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炉辺談話(323)

ポール・ハリス語録より(4)


 ある晩、私は同業の友人につれられて、郊外の彼の家を訪れました。夕食後、近所を散歩していると、友人は、店の前を通るごとに、店の主人と名を呼んで挨拶するのです。これを見ていて私は、ニューイングランドの私の村を思い出しました。そのとき浮かんだ考えは、どうにかしてこの大きなシカゴで、さまざまな職業から1人ずつ、政治や宗教に関係なく、お互いの意見を広く許しあえるような人を選び出して、親睦をはぐくめないものだろうか、とうことでした。こういう親睦は、必ず互いに助け合うことにつながります。

My Road to Rotary

 1900年のとある夏の日、ポールが弁護士仲間の友人の家を訪れた際の情景で、これがロータリークラブ設立のヒントになったと言われています。大都会の中でゆるぎない親睦をはぐくむために、一業種から一人の実業人が集まって、政治や宗教を離れて意見を交わす社交クラブが、ロータリークラブの原点なのです。

番目のクラブができる前でしたが、私は社会奉仕の重要性を考えて、シカゴ・ロータリー・クラブに対し、市当局や他の市民団体にも呼びかけて、シカゴ市内に公衆便所をつくる運動を始めるよう説得したことがあります。私たちの最初の企てとしては、ほかにもっと魅力のある目標を選ぶことができたかもしれませんが、これ以上大勢の人たちを動かす目標を見つけるのは難しかったろうと思います。二つの強い勢力が私たちに反対すべく立ち上がりました。一つはシカゴ酒造組合で、シカゴにある6,000軒の酒場が1軒残らず、男性に便所の設備を提供していると主張し、もう一つは・ステート・ストリートの百貨店組合で、店の便所を女性たちに無料で使わせているというのです。ただ、公衆便所の提案者は、便所を使うために男性はビールを一杯飲まなければならないし、また女性はその店で商品を買わなければならないではないか、と主張しました。結局、公衆便所は設置されました。

My Road to Rotary

 1907年、ポールが会長に就任すると、急遽、会員相互の親睦と物質的相互扶助という従来の方針を転向して、対社会的奉仕活動という新しい活動を推進しました。この新方針に基づいた最初の活動が、公衆便所設置です。これはシカゴクラブが資金を提供して公衆便所を建設したのではなく、市民組織を作って、行政に働きかけて、公費で建設させた活動であることが特徴的であり、その後のロータリーの対社会的活動の基本となりました。

今から100年後にロータリーはどうなっているでしょうか? 生きている人には想像もつきません。現在のロータリーにとって不可能なことはありません。
 私はロータリーは生き続けると信じています。生きているなら、発展するでしょう。 いつか現在の会員資格によって課せられる責務を遂行できなくなるときが来ます(私たちは、冷酷な掟に従い、年老いていくに違いありません)。そのとき私たちはどうするでしょうか? 退会しますか? 多分退会しないでしょう。もし退会しなければ、大いなるロータリーの夜明けが多分そのとき来るでしょう。

ロータリアン誌、19152月号

 現役の実業人が集まってロータリークラブが生まれました。当初は、与えられた職業分類で、現実に事業活動に従事している人のみでクラブは構成されており、仕事からのリタイアは、即退会を意味していました。しかし、時が流れ、仕事からリタイアしても、ロータリアンとしての会員資格を継続したいと希望する人が現れ、その救済手段として、シニア・アクティブやパスト・サービスといった会員資格が生まれました。さらに現在では、現実に事業活動についていない人でも、会員として選ぶことができるように規約が改正されると共に、一人一業種による職業分類制度も崩壊しました。
 こういった変化は、果たして発展とか、進化と言えるのでしょうか。そして、今、大いなるロータリーの夜明けが来ているのでしょうか。

幸いにもロータリー精神には版権がありません。

This Rotarian Age

 私は、ロータリーに関する私の著作に関して、このポールの言葉を拡大解釈して、どうぞご自由に引用してくださいと言っています。ただし、ここで気になるのは、版権がないのはロータリー精神であって、ロータリーの文献ではないことです。ロータリー精神を広めるためのロータリーの文献ならば許されるのではないかと言うのが、私の解釈ですが・・・。何れにせよ、他人の文献から引用した場合は、その出典を明らかにしなければならないことは当然です

 要するに、ロータリーは、ひとりひとりの会員を育て、その奉仕能力を高めるために存在します。

1922年バッファロー・ロータリー・クラブでのメッセージ

「ロータリークラブは如何なる奉仕活動を実践したかではなく、如何にしてロータリアンを育てたかによって評価されるべきである。」「入りて学び、出でて奉仕せよ」「ロータリーは人生の道場」等々の同様な格言が多数存在します。ロータリークラブは奉仕活動の実践母体ではなく、ロータリアンに対する教育機関であることを忘れてはなりません。

 私たちがロータリーと呼ぶものは、魅力を持って生き続けることができるでしょうか? あるいは自然の摂理のように、生まれ、成長し、繁栄し、次いで、病み、年を取り、衰え、身体不髄となり、ついには死んでいくのでしょうか?

ロータリアン誌、19268月号

 過去のロータリーの歴史をひもとけば、決して順風満帆な発展を遂げたわけではなく、何度となく分裂や衰退の危機を迎えながら、それを克服して現在に至ったことが判ります。
 最初の危機は親睦と物質的相互扶助から奉仕と拡大に転換したことを巡って訪れましたが、クラブは親睦に専念し、親睦を阻害する可能性のある奉仕理念の提唱や拡大は別組織を作ってそれに任せることで回避されました。第二の危機は社会奉仕活動の実践を巡って起こりましたが、これは決議
23-34の制定によって解決されました。第三の危機は世界大恐慌という外的要因と規範のゆるみや職業奉仕理念の衰退という内的要因が複合して起こった危機であり、第四の危機は第二次世界大戦による危機です。ロータリアンの英知によってこれらの危機を乗り越えて、現在に至ったわけですが、現在訪れているロータリーに対する魅力の減退と慢性的な会員減少という第五の危機に、どのように対処してこれを乗り越えるのか、それとも病み、年を取り、衰え、身体不髄となり、ついには死んでいくのか、予断を許さない状況にあることは間違いありません。


2006年2月3日