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炉辺談話(331)

脊椎管狭窄

 

 20031月、70歳になる直前に、若い同業者が私の診療所の至近の場所で開業しました。その非常識な遣り方に憤慨もし、もう2-3年は頑張りたい気持ちもありましたが、実のところロータリーの活動にかこつけた休診も多くて、患者さんに迷惑をかけることも多かったので、それを機会にリタイアすることを決意しました。
 今まで病気らしい病気をしたことがなかったので、75歳くらいまでは元気に跳びまわれるだろうと予測をしました。75歳になるまでの5年間は、ロータリー活動を楽しんだり、アメリカに嫁いでいる二人の娘のところに遊びに行ったりして、のんびりと余生を楽しもうと計画していたのですが、その甘い計画が大幅に狂ってしまいました。

 そのきっかけになったのが、同年の9月に起こった前立腺癌騒動(炉辺談話199 癌騒動記参照)でしたが、精密検査の結果、幸いに単なる炎症ということで安堵した途端、200411月には心筋梗塞の発作に見舞われましたが、約1ケ月の入院で、九死に一生を得ることができました(炉辺談話270 ハートアタック参照) 
 都合3回に亘って、計5本のステントを冠動脈に入れて、血管を補強すると共に、この病気の根源になっている糖尿病を、インシュリン注射で押さえ込みながら、一年かってなんとか普通の生活に戻った途端、今度は腰に異常がきました。

 以前から長道を歩くのは苦手でしたが、その距離が徐々に縮まってきて、ついに100メーターも歩くと足腰が痛くなって、それ以上一歩も進めなくなってしまいました。その場に腰を下ろして2-3分休むと、痛みは嘘のように消え去って足腰もしゃんとしますが、また100メートルほど歩くと動けなくなってしまいます。ただし、量販店のカートや手押車を押して前かがみの姿勢で歩けば、何の支障もありません。いわゆる間欠性跛行であり、この症状は腰部脊椎管狭窄の典型的な症状です。年末に「みのもんた」がマスコミを賑わした病気です。

 昨年の11月にロータリーの所用で当地区の国際奉仕委員長Aさん(77)と一緒に韓国の釜山を訪れました。所要を済ませた後、時間があったので博物館を訪れた際、急に動けなくなってしまいました。Aさんが車椅子を借りてきて、それを押してくれましたが、72歳の老人が77歳の老人に車椅子を押してもらっている惨めな姿は人様には見せたくないもので、帰国後、早々に手術を決意しました。

 幸いに、私の親友が整形外科の診療所を開業しているので、彼に頼んで若手の腕のよい医師を紹介してもらったのですが、「みのもんた」氏と違って、私の場合は、MRIにもCTにもミエログラフィーにも、典型的な腰部脊椎管狭窄の所見がみつかりません。臨床上は腰部脊椎管狭窄の症状なのですが、腰部脊椎管狭窄と診断する所見に乏しいのです。そうこうしているうちに、急速に歩ける距離も少なくなってきて、30メートルも歩けば足腰が動かなくなってしまったので、一か八か手術に賭けることにしました。

 手術の日程を決めた矢先に、ニューヨークに居る娘が妊娠中毒症になり、家内が急に旅立つことになりました。留守中の約1ケ月は、私が痛い足腰を引きずりながら、三度の食事を作り、洗濯や掃除やお犬様の世話までしなければなりません。おまけに3月の初旬に当地区の地区大会があり、そのプログラム全体を依頼されている関係もあって、やむなく手術を1ケ月遅らせることにしました。

 家内の留守中は、朝早くから起きてトイレ行きを催促する犬の鳴き声と、週2回ごみを集積場まで運ぶ作業に悲鳴をあげました。地区大会当日は、誰それ構わず車椅子を押してもらって、何とか無事に役割を果たすことができました。
 そして、313日にK病院に入院、14日にMRICT、ミエログラフィーの検査をして、いよいよ315日の手術日を迎えることになりました。

続く・・・

入院のため更新が遅れましたことをお詫び申し上げます


2006年4月8日