「有益な事業の基礎として奉仕の理念を鼓吹し、これを育成する」というロータリー綱領の本文から、ロータリー理念の中核をなすものは職業奉仕であり、さらに綱領の第2項から、職業奉仕の目指すものは、職業倫理高揚であることが理解できると思います。
1911年にロータリー・モットーが採択され、1912年の定款改正が行われたにもかかわらず、ロータリアン同志の相互取引を中心にした互恵主義が一向に改善されないことに対する批判が強まり、1913年のドゥルース大会で、これを具体化するために、ロータリアン個人個人がどのようにして職業倫理を高めるかという指針を具体化した特別な道徳律を作って、1年後にヒューストン大会に提出することが決定しました。
委員長に任命されたアイオワ州シューシティ・クラブのロバート・ハントは、「実業家のための道徳律」として具体的に示すべき事項について、全国のロータリアンから提案を求めたところ、数百にものぼる返事が集まりました。しかし彼は、個人的事情のためその役割を全うすることができなくなって、後ろ髪を引かれる思いで、同じクラブの会員であるパーキンスに後を託します。
パーキンスは身近な友人数名を委員に任命して、約5,000語にものぼる最初の草稿を書き上げましたが、その作業は大幅に遅れ、最後の整理を目前にして、ヒューストン大会の日が迫ってきました。
アイオワから乗り込んだ大会特別列車は途中のカンザスシティで、シカゴから来た列車に連結され、それに乗ってきたシカゴ・クラブ会長のハーバート・アングスターと会うという偶然に巡り合わせました。アングスターが彼らに専用のサロンを提供し、彼らはそこで最後のまとめの作業に没頭することになりました。もっとも、これは決して偶然ではなくて、アングスターが事前にそのことを知って、特にお膳立てしたものと思われます。
ともかく、そのサロン・カーの中で、使用済みの封筒の裏やノート・パッドやスクラップ・ペーパーに至るまで、そこにあるものは何でも使い、清書用には誰かが探してきた
列車に備え付けの、7枚の綺麗な便箋を使って500語の文章にまとめあげました。
プロローグは、ジェームズ・ピンカムが基本的な考え方を書きましたが、各条文は委員のジョン・ナトソンの偉大なる労作であり、最終章である第11章は、彼の母国語であるドイツ語で書かれています。彼らが最終原稿を握りしめて、ハーバート・アングスターに大声で読んで聞かせた時には、大会特別列車はヒューストン駅近くのレールを「ガッタン、ゴットン」と走っていました。
1914年のヒューストン大会において、この道徳律をすべてのロータリアンに送って、研究することが決まり、更に1年後にサンフランシスコ大会で、ほぼ原文のまま採択されて公式な道徳律となり、「ロータリー通解」に収録されて全会員に配布されました。その後40年間にわたって、この道徳律は、ロータリアンの道しるべとして、多くの言語に翻訳されて、世界中のロータリアンの事業所の壁に掛けられることになります。