1911年にシェルドンがHe profits most who
serves bestというロータリー哲学を発表し、1915年の道徳律制定、翌16年のサンフランシスコ大会において、道徳律が収録されたガイ・ガンディカーの「ロータリー通解」の全員配布によって、職業奉仕理念は完成したと考えられます。
このようにして定められた職業奉仕の理念は、1916年頃から、ロータリアンが経営する事業所に「道徳律」を適用するという形でその実践が始まっていきます。
プロフィットを周りの人たちとシェアするというロータリーが提唱した職業奉仕の理念を実践に移すことによって、ロータリアンが自らの体質を改善して、その事業を隆盛に導き、さらに世に有用な職業を尊重し、自らの職業を通じて社会に貢献し、業界の職業倫理の高揚を求めていったことは、ロータリアンは当然のことながら、一般社会の人たちも大きな尊敬と賞賛を与えたことは明らかです。
当時のロータリー運動は、ロータリー運動の中心である職業奉仕の実践によって、ロータリアンと一般社会の人々双方に大きなメリットを与えました。従って退会を考えるロータリアンはいるはずもないし、入会を希望する候補者が殺到したのです。
ロータリーが一般大衆から尊敬の念で見られるようになったバック・グラウンドとして、当時シカゴに台頭したマフィアと互角に闘ったことを否定することはできません。
1899年にブルックリンで生まれたアル・カポネは、10代半ばでニョーヨーク・マフィアのチンピラとなり、1910年頃からシカゴで勢力を伸ばしつつあったジョニー・トリオの片腕となったのは1919年、彼が20歳の時でした。1920年禁酒法施行と共に、マフィアは大きく勢力を伸ばしていきます。
世に有用な職業を前提として職業奉仕理念を実践に移そうとするロータリーと、世に有害な職業を前提とするマフィアが、ここで真正面から対立するわけです。
ロータリーの古い文献を調べると、これに関する幾つかの記述を見ることが出来ます。
ロータリアンの眼鏡商を証人として出廷させて、遺留品の眼鏡からマフィアの大物を逮捕するきっかけをつくったり、シカゴ・クラブ元会長ローシュ大佐をシカゴ市防犯委員長に任命して、マフィアとグルであった警察を徹底的に粛清したり、シカゴ市の犯罪防止におおきく貢献したという記録が残っています。
連邦警察もエリオット・ネスを隊長とする特殊部隊を投入して、ついに1931年に所得税法違反でカポネを逮捕し、翌年実刑11年の判決を受けて、アル・カトラスに収監されたことは、アンタッチャブルでおなじみの話です。
ちなみに、カポネは若いときに感染した梅毒が悪化したため刑期半ばで釈放されたもののフロリダで廃人同様の生活を送り、1947年に48歳でこの世を去ります。奇きしくもポール・ハリスの逝去と同じ年でした。
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