「ロータリーはどうして、その会員を1業種1人に制限するのか」という質問をよく受けます。その理由は、私たちが実験を続けているうちに、この職業分類によるやり方が、気のあった親睦を生むのに役立ち、事業や専門職務の嫉妬心を回避し、互いに助け合うことを助長し、各自の仕事の尊厳に対するプライドを刺激するとともに、さらに他の職業の業績と問題点に関し、理解を広げていくようになることが、分かったからなのです。
My
Road to Rotary
|
同業者がいるとロータリーの親睦が阻害されるという理由で設けられた一人一業種制度は、その後、ロータリーの奉仕理念を伝えるために、一人一業種で選ばれた代表を、その会員が属する業界に大使として派遣するためという解釈が取られ現在に至っています。
昨今、建設業界や株式取引を巡って業界のモラルを疑うような不祥事が連続しています。逮捕された当の本人がロータリークラブの会員でなかったことに安堵するのではなく、その業界の職業分類を持っているロータリアンは、ロータリーの奉仕理念をその業界に伝えることのできなかった責任を大いに反省する必要があります。事実上、一人一業種制度が崩壊したために、業界に対する自己の責任が分散されてしまったことは残念なことです。業界に影響を及ぼすことのできない会員は、ロータリーに在籍する価値がないことを忘れてはなりません。
ロータリーを思いつくよりも200年も前に、ロンドンには職業分類に基づいて会員を決める社交クラブがあったのです。また、ベンジャミン・フランクリンも、職業分類によって「ジャントー」というクラブをフィラデルフィアに組織していました。何年も前に、フランスのストラスブールに本部を置く「博愛家協会」という組織がありましたが、これもその理想と目的においては、ロータリーとほとんど同一でした。
My
Road to Rotary
|
ロータリーが創立する以前から、フィラデルフィアにはジャントー・クラブという職業分類クラブがありました。その会員が中核となって、1910年にフィラデルフィア・ロータリークラブが誕生しました。すなわち200名近い会員を擁していたフィラデルフィア・ジャンートークラブのほとんどの会員が、フィラデルフィア・ロータリークラブの二重会員になったのです。
ロータリアンは言葉より行動に心引かれます。
ナショナル・ロータリアン、1911年11月号
|
奉仕するものは、行動しなければなりません。ロータリーの哲学は実践哲学なので、単に主観的に理屈を並べただけでは何の価値もなく、奉仕理念を行動に移してこそ、真のロータリアンと言えるのです。奉仕理念を実践活動に移すところにロータリーの特徴があるのです。ただし、理念に基づかない行動は無駄であるだけではなく、ロータリー運動そのものを危険なものにします。
ほほえみは友情のしるしです。あなたの中に沢山あります。しまっといたままにしないで下さい。時と場所を選び、ほほえみかけて下さい。その有益な効果は、永遠不滅の門に達するでしょう。
ロータリアン誌、/934年2月号
|
ほほえみにお金はいりません。ですが、人生の小道を素晴らしく輝かせてくれます。
ロータリアン誌、1915年11月号
|
友情に国境はありません。すべての障害を乗り越え、すべての海を航海します。
メキシコ、メキシコ・シティー1935年RI国際大会でのメッセー
|
友情は、進んで手を差し伸べる生まれながらの奉仕者です。友情は、あなたの成功に惜しみなく貢献します。世界においてその役割を果たすために、友情という大きな力を活用してはいけないという理由は、倫理的にせよ、他の意味にせよ、ありえません。
ロータリアン誌、19/2年9月号
|
ロータリーが敢えて形式や人為的なことを避け、各人がその地位や身分にこだわらず共通の土俵で会う、そのような雰囲気でこそ、友情が芽生え、広がるのです。
This
Rotarian Age
|
大都会の激烈な競争社会の中で、不安と孤独な毎日を送っていた実業家たちにとって、ロータリークラブだけが心底から打ち溶け合って語り合える親睦の場でした。対社会的な奉仕概念が生まれる前の初期のロータリーでは、会員同士が友情を暖め親睦を深めることが、最も重要な目的だったのです。
ロータリアンは私によく尋ねます。「あなたがロータリーを創始したとき、このようなものになると思いましたか?」。いいえ、1905年には、6,000のクラブと300,000人の会員を擁する世界的運動になろうとは予想していませんでした。早春のころ、あまり大きくなりそうにない若木を植えるとき、人はいつの日かそれが、亭々たる大木に育つであろうと確信できるでしょうか。それは雨と太陽..神の摂理の微笑を待たなければならないのではないでしょうか。若葉が初めてもえいでるのを見るとき、そのときこそ、人は大いなる木陰で夢見ることができるのです。
ロータリアン誌、1947年2月号
|
ポール・ハリスがロータリークラブを創立することを思いつく以前に、ポールは数多くの社交クラブに在籍していましたから、他人が作ったクラブに入るよりも、自分が主導権を握って自由に管理できるようなクラブを作ろうと考えたのかも知れません。当時は雨後の筍のように数多くのクラブが生まれ、消えていく時代でしたから、ロータリークラブがその後このように発展するとは夢にも考えなかったことでしょう。
将来の発展を見越して管理運営をしていたのではない証拠に、初期の記録をまったく残していないことがあげられます。正式な記録は1910年に全米ロータリークラブ連合会が結成された以降で、これはチェスレー・ペリーの業績です。