新春雑感
私の仕事部屋には3台のパソコンが並んでいます。右端はPentium 3内蔵のバイオで、三年前に当時の最高機種ということで大枚を払って買ったものなので、少々型遅れになりつつありますが、苦労して集めた数々のソフトの大半がインストールされている関係もあって、メイン・パソコンとして、だましだまし使用しています。本体のDVDの調子が悪いので、外付けを増設し、MO、HDD、スキャナー、レーザー・プリンターがぶら下がっています。
中央のパソコンはPentium4内蔵の3.3Mヘルツの我が家における最高機種で、日本橋へ行って部品を集めて、すべて手作りしたものなので、市販同機種と比べると半値くらいで出来上がりました。もっぱらホームページ作成と画像処理に使っており、スキャナー、フィルム・スキャナー、カラー・プリンター、1GのHDD、MOが付いています。大型の液晶モニターを付けているので、本来の用途以外には、テレビやDVD再生用として使用しています。
左端はインターネットとメール専用で、光通信に常設しています。現在1日平均100通ほどのメールが到着しますが、ウイルス・メールも含めて80%がジャンク・メールなので、二重三重のフィルターをかけて、なるべく自動的にゴミ箱に行くように設定しています。選別のレベルを上げすぎると、必要なものまでがゴミ箱行きになるので、さじ加減が難しいところです。
現在、この原稿を打ちながら、中央のパソコンで何年ぶりかに紅白歌合戦を見ながら大晦日を過ごしています。今でこそ、毎日パソコンに向かってキーボードを叩き続けるという、聖人君子のような生活を送っていますが、1980年代には毎晩のように三宮に繰り出して、歌ったり飲んだりの生活だったので、かなりの歌のレパートリーを誇っていたのですが、紅白歌合戦には殆ど知らない歌ばかりが登場するには、いささか驚いています。昔から演歌は苦手で、アリスとか井上陽水といったいわゆるニュー・ミュージックばかり歌っていたので、久しぶりに聞く、再結成のアリスや松任谷由美の声に当時を懐かしく思い出しました。
さて、これらの新しい歌のほとんどに部分的とは言いながらも英語の台詞が入っており、それをきれいな発音で歌っているには驚きました。改めて、若い人たちの語学に対する適応力の素晴らしさに感服した次第です。
実は、私は外国語が嫌いな上、あまり勉強しなかったことも手伝って、大学での語学の成績はなんとか合格点を取る程度で終始しました。二人の娘が神戸のカナディアン・アカデミーを卒業して、相次いで渡米し、現地で結婚したこともあって、訪米する機会が多くなったので、50代になってから独学で英語の勉強を再開することになりました。覚えている単語の数だけは誰にも負けないと自慢しており、英文和訳にはかなりの自信を持っているのですが、ヒアリングと英作文は幾ら努力しても一向に上達する兆しは見えない状態のままで現在に至っています。
どうやらヒアリングを含めた英会話には、努力とは無関係の天性があるようです。上の娘は現在シアトルで獣医をしていますが、渡米直後はハワイ大学で比較言語学を学んだせいもあってか、まったくネイティブ・アメリカンと変わらないように流暢に英語を操ります。子供のころから歌手の物まねがうまかったので、外国語の習得も物まね上手という天性が幸いしたのかも知れません。物まねが下手だった下の娘は、JCBクレジットのニューヨーク支店に勤めていますが、即座に外国人だと分かる発音で英語を喋るところは私とそっくりです。
私は5名の米山奨学生のカウンセラーを勤めましたが、日本語の習熟と専門分野の学問の習熟には、まったく関連性がないことを痛感しました。すばらしい成績なのに、日本語が一向に上手にならない学生にも何人も出会いました。従って、日本語が短期間で上達するのは、もちろん努力のせいはあるにしても、大いに天性が関係していることは否定できません。
従って、いくら努力しても一向に英語が上手にならないのは、天性のせいだとあきらめている今日この頃です。
ロータリーの世界では、その本部がアメリカにあることから、すべての情報は英語で発信されます。しかし英語を母国語としないロータリアンも数多く存在するので、公式言語に指定されている言語の場合は、それぞれの国語に翻訳された情報が提供されるわけですが、その情報量は、英文の情報と比べると極めて僅かであり、その質もかなりの問題をかかえているようです。以前は日本国内に文献翻訳委員に指名された英語に堪能なロータリアンがいたのですが、その制度が廃止された上、RI日本支局に委任されていた翻訳業務も、現在はRI本部で行うことになっています。従ってRIのテーマや定款、細則を含めたすべての情報は、RI本部で翻訳された上、日本に送られてくるのです。
私も1998年ころから、なるべく多くの一次文献を日本のロータリアンに紹介したいと考えて、翻訳に挑戦していますが、一番苦労することは、著者がその文章をしたためた心境に戻って、いかに美しい日本語に置き換えるかということです。そのためには、単語や熟語の意味を正確に翻訳することも大切ですが、それ以上に大事なことは、いかに美しい日本語の表現を使うのかということです。そのためには、英語に堪能であることよりも、むしろ日本語に堪能であることが要求されるのではないでしょうか。
現在、日本語課には6名の日本人職員がいますが、その大部分は現地採用の職員です。まことに失礼な表現ながら、現地で長く生活している関係上、英語が堪能であることは間違いありませんが、日本語能力についてはどの程度の実力をお持ちなのかいささか疑問であることは、長くアメリカに住んでいる私の二人の娘の状況からも容易に推測することができます。
戦前の日本のロータリアンはアメリカから押し付けられることを良しとせず、日本的な発想を盛り込んだ独自な意訳をして、ロータリーの精神を理解しようとしたことは、ロータリーの綱領を大連宣言に置き換えようとした事実や、ロータリー日本化の一連の動きからも明らかです。こういった行動を阻止するために、戦後にRIに復帰後はできるだけ原文に忠実な直訳を要求されていることもあって、ますます無味乾燥で文法的にも不可解な日本語翻訳になっていることは、炉辺談話284四つのテストの解釈、炉辺談話315ロータリーの綱領からもご理解頂けるのではないかと思います。
インターネットを通じて提供される情報量の増加は目を見張るものがあります。しかしその情報の90%以上が、英語のみでしか提供されていない現状に、どのように対処したらよいのでしょうか。さらに翻訳されて提供される情報が、洗練された日本語とはほど遠いものならば、どう対処したらよいのでしょうか。
正しくて美しい日本語によるロータリー情報が提供できるような方策を考え、実行することが、今の日本ロータリーにとって何よりも大切なことではないでしょうか。
いつの間にか、2006年になってしまいました。
改めて、新年おめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。