シカゴ・クラブが公衆便所を設置し、これがロータリーの最初の奉仕活動となったことはあまりにも有名な話です。
1907年、シカゴ・クラブ会長に就任したポール・ハリスは、たまたま出席した商工会の集まりで、ループ地区(シカゴ中心部)の通行人が公衆便所がないために不便な思いをしているという話を聞きこみ、これを奉仕活動を実践する絶好の機会だと捉えました。
シカゴ・クラブは、早速、グレート・ノーザン・ホテルに25の市民団体の代表を集め、連合公衆便所建設委員会を設立して、行政に働きかけますが、既に施設内にトイレを持っていることを強く主張する、シカゴ醸造組合と百貨店組合の激しい妨害を受けます。
当時のループ地区で顧客用にトイレを供用していたのは、百貨店かバー位しかなく、トイレを借りる必要に迫られた通行人は、女性は化粧品を買うことを口実に百貨店に入り、男性はビールの一杯も飲みにバーの扉をくぐらなければなりませんでした。もし、無料のトイレができれば、これらの店の収入に影響を与えることは、誰の目にも明らかでした。交渉は長引き、土地を掘り起こすまでに2年の歳月が掛かってしまいましたが、最終的には、建設用地と20,000ドルの補助金を市当局から受け取ることに成功して、1909年に市役所と公立図書館の横に二つの公衆便所が出来あがったのです。
公衆便所設置は市民のニーズに従って市民団体を組織し、行政当局に働きかけて、実施にこぎつけたものであり、俗にいわれるような単に金銭を拠出した団体奉仕活動ではなかったことに注目しなければなりません。
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