ロータリー情報の翻訳
直訳されて難解な「ロータリーの綱領」や「手続要覧」に対して、なぜ、もっと平易な日本語に替えられないのかと、不満を抱いているロータリアンも多いことと思います。
しかし、現在、日本側で「ロータリーの綱領」「RIのテーマ」「手続要覧」等重要な文献を翻訳する場合、その翻訳権はRIが任命した文献邦訳諮問委員にしか認められておらず、さらに直訳することが条件になっています。その結果、邦訳諮問委員の努力にもかかわらず、意味不明のRIテーマや、睡眠剤代わりの手続要覧が生まれてくる結果になります。
これは戦前の日本のロータリーが、あまりにも地域特性を主張した中間管理組織的な活動をしたために、戦後のRI復帰に際して課された条件、すなわちペナルティなのです。

1928年朝鮮、満州を合わせて第70地区として、RIより正式承認を受けます。正式認定とはいうものの、当時 7クラブしかなかった地域を地区として承認することにはかなりの無理があり、日本の強引な提案にアジア各地のクラブからの反発もあり、RIがしぶしぶ了解したというのが真相です。

1934年に神戸クラブから、外国語のロータリー用語を廃止し、例会運営の外国模倣をやめて日本式に変え、ロータリーの綱領を解り易い日本語に変えようとする運動が起こります。そして、1936年に神戸で行われた地区大会で、大連クラブのロータリー宣言[大連宣言]を採択して、これを「ロータリーの綱領」に換えようという動議が提出され、大激論となりました。
国際大会で決定した[ロータリーの綱領]を勝手に変更することはできないとする米山梅吉と、正しい日本語と東洋的思考からロータリー精神を説いた[大連宣言]を英訳することによって、逆に、[ロータリーの綱領]を改正すべきだとする村田省蔵とが激しく対立しましたが、結局、この宣言は、ロータリーの綱領の内容を補足するものとして、大会宣言することで収拾されました。
大連クラブ会員、古沢丈作の作であるこの[大連宣言]は、[ロータリーの綱領]と[ロータリー倫理訓]の精神を、格調高い日本語で適格に表現した最初のドキュメントとして、高い評価を受けている一方で、当時のRIにとっては、「ロータリーの綱領」の日本化を図るという、腹立たしい出来事だったのです。

1939年、日本は朝鮮、台湾、満州を含む三地区 (70・71・72) に分割され、その三地区の統轄機関として日満ロータリー連合会が結成されました。この連合会結成は、軍部の矛先をかわすために考えた最後の手段であり、米山梅吉より全権を委譲された芝染太郎が、密かに短刀を懐にしてチェス・ペリーとの交渉に臨んだと言われています。
RIは日満ロータリー連合会の結成を承認したわけではなく、その存在を強引に事後承認させたというのが真相です。
このようにして、何とかロータリー運動を継続しようとした努力も功を奏せず日本のロータリークラブはRIを脱退します。

こういった一連の日本ロータリーの我儘な行動に釘をさす意味から、戦後のRI復帰に際してつけられた条件の一つに、この翻訳の規制が関係してくるのです。極端な意訳をすることによって、「ロータリーの綱領」を「大連宣言」に置き換えるようなことを防ぐ意味だと考えてください。
さらに、「RIの定款・細則の厳守」、「RIへの義務の完全履行」、「各クラブはそれぞれRIに直結しているので、クラブが地区や国単位で固まって行動を起こさない」ことを誓約して、日本のロータリーはRIに復帰を許されます。
なお、現在の文献邦訳諮問委員は、佐藤千壽(東京東)、近藤正夫(東京城北)、津田進(川崎北)、土屋亮平(松戸)の各氏ですが、毎日発信される膨大な量の情報を翻訳する態勢は整っておらず、「RIのテーマ」や定款・細則の基本的な部分だけを担当している模様です。その他の手続要覧、理事会や財団管理委員会議事録、国際協議会や各種会合の報告書等は、RI本部の日本語担当者が直接翻訳しています。
ウエブ・サイトの情報発信に関しては現時点では殆ど制約がなく、一部、日本語に翻訳されて提供される情報以外は、英文で提供される情報をRJWが任意に翻訳している状況です。
翻訳に優秀な語学力が必要なことは当然ですが、いかに適切で美しい日本語に置き換えるか、いかにロータリーを理解しているかが、大きなファクターを占めます。これらの条件を備えている人材をいかにして確保するかが、今後の課題となってくるでしょう。
全世界のロータリアンが同額の人頭分担金を支払っている以上、英語で情報を発信したからこれで良しとせず、各国語に翻訳された情報を同時に発信すべきだと思います。
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