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炉辺談話(61)

One Rotary Centerを訊ねて

 シカゴのループ(ダウン・タウン)からレークショア・ドライブを20キロほど北上すると、エバンストンに入る。ワン・ロータリー・センターはこの町のシャーマン通り1560にあり、地下鉄およびユニオン・パシフィクのエバンストン駅のすぐそばである。
 18階建てのビルの13階から上を使用し、後はテナントを入居させて収益をあげている。

 ミシガン湖を一望に見下ろす18階に会長室がある。部屋の扉は常に開かれてして、会長の在不在にかかわらず、ここを訪れる者は誰でもこの部屋に立ち入ることができる。会長は極めて多忙なためほとんど会えるチャンスはないと聞いていたが、この日(2000年8月28日)はたまたま財団管理委員会が開かれており、それもちょうど休憩中だったので在室しており、数分話をする機会を得ることができた。私が関与しているロータリー・ジャパン・ウエブとRRVFの話をすると、コンピューターによる情報伝達とロータリアンのフェローシップは共に重要な事柄なので頑張ってほしいと激励してくれた。一緒に写真を撮ろうと長身を屈めてくれるユーモアの持ち主でもある。

 会長室を辞して廊下に出たとたんジアイ元会長とばったり出会った。私がガバナーの時のRI会長でしょっちゅうお会いしている仲であり、2ケ月前もブエノスアイレスで食事を共にしたばかりである。セリア夫人もお元気とのこと、この12月に東京のロータリー研究会での再会を約して別れる。

 会長室の隣にある理事会室では、ビル・ハントレー元会長と一緒に写真を撮ることができたし、フタ事務総長も執務室に在室しており、私の顔を見るなり、ブエノスアイレスでの思い出話になった。私もこれをいい機会に、日本における今後の情報伝達手段の中枢ともなるロータリー・ジャパン・ウエブの存在価値をPRすると共に、RIの責任として、各国語による情報伝達機能を速やかに確立してほしいと要望した。
 会長エレクトは不在で、会うことができなかったのが残念だった。

 エレベーターの真向かいには壁一面に歯車状の抽象的な彫刻が施されている。てっきりロータリーの歯車をモディファイしたものだと思っていたら、このビルの以前の所有者が医療器械の会社で、体外受精を抽象化した図案であり、これが中央のロータリーのマークと奇妙にマッチしているのが面白い。

 この階と17階は吹き抜けになっていて、「栄誉の殿堂」と呼ばれており、歴代RI会長の写真や1935年に日本を訪問した際に贈呈されたポール・ハリスのブロンズの彫刻が飾られている。
 17階は全フロアーがロータリー財団関係の部署であり、エレベーター前のホールには、歴代のロータリー国際理解賞の受賞者のパネルが飾られ、前述の「栄誉の殿堂」には財団管理委員や大口寄付者の写真が掲げられている。

 16階のエレベーターを降りると、ポール・ハリスの等身大の銅像が、ここを訪れるロータリアンに握手を求めながら迎えてくれる。少しくすんだ金色で、1935年に日本を訪れた際寄贈された胸像を基に作られたものである。その隣には、かつての会長執務室がスモール・スケールながら再現されている。ポール・ハリスが愛用した机や椅子や調度品が生存当時のまま並べられており、そのすべてが、世界中のロータリアンからポールに贈られたものである。

その隣には、1905年2月23日に最初の例会が開かれた、ガスターバス・ロアの事務所が完全に復元されている。もともとディアボーン街127Eユニティ・ビル711号室であったが、1989年にユニティ・ビルの取り壊しの際に、711クラブ(ロータリー歴史と伝統の会)が中心となって保存し、1994年に復元したものである。「711」「ガスターバス・ロア」と書かれた真鍮の標識がついた樫のドアや照明器具や暖房装置、謄写版、蓄音機、電話等すべてが当時のものであり、部屋の壁もそのままの色で塗装されている。なお、711クラブはマウント・ホープにあるホール・ハリスの墓地の整備にも尽力している。

 15階はヘッド・クオーターの事務局であり、各部局毎、各国毎にセクションが分けられている。従来は日本サービスセンターでも翻訳作業をしていたが、現在はここのスタッフが一元的に翻訳を行っている。ウエブ・サイトについても、主要国語については専属の翻訳スタッフによるRI指定記事が提供される予定とのことである。

13階には資料室がある。直接書庫に入って文献を探すことはできないが、欲しい文献や著者を言えば、係員がコンピューターで検索してくれ、現物の閲覧やコピー・サービスを受けることができる。閲覧室にはポール・ハリスの肖像画と共に、ポールが70の手習いで始めたという風景画がかけられている。

 アーサー・シェルドンに関する文献が欲しいというと、何回かの問答の結果、Golden Strandの本が出てきたので、その本は既に私が日本語に翻訳済みであると告げた。いろいろ検索してくれた結局、全米ロータリークラブ連合会の第1回、第2回大会議事録から、シェルドンのスピーチの全文を手に入れることができた。日本では、部分的には紹介されているが、おそらく全文が紹介されたことはないと思われるので、極めて貴重な文献である。
 手続要覧の古いバージョンを探してもらったが、古いものがなかなか見当たらず、ひょっとしたら倉庫にあるかもしれないということで、14階の倉庫に案内してもらった。ここにはまだコンピューターで管理されていない文献が広い部屋にびっしり収納されており、その中から現存する最も古い1926年発行の手続要覧を発見することができた。コピーを頼んだところ、10冊ほど重複して保存しているので、記念に差し上げますということで現物を戴くことができた。

 2日間の慌しい滞在であったが、大きな収穫のあった訪問であった。ここを訪れるロータリアンは1月に1,2名しかないとのことである。もっと多くのロータリアンがここを訪れて、宝の山に埋もれている貴重なロータリーの財産を活用すべきであることを痛感した。