領や定款の中には、どこを探しても「親睦」の文字を見つけることはできませんし、社交クラブの面影は残っていません。しかし、ロータリー運動の目的から「親睦」は消え去ったとしても、ロータリー運動の前提として、「親睦」は欠かすことのできないファクターであることは、間違いのない事実です。時代と共に、ロータリー運動がどのように変化していこうとも、ロータリーが親睦を目的とした社交クラブとして出発したという事実は、すべてのロータリアンの遺伝子の中に深く刻み込まれているのです。
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