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炉辺談話(321)

ポール・ハリス語録より(2)


 私たちの生きる目的は何でしょうか?
 学ぶことです。
 何を学ぶために生きているのでしょうか?

学ばなければならない唯一のことは、どうすれば自己にとらわれないようになるかということです。私たちはそれを学ばなければなりません。学ばないわけにはいきません。ひとりでに学ぶことができなければ、強制されるでしょう。遅かれ早かれ、私たちは自己と決別せざるをえません。最後の日を迎えるまで、自己にとらわれているかもしれません。あるいは自然に、徐々に、そうです、喜びをもって、自己と決別できるかもしれません。

18歳のとき、あなたは100パーセント、エゴそのものです。そうではありませんでしたか? 単に自己中心的であるばかりでなく、徹頭徹尾自分のことだけ考えていました。トーマス・カーライルによると、18歳で、人は嫌味の極致に達する、ということです。

それから、仕事に就きます。そして、あなたの自我が屈服します。次いで、結婚します。結婚に伴い、あなたの自我はまた屈服します。そして幸い子供に恵まれましたら、そのときまでには、あの100パーセントのエゴで残っているものはほとんどないでしょう。自我との決別はこのように徐々に、自然に、喜びを伴いながら来ますので、あなたは自分の内部で何が進行しているかほとんど気付かないでしょう。それぞれの経験は、待ち望まれ、言い表しがたい喜びをもって期待されたものです。これは犠牲でしょうか? そうです、犠牲と呼ばれてきたかもしれません。しかし、あなたは、犠牲を払うという栄誉のために懸命に闘ってきたことでしょう。

これが極く自然な学び方です。あなたの母親も同じように学んできました。母親の人生は、あなたのよく知っている「Service, not self」という主義を最もよく表わしています。最後の日を迎えたとき、屈服しなければならないものは、彼女にほとんど残っていません。彼女には1パーセントのエゴしかありません。その1パーセントは、揺らぎながら消え去ります。しかし99パーセントは、これまで生きてきましたし、現在も生きています。そして、これからも生き続けていくでしょう。

 私たちの生きる目的は何でしょうか?
 学ぶことです。
 何を学ぶのですか?
 人生を学ぶのです。
 人生から何を学ぶのですか?
 人生から学ぶのは唯一のことです。人生を送る中で、いかにエゴと決別するかを学びます。

ナショナル・ロータリアン、19127月号

 若い独身時代には、自己中心の利己の考え方で固まっていた人も、就職によって職場というコミュニティの一員となり、さらには結婚して配偶者を持ち、子供にも恵まれて家庭というコミュニティの中で生活するようになると、徐々に利己の心が消えうせて、周りの人達のために自ら望んで犠牲を払うことに喜びを感じるようになってきます。

会員同士の親睦と事業の繁栄を目的にしてロータリー・クラブが設立され、未だ物質的相互扶助の全盛期にあった1912年代に、他人のことを思い遣り、他人のために尽くそうという、現代にも通用する奉仕理念を示唆したポール・ハリスの考え方に、時代を超えた斬新さを感じます。

国家がもつことのできる最大の資産は、平和という資産です。それは、耕地よりも、豊かな鉱山よりも確かなものです。

ベルギー、オステンド1927RI国際大会でのメッセージ

無知は平和の脅威です。相手を理解できれば、それだけ、おせっかいや批判、横柄な態度は減るものです。人も国も、自分のためにも世界のためにも知識や理解を深めなければなりません。

This Rotarian Age

ロータリアンが、身分の上下と貧富、人種、宗教、政党にかかわりなく、みんなの親善使節であり続けますように。この心地よい小さな世界、私たちのよく知っている最高の小世界の住人に、寛容、慎み、正義、親切、友好、友情を届けることができますように。

This Rotarian Age

人間の違いも国の違いも、基本的には大差がないのです。何もかもよい人も国もないし、何もかも悪い人も国もありません。不和は誤解から生まれます。

ロータリアン誌、19447月号

 ロータリー運動がここまで発展したのは、人種、宗教、政治による差別を排除したからだと言われています。武力によって世界平和を達成するのではなく、ロータリアン同士の友情と国際理解によって国際間の平和を達成しようという考え方は、ロータリーの綱領からもうかがい知ることができます。

しかし、最近のRIはアメリカ中心主義となって、アメリカン・スタンダードがいかにもグローバル・スタンダードだ言わんばかりに押し付けてきます。一例を挙げれば、アメリカが敵対国家とみなした国には、ロータリー財団の援助を一切行ってしませんし、イスラム社会に於ける拡大は極めて消極的な態度で臨んでいます。情報も英語で発信すれば、それで十分と考えているらしく、RI本部における英語以外の公式言語部門に対する支援体制は極めて貧弱なまま、捨て置かれているのが現状で、エバンストンに存在するのはRotary Internationalではなく、Rotary United Stateだと言っても、あながち間違いではないでしょう。ロータリー運動を基本に戻して、Rotary Internationalを文字通り国際化するためにはどうしたらよいかを、真剣に考える必要があります。


2006年1月18日